星に願いを_13
考えたんだけどな、と晃牙くんが提案をしてきたのは、年が明けて少し経った頃だった。ショコラフェスを控えた校内の空気は、どこもチョコレートの香りで甘く彩られていた。かく言う私も、来るショコラフェスに向けてお菓子作りの練習をしている一派に混ぜてもらったため、衣服にはこれでもかと言うほど甘い匂いが染みこんでいるようだ。(ようだ、というのも私には分からないけれど、晃牙くんに歩み寄ったとき、すごく嫌な顔をされたから、おそらくそうなんだろうな、と思ったわけである。)
試しに袖口を鼻へと持っていき嗅いでみても、全く分からない。晃牙くんを見上げれば彼は無遠慮に首元に顔を寄せ、数度鼻をひくつかせ「すげえ甘い匂いさせてるな」と離れるや否や顔を曇らせた。
「(とつぜん、そういうの、やめてほしい)」
彼の顔があった辺りの首元を手で覆いながら「さっきお菓子作りに混ぜてもらったからかな」と努めて冷静に伝える。どくりどくりと心臓が響く。甘美な感情が血液に乗って全身に流れ、夏ではないのにとても暑い。
気付かれないようにぷいとそっぽを向いて「そんなこと言いに来たの?」と少々乱暴に言葉を吐けば、晃牙くんは「違えよ」と心外そうに言葉を尖らせる。
「場所変えるぞ」
そう言うや否や、晃牙くんは黙って歩き出した。渡り廊下には多くの人々が行き交い、流れていく。一方で立ち話に熱中する人たちも一定数居て、確かにここじゃ出来ない話だよね、と私も素直に彼の後ろについて歩いた。
冬が深まり、吐く息は白い。見上げれば葉を落としきった木々達が、風にあおられてか細い枝を震わせていた。ショコラフェスが近いからか、ハートを模したピンクと白の風船が至る所に浮かんでいる。廊下では装飾に似た衣装や、準じたジャージを纏った様々なユニットが忙しそうに駆け回っている。
白とピンクと茶色と。バレンタインの色で彩られた校内は忙しないけれどどこか浮き足立っている。浮力のあるその雰囲気のおかげで、おそらく重たい話をしようとしている晃牙くんについて歩く足さえ、ほんの少しだけ軽やかだ。
そうして歩いていると、不意に辺りの音が止んだ。目の前の景色と重なるように、少しだけ褪せた校内が見える。『ねえちゃん』と弱々しい声とともに振り返れば、そこにはショコラフェスの衣装に身を包み、眉を下げている光くんの姿があって、手を伸ばそうとした瞬間に、その幻想は掻き消える。
喧噪が戻り、振り返っても彼の姿はそこにはない。なにかあるのだろうか。妙な胸騒ぎに蹴飛ばされ駆け出したい衝動に駆られたけれど、起こるべくして起こることならばわざわざ出向く必要も無いだろう。
そう前を向けばそこには顔を強ばらせた晃牙くんがいて(こういった予兆を私が感じ取ると彼は決まってすごく渋い顔をする)和ませるためにへらりと笑って「バレンタインのチョコ、ほしい?」と笑えば、晃牙くんは仏頂面のままくるりと前を向いた。
「テメエがどうしても渡したいっていうなら、もらってやるよ」
その言葉に私はぴたりと動きを止める。いらないって言われるかと思った。断られる前提で話を振ったものだから、どうしようとしどろもどろに言葉を探していたら、晃牙くんは私を一瞥して「上等なの用意しとけよ」と笑った。
上等なのって、そりゃあ晃牙くんに渡すとなると真剣に厳選するよ、なんて口に出せない思いを抱えながら「コンビニのやっすいやつ買ってあげる」と気持ちとは正反対の言葉を吐き出した。
彼が迷い無く向かった先は軽音部部室だった。いつもは賑やかな声で溢れているそこはまるで生気を失ったかのようにしんと静まり返っていた。いつもとは違うよそよそしいその空気に気圧される私をよそに、晃牙くんは黙って入り、蛍光灯のスイッチをつける。柔和な光に満たされて、私はようやく一歩、軽音部部室に足を踏み入れた。
晃牙くんがミーティングスペースの椅子に腰掛けるから、私もそろそろと彼に寄り腰を下ろす。辺りを見回せば「今日は誰も居ねえよ」と晃牙くんが口にするので「そう」とだけ言い、背もたれに体重を預けた。これから重たい話をされるんだろうな、なんてことがなんとなく分かり、小さくため息を吐く。
