星に願いを_14

「悪いことをしたい?」

 怪訝そうにそう繰り返す羽風先輩の視線が痛くてほんの少しだけ外へと逸らせば「君にもやましいことの一つや二つ、あるんだねえ」となぜか嬉しそうに彼は言葉を続けた。やましいことがない人間なんているんだろうか、と思いつつも私は「ええ、まあ」と歯切れの悪い言葉を零す。嘘をついている訳ではないし、やましいこと――隠し事――があることは間違いない話だ。
 それでもなぜか居心地が悪いこの空気に、私は背中に回した組んだ両手を何度も気忙しく握ったり緩めたりを繰り返しながら羽風先輩を見上げる。彼はなぜか感慨深い様子で「そうだよね。君だって普通の女子高生なんだもの」と繰り返し、うんうんと一人頷いていた。

「(なんだか本当に、だましているみたいで申し訳ない……)」

 ちらりと部屋の隅にいる朔間先輩へと視線を投げれば、彼はたおやかな笑みを浮かべるだけで、何も言わずじっとこちらを見つめていた。一見優しそうなその視線の裏には『逃げるな』と脅しのようなそれが含まれている事を知っているから、また指先を握り、離しを繰り返しながら羽風先輩へと視線を戻す。
 本当にこんなことで未来が変わるのだろうか。
 半信半疑だけれど、巻き込んでしまったなら前に進むしかない。あの日、朔間先輩から言われたことを心の中で思い返しながら、もう一度右手をぎゅっと握った。

 彼曰く、人生は選択の連続。私がずっとこの一年をループしているのもなんらかの『選択』が原因で――私はそれを『願い事を叶えなかったこと』と認識している――そこをどうにかすれば時間は正常に流れるのではないか、と彼は話した。けれど、その『選択』が困難だった場合、また別の『選択』をすることで、違った未来が得られるのではないか、というのが彼の見解だ。所謂、裏ルート。
 願い事を叶えることだけを考えていた私は、なるほど、と彼の言葉を聞いて思った。どう転ぶか分からないけれど、その『裏』に賭けてみるのも手だろう、と。

 そうして彼の言うとおり、なら『わるいこと』をしてやろう、と晃牙くんと考えてみたはいいものの、残念ながら私と晃牙くんではろくな案が出てこなかった。万引きや、喧嘩や、盗みだとか、そういった犯罪の類いの提案は当たり前だけれど却下で――私はリセットされる保証があるとしても、彼らは確実に未来が待っているのだから――だとしたら早弁だとか授業をサボるだとか、そういう小さいものを提案してみたけれどそんな瑣末な事柄で未来が変わるとも思えない。

 一方で朔間先輩は『わるいこと』以上の提案はしてくれなさそうにも無かったし――そういう顛末で行き着いた結果がここなのだけれど、果たして彼に助力を求めて正解だったのだろうか。

 神妙な顔をしていたのだろう。私を見下ろした羽風先輩は「大丈夫だよ」と言い優しく頭を撫でてくれた。そして全てを理解したような優しい笑みを浮かべて、少し屈み、私とまっすぐ視線を合わせる。

「悪いことって犯罪とかそういうのじゃなくて、ちょっと心配かける位のことでいいんでしょ?」
「そうですね、誰にも迷惑がかからないような、そういうのがいいです」

 心配? と彼の言葉に引っかかりもしたけれど、概ね合っているので首を縦に振る。羽風先輩は折っていた膝を伸ばし一度頷くと、口元に指先を当てて「そうだなあ」と言葉を落とした。どうやら真剣に考えてくれているようで、彼は眉の間に皺を寄せながら小さく唸り、視線を宙へと投げる。申し訳ないな、と思いつつも私はただただ彼の言葉を待ち、佇む。

 視線を奥へとやれば、晃牙くんがやけに前のめりで楽譜を見つめているのが見えた。どうやらこちらの会話を気にしているようで、弦を指で弾きながらこちらを一瞥し、そしてまた譜面へと視線を戻す、を何度も繰り返している。指で弾かれた気もそぞろな音達はメロディにもなれないまま、ただただ軽音部部室に弱々しく響く。
 アドニスくんはそんな晃牙くんの隣で楽譜を眺めながら座っていた。どうやら集中しているようで、彼の視線はまっすぐに譜面に注がれたままだ。

「……じゃあ、無断外泊は?」
「むだん、がいはく?」
「一泊だけだけどね。それなら親にも適度に心配されるし、犯罪でもないでしょ?」

 長考の末、羽風先輩が出した結論に、もしかして家族に心配かけたいとかそういうことを思っているのかしら、と私は首を傾げた。だとしたら違うのだけれど、でも事情を知らない彼に本当の事を話すわけにもいかなくて、どうしていいか私は朔間先輩へと視線を投げた。
 だんまりを決め込んでいた先輩はそこでようやく「ほう、それは面白そうじゃ」と口を開く。同意を貰えて嬉しいのだろう、羽風先輩も楽しそうに「ちょっとした冒険だよね」と言葉を弾ませるし、朔間先輩はその言葉に何度も嬉しそうに首を縦に振っている。

 本当に無断外泊で未来が変わるのだろうか。いやでもいままで経験してきた中で無断外泊は無かったような気は、確かにする。とはいえ薄い記憶の中だからもしかしたら忘れているだけかもしれないけれど……。

 釈然としないまま言葉を探していると「それは、いいのだろうか」と控えめなアドニスくんの声が響いた。彼は譜面から顔を上げて、眉根を下げこちらを見つめている。

「良くないよ。でも、悪いことでしょ?」
「そうなのだが……」
「だから、一泊。それ以上は心配かけすぎるからだめ。ね? どう?」
「我輩はいい案だと思うが」
「にしたってどこに泊まるんだよ。学院か?」

 晃牙くんの一言に全員の表情が曇った。それもそのはず。ショコラフェスを終え、返礼祭まではまだ期間のあるこのタイミングでは、泊まる口実となるものが見つからないからである。例えば大きなライブを控えているから追い込みの練習をしたい、だとか、内装の準備をしなければならないから泊まりたい、だとか、そういった大義名分こそあれば申請も出せるのだろうけれど、狭間の暇である今この瞬間に泊まるような理由は見当たらない。
 かといって、一晩過ごせるお金が今手持ちにあるのかと言われたら……正直、無い。先月のお小遣いはもう半分以上使ってしまったし、おそらく手持ちは二千円、あるか、ないか。

 カラオケの夜のフリータイムにも厳しい経済状況に眉を寄せれば、晃牙くんの深々としたため息が聞こえた。

「……わかった、なら、俺様の家に泊めてやる」

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