Ivory_03
おそらく、この道は海岸に出る道だ。先輩をよく探しに行くから覚えている。繁華街を抜けて道路沿いを歩けば、小さな林が現れる。木の根を跨いで湿った土を数分歩けば、もうその向こうは白い砂浜と広大な海。そんな見慣れた道を頭に浮かべながら、道半ばの川沿いを歩く。川沿いと言っても海が近いから、仄かな潮の匂いが風に混じっている。
川と歩道の境界線、赤錆に覆われた手すりの向こうには浅瀬がたおやかに揺れていた。濃淡入り交じる砂利、たまに現れる魚の影。緑色の薄いフィルムを重ねたような優しい色をした水面は、曇天に混じる太陽の光を鈍く返しながらちゃぷりちゃぷりと細やかな音を奏でていた。
「海へ出るんですか」
私は先輩に尋ねる。先輩は駅を出てからというもの、しかりと手は握っているけれど唇は結んだままだった。女の子が好きそうな可愛いカフェだったり、見て楽しめそうな雑貨屋だったりをまるっと無視して歩き続けるその背中に違和感は覚えていたけれど、その正体がなにかは全くもって分からない。
なんとか会話の糸口を見つけてそう口にすれば、先輩の歩調は僅かに緩む。手を握る指先に力が入り「……そうだね」と少々ふわついた言葉を言い、こちらを見て目を細めた。
「海に出たら首元寒いかな? マフラー巻いてこなかったの?」
「今日はそんな気分じゃなかったんです。大丈夫ですよ、歩いて身体は暖まっているので」
「そっか」
そう言う先輩の首元にも、マフラーは無い。「先輩こそ巻いてこなかったんですか?」と尋ねれば彼は「今日はそんな気分じゃなかったんです」と、子どものように繋いだ手を振りながら私の言葉を真似て笑う。
「わかるわかる。それにオシャレは我慢、ってね」
「風邪引いたら元も子もないですよ」
「そんなへまはしないよ。……あ、でも風邪引いたらお見舞いに来てくれる?」
「そりゃあ一人暮らしとかなら助けには行きますけど……先輩、ご家族とお住まいですよね?」
流石に実家暮らしの方に看病は……なんてニュアンスで伝えたかったのに、先輩には違う意図で伝わったらしい。彼は「えっ」と短い言葉を落とし、眉を寄せ、険しい顔で私を見つめた。
「……まって、じゃあ例えばわんちゃんが風邪引いて『助けてー』って連絡来たら」
「行きますね、おそらく」
「うっわ駄目だからね、そういうの」
さらに眉を寄せる先輩に「それはアイドルとプロデューサーだからですか?」と尋ねれば「男と女だからです」と食い気味に返されてしまった。そうして思いついたように「俺ならいいけど」と継ぐので「晃牙くんのお見舞いに行くのが?」と返せば途端に先輩の表情が苦虫を噛みつぶしたような色を示す。
「はあ心配だなあ……俺が卒業して、俺みたいなやつが現れてもふらふら付いてっちゃ駄目だからね」
「普段行かないじゃないですか」
「でも今日来ちゃったでしょ」
彼の物言いに目を瞬かせれば「俺は嬉しいけど」と羽風先輩は視線を私から外し、真っ直ぐ前を見つめた。それが会話の終了の合図だということに気がついて「……だったら誘わなきゃよかったじゃないですか」と悔し紛れに言葉を零す。
「……でも、誘いたかったんだ」
風の隙間に、小さな声が混じる。彼の瞳は前を見据えたまま、穏やかな笑みを浮かべるだけ。鼻腔を擽る潮の濃度が上がる。海はもう近い。彼の言葉に応えたいけれど握り返す勇気も無い私は、ただただ導かれるまま足を動かした。