星に願いを_10

 次の日。レオンの散歩の時間にも、朝ご飯の時間にも、そして家を出る間際でさえ起きる気配の無い彼に書き置きと鍵を託して晃牙は家を出た。太陽が暖めきっていない冬の空気は肌に鋭く、ちくちくと晃牙を刺しては街の彼方へと吹き抜けていく。吐く息は白く濁り、歩いてまだ数分も経っていないのにおそらくまだ布団の中であろう零の姿を浮かべて、舌打ちを漏らす。ぐうすか寝やがって。家主は寒い中歩いてるのによう。起きたら顔中毛だらけになってやがれ。そうも思ったけれど、散歩から帰ると早々にこたつに入り込んだレオンの姿を思い出し、毛だらけは無理だな、と思い直す。
 それにしても寒い。日ごとに冬が深まっている気がして、晃牙はマフラーに顎を埋めた。

 そうして通学路を歩き、教室へとたどり着いた晃牙はマフラーも解かないまま椅子へと腰を下ろし、ぼんやりと教室を眺めた。新しい一日。過ごしたことのない時間。いつもと代わり映えのしない風景なのに、なぜかその時間が随分と貴重に思えた。

 授業が終わり昼休みになると、購買へと急ぐ軍団が足早に教室から飛び出した。晃牙もコンビニで買った袋を引っ提げてのろのろと教室を出る。すぐ近く、ほんの数歩先にあるA組の扉を開ければ、眠そうに大あくびを浮かべる彼女が見えた。昨日の彼女のように晃牙は迷わず足を踏み入れ、彼女の席まで歩く。

「ん? 晃牙くん?」

 薄ら浮かぶ涙を浮かべながら彼女はもう一度あくびをする。「午前中ようやっと終わったねえ」と間延びする声に心がぐらつきながらも、それでも毅然と彼女を見下ろして、口を開いた。

「飯、いくぞ」



 人気の無い場所がいいと思って選んだのは屋上で、晃牙の目論見通り、この寒空の中わざわざ高所で過ごす人なんて殆どいなかった。それでも一応陽当たりのあまりよくない、人気のない方を進んで歩く。彼女は「寒い」だとか「中で食べようよ」だとかの文句をこぼしていたのだが、晃牙が言い返さず黙って歩いたからか次第に呟く文句は減っていった。
 ただただ二人分の足音だけが響く。びょうびょうと容赦なく吹く風が、耳をつんざく。振り返ればスカートを押さえる彼女と目が合い「風やばいね?」と彼女が笑った。

 そうしてベンチまでたどり着き腰を下ろせば、彼女も素直に隣に座った。ぼそりと「今日は外で食べるには寒いと思います」と彼女が呟く。「人気の無いところはここらあたりしかねえだろ」と呟けば、彼女はからかうように両手で自身の体を覆い「変な気は起こさないでね」と笑う。「テメエ相手に起こすかよ」と言葉を吐き捨てれば「そ、だね」と言葉を切り「私も晃牙くんはちょっとなあ」とけらけらと笑った。

「……話がある」
「そりゃ話なくてこんな寒いとこ呼び出されたのなら、私だって怒るよ」
「いいから聞け……いいか……その」

 どう切り出せばいいのだろうか。勢いで放った言葉は続くことなく、その、だから、などと戸惑いの言葉だけが口からぽろぽろと零れる。お弁当箱を開いた彼女は怪訝そうに晃牙を見上げ「ゆっくりでいいよ」とそう口にして箸でミートボールを掴む。晃牙はそれを見て、ひとまず自分も食べようと袋からパンを取り出しビニールを破った。ぴり、と小さな音とともに裂ける袋。両手でパンを押し出しながら「変な夢をみるんだ」と晃牙はぽつりと、言葉を落とした。

「夢?」
「……テメエと、別れる夢」

 ぴたりと彼女の動きが止まる。しかしそれは一瞬で、彼女は笑い「付き合ってもないのに?」と鼻であしらい弁当を食べ進めていく。この反応は想定の範囲内だ。そう思いながら晃牙も一欠片パンを口に入れた。甘いはずなのに緊張で味がしない。唾液だけが口内に貯まっていく。随分と水っぽいそれを飲み込んで、彼女を見ればおかずを口に運んでいるものの、ぽろぽろと箸の隙間から野菜がこぼれ落ちていた。

「春にまた会おうって、もう一度友達になれるのが嬉しいって、テメエは言ってた」
「……そう、それで?」
「昨日の、吸血鬼ヤローに話していた会話も、俺は知っていた」
「……で?」

 話すたび、彼女の声が冷え切っていくのがわかった。とうとう彼女は食べるのをやめて、膝の上に箸を置き、晃牙の方へと目を向ける。値踏みするような視線を注がれつつ「テメエは、何度繰り返してんだ」と言葉を放てば、彼女は数度目を瞬かせて、そして強く弁当箱を握った。その手が震えているのは、寒さからではないだろう。

 震える唇から「馬鹿らし、おとぎ話じゃ無いんだから」と言葉が漏れるけれど、その声に力は無い。彼女の名を呼べば今にも泣きそうな顔をしている彼女の姿があって「漫画の読み過ぎなんじゃない