星に願いを_22

「まだどきどきしてる」
「なんだそれ」
「だって、これ本当の悪いことじゃん」
「そーだな」

 晃牙くんの家にたどり着いた私は興奮気味にそう伝えるが、晃牙くんは呆れたように笑うだけで、そのままベッドに突っ伏してしまった。

「つうか別に走る必要もなかっただろ」
「そう? なんか楽しかったじゃん」
「楽しいねえ」

 首だけ動かして晃牙くんはこちらを一瞥するとまた顔を枕に埋めて「テメエのせいで無駄な体力を使っちまった」と長く息を吐いた。どうやらレオンは寝ているらしく、寝床で丸くなっていた。そろそろと近寄れば「レオン起こすなよ」とくぐもった声が聞こえる。こちらを見てないのによく分かるな、と晃牙くんを見れば、やはり彼は顔を枕に埋めるようにうつ伏せのままで「あとうろうろすんな」と言葉を続けた。

「……晃牙くん、私に話があったんじゃないの?」
「話? ねえよ」
「え? じゃあなんでわざわざ家の前まで」

 ベッドへ寄りその場にしゃがみ込めば、今までうつ伏せだった晃牙くんがのっそりと起き上がった。手招きされるので、そのまま躊躇無くベッドの上へと上がる。ぎしりと軋みをあげるスプリング。壁にもたれて二人並んで足を伸ばして座れば足首が宙ぶらりんに揺れた。
 この狭さで二人寝転んだのか。
 ふと思い出したそれに気恥ずかしさを覚えて視線を彷徨わせれば布団の上に投げ出していた手が、晃牙くんのそれと触れた。慌てて離そうとする私よりも先に、晃牙くんは私の指先を握りこむ。熱を持った、ほんの少し汗ばんだ手のひらにまた鼓動が早くなるのを感じた。

「一緒にいたら、阻止できるかと思って」
「……ああ、そういうこと」
「悪い。このくらいしか思いつかなかった」
「ううん、嬉しい」

 時計は午後十一時半を指している。あと三十分。そういえばいつも夜は早々に寝ていたから、だれかとこの瞬間を共有することはなかったように思う。彼の方に体重を寄せれば肩に頭がぶつかる。しかし晃牙くんはそれを邪険にすることもせず、ほんの少しだけ肩を落として迎え入れてくれた。

 消されたテレビの向こうで、手を握り合い、身を寄せ合う男女が見えた。何も知らない人から見たらそれは恋人同士の距離感で、全てを知っている私から見たら、滑稽な『恋人ごっこ』にしか過ぎなかった。
 それでも、最期くらいは許されたい。だってあと三十分経てば、私と彼は知らない人同士になるのだ。ステージ上から飛び出して人を足場にしようとする彼と出会い、辛辣な態度を経て、また友達となる。

 そうか、もう終わってしまうのか。唐突に突きつけられたような気がして、私は伸ばしていた足を縮めた。どうして終わってしまうのだろう。この一年で築き上げたものが何故いとも簡単に崩れてしまうのだろう。晃牙くんの手の下で強くシーツを握る。ゆっくりと身を起こし、折った膝の上に頭を寄せる。

 夢のような日々だった。晃牙くんが気付いてくれて、アドニスくんが気にかけてくれて、朔間先輩が助けてくれて、羽風先輩も協力してくれた。今までに無いような、夢のような日々だった。それは確かに『ループをしなければ手に入れられない日々』であると同時に『おそらく次回のループでは引き継がれない記憶』なのだと分かってしまう。
 私は忘れてしまう、この日々を。
 彼らも忘れてしまう、私のことを。
 波に絡め取られる落書きのように、一瞬にして『ないこと』とされてしまうのだ。

