Ivory_04
踵が柔らかい砂に浅く沈む。靴の底から逃げるように流れる砂浜の表面を、滑るように歩けば「覚束ないね」と彼は笑う。ローファーで砂を掻くことは覚えたけれど、ヒールだとまた話は違ってくるから仕方ない。
唇を尖らせつつ彼の左手に添えた右手に力を込めれば「ほら、頑張って」と笑い混じりの応援。きゅう、と手が握られて、布越しにぼんやりとした温かさが指先に灯った。
頑張ります、と言葉を落とし、足に力を入れる。踏みしめた砂が逃げる感触。ブーティの踵が、また、砂浜に刺さる。
深さも幅も不揃いな足跡を残しながら、先輩に導かれるがまま波打ち際へと歩いていた。海に冷やされた風は街で感じるそれとは段違いに冷たく「ひゃ」と小さく声を上げてしまう程だ。
そうして私は自分の口からでたとは思わぬ声色に、慌てて口元を抑える。羽風先輩は驚いたように目を瞬かせ「……君もそんな声出せるんだ」なんて言っていた。失礼な、これでも女の子なんですけど。
波は寄せては返っていく。歩ききった先輩は足を止めて、私も同じように歩くのをやめた。いつの間にか厚い雲を追い払った空は綺麗な青色を湛えており、海は素直にその色を写し取っていた。群青色の、青色の、緑がかった青色が波間に揺れては返す。波の先端が白く泡立ち、私たちの足下まで滑り込んでくる。濃淡の入り交じった海の色はそれでも決して混ざり曖昧になることなく、交互に顔を出しては、波となり、砂浜に辿り着いては還っていく。
何度も眺めた光景だ。先輩はここで一体何をしたいのだろう。
おそらくここが目的地で、羽風先輩は何も言わず海の向こうを見つめていた。冬の海には誰も居ない。砂に埋まった貝殻と、押し寄せる波と、私と先輩だけしか、いない。
意図を汲み取ろうともその横顔には何の表情の色もついておらず、困った私は足下までやってきた波の欠片をブーティのつま先で触れる。
「先輩、海好きですよね」
逃げるように還っていく白を見送る。次に来る波は小さかった。私たちよりも随分手前で力尽きた波は囁くような潮騒を残し、消えていく。
「うん、そうだね。好きだよ、海」
横顔に笑顔が浮かぶ。優しく柔く緩むその頬に、とくりと小さく胸が揺れた。
「先輩を探しにいくなら屋上か海の二択な気がします」
「そう? そんなに限定されてないと思うけど」
「でも比較的多いのはその二つでしょう? その二つに居なければ、晃牙くんの鼻を借ります」
「ええ……もうちょっと頑張ってよ」
他にも行くところはあるけど。ガーデンテラスだとか、噴水に居たりもするし、部室にも顔を出してるし……。
おそらくその場所を思い出しているのだろう。先輩は嬉しそうに笑いながら、学院内の場所を指折り上げていく。「そんなにいっぱい探しきれないので、やっぱり晃牙くんの出番ですね」と笑えば途端にその表情が曇り「直接俺に連絡してくれた方が早いけど」と繋ぐ指先の力が、僅かに籠もる。
「でも私が探しに行くときは羽風先輩がサボってる時なので……正直に教えてくれます?」
「確かにそうかも」
誤魔化すように先輩は、繋いだ手を緩く振る。
「ね、きみは普段どこに居てるの?」
波が迫る。白く泡立つ先端が、私たちのつま先に触れ、そのまま還っていった。先輩はそれを見送って「折角だし歩こっか」と波打ち際を添うように歩き出す。遅れて私も足を踏み出す。靴の底に踏まれた貝が、砂浜に埋まっていく。
「教室とか、ですかね?」
ダッフルコートの隙間に入り込んだ風に身震いをすれば、先輩は先ほどよりも距離を狭めて「真面目だねえ」と笑った。肩と肩が触れる距離。海の香りとはまた違う、先輩の香水が鼻先を掠めた。