「……一つ確認しておきたいんだけどよ」
「うん、なんでしょう?」
「……まず、テメエが……その、何度も、一年を繰り返すとして、話すが」
言いづらそうに言葉を切る彼に、そういえば彼にこのことを正式に肯定してなかったな、なんてことを思い出した。(だって明確に指摘されたのは、あの昼ご飯のときしかなかったんだもの)
彼の言葉を遮るのは申し訳ないけれど、これだけ尽力してくれているならちゃんと話しておかないと、と思い「晃牙くん、ちょっといい?」と口を挟めば、彼は気まずそうな顔を締め「ああ」と表情を堅くし、頷いた。
「聞く前に、一度ちゃんと話しておきたくて。晃牙くんはなんでその、私が何度もループしてると思ったの?」
「そ、それは……」
晃牙くんは気忙しく辺りを見回すと、肘をつき、その手に顎を乗せて口元を覆い隠しながら「夢に、見て」とぼそりと呟いた。「夢に?」と怪訝そうに繰り返す私に「テメエの状況だって眉唾もんじゃねえか!」と怒鳴り散らすので「別に疑ってるわけじゃ無いでしょう!」と思わず大声を返してしまった。
気まずくなり、互いに顔を逸らす。沈黙がちくちくと耳を刺す。
「……夢ってことは、その、よく見るの?」
「いや、流れ星を見た日とその次の日くらいだ。ちいさな既視感はよくあるけど」
「……それって」
晃牙くんもループしているってこと?
口に出していいのか、それとも不安を煽ってしまうから黙っていた方がいいのか。視線だけを晃牙くんへと向ければ「多分俺は違う」と、彼から言葉が零れる。違うのか、と胸をなで下ろすと同時に、なんでそれがわかるのだろう、と視線を宙に投げれば「なんとなく、そう感じるだけだけどよ」と言葉を言い継ぐ。
すごい、よくわかるね。
口にするより先に「テメエは顔に出やすいんだよ」と言われてしまった。そんなに顔に出ていたのだろうか。思わず口元を両手で覆い隠す。
「で? 俺様の仮定はあってるのかよ」
「……うん、そうだね。あってるよ」
「……案外はっきり認めるんだな」
「だって隠しても仕方ないし……」
「なんでそうなったんだよ」
「それは……」
言えない。だって、そんなこと言ったら、願い事からさらに遠ざかってしまう。言いよどめばどうやら晃牙くんは「分かってたら何度も繰り返してねえよな」なんてため息とともに言葉を吐き出した。嘘を吐くのは心苦しいけれど、私は黙って頷き、彼はそれを素直に受け止めてくれた。
「……確認してえんだけど」
「うん」
「テメエはこの状況から脱したいか?」
晃牙くんの言葉に私は素直に頷けなかった。脱したいのはもうずっと願っている。でも脱せないことも分かっていて、そして私が随分と前から『脱する努力をしていない』ことも踏まえると、頷いていいのかどうか、躊躇してしまう。
だって晃牙くんとは赤の他人に戻るけれど、このままずっとループを続けていれば、晃牙くんはいつも隣にいてくれるでしょう? 未来へ進めばもうあと一年しかそばにいられないじゃないか。長いループ生活の中で、そんな考えさえ過ぎったこともある。
「ごちゃごちゃ考えねえで、したいかしたくないかで答えろ」
うつむく私に降り注ぐ声。見上げて黙って頷けば、晃牙くんは少しだけ安心したように微笑み「じゃあ、提案なんだけどよ」と椅子に背を預け、腕を組んだ。
「吸血鬼ヤローが言ってたんだけどよ、未来なんて選択の連続なんだろ? だったらいままでやったこと無いことをやってみればいいんじゃねえのか?」
「やったことないこと……?」
「ぱっとは思いつかねえけど、俺様も手伝ってやるから、とにかく手当たり次第今までやってないようなことをやってみればいいじゃねえか」
「ほう」
突然、部屋の片隅から軋む音が聞こえた。私も晃牙くんも突然の物音に、小さく悲鳴を上げながら飛び退くように椅子から立ち上がり、空っぽのはずの棺桶を見つめる。
黒く重厚なそれはぎしりぎしりと音を立てながら、緩慢な速度で開いていく。部屋の主である朔間先輩は棺桶の蓋を開ききると暢気にも大きくあくびを浮かべ、思い切り伸びをし、驚き後ずさる私たちを見て、笑った。
「そうじゃなあ。『わるいこと』なんてどうじゃ?」