 晃牙くんが私の名前を呼んだ。顔を上げれば、潤んだ視界の先で、硬い表情を浮かべる晃牙くんが見えた。瞬けば頬に涙が落ち「なあに」とそれでも努めて明るい声を出す。晃牙くんは表情を変えることもなくじとりとこちらを見つめ、そして黙って私をベッドに押し倒した。驚く間もなく唇が合わさる。慌てて彼の胸を押し返そうとしても、晃牙くんはびくともせずまた唇にキスを落とした。

「な、なんで……」
「……テメエが、どこのどいつを好きか知らねえけど」

 そう言って、彼は私に覆い被さり腰を抱いた。引き寄せられるまま彼の胸に飛び込んだ私は、思いのほか早く揺れる彼の鼓動に耳を澄ませる。

「俺はお前のことが好きだ」

 嘘のような言葉だった。到底信じられるそれではなく晃牙くんを見上げれば、彼は表情を隠すように私の顔を胸へと押しつけて強く抱く。どくり、と彼の心臓が音を立てて揺れる。平静のそれではない速度に圧され、私の心臓も徐々に速度を上げていく。
 悪い冗談なのだろうか。いやでも、そんな事を言うような人じゃない。ふと浮かんだのは登校最終日の屋上のあの出来事で、いやでも彼は寂しいから泣きついたそれであって、決して恋慕から来るものではないと。

 私が、そう思いたかっただけ……?

「友達って言った」
「ああ、最初はな。でもテメエの話を聞いて、ずっといろいろ考えて、そうじゃねえって気がついて……だけど好きなやつがいるってことも俺は『覚えて』いるから……今更になっちまったけど」

 ふと拘束が緩んだ。彼の胸を押せば、晃牙くんは押した分だけ離れていく。顔をつきあわせてベッドに寝転び、じっと互いの瞳を見つめる。
 指先と指先が触れた。何も言わず、どちらともなくその指を絡ませる。
 それが、合図だった。

 晃牙くんはこちらへと寄ると顎に手を添えた。僅かにずらされる唇。抵抗することも出来たけれど、私は彼の頬に手のひらを当てた。

「……好きだ」

 言葉と同時に唇がまた落ちる。浅く、深く、何度も繰り返しながら、指先も何度も絡め合わせる。重ねる度、入ってくる度、彼の抱えていた気持ちが私の体内に流れ込んでくるような気がした。
 薄い空気の中で目を伏せれば網膜を覆っていた涙が流れる。それは私の悲しみだったのか、それとも流れ込んできた晃牙くんのそれなのか、私に知る由は無い。



 目を開けばまだ部屋は薄暗かった。どうやら寝てしまったらしく、隣にはすやすやと寝息を立てる晃牙くんの姿と――不満そうにこちらを見上げるレオンの姿があった。気怠い体を起こして辺りを見回す。警戒心を最高潮に高めた彼が私を見上げ唸りを上げる。

「(これは――どういうこと? いま、何時なんだろう)」

 ポケットから携帯を取り出して時間を見れば、まだ午前五時になったばかりだった。そこから視線をスライドさせて西暦を確認すれば。

「うっそ」

 上擦った声が思わず漏れる。驚いたレオンが吠え出すけれど、確証を高めたくてロックを解除し、写真だとか、メールだとかそういうものを片っ端から表示させていく。

「……うっせえな」

 レオンの声に反応して晃牙くんがのそりと起き上がった。携帯を持ち固まる私を見て、彼は得意げに笑い「言ったろ」と携帯を取り上げて、そして布団の方へと投げて閉まった。

「俺様が絶対、なんとかしてやるって」

 硬直する私に彼は軽くキスを落として、そして吠えるレオンに「うっせえなわかってるっつうの」と言い聞かせて台所の方へと行ってしまった。レオンはこちらを一瞥し、そして晃牙くんの後を付いて歩く。

 取り残された私は先ほどのキスの感触をそっと指でなぞりながら「うそでしょ」と言葉を漏らす。それでも嘘じゃない。残っていたデータも、戻っていない西暦も、全て私がここにいることを証明してくれていた。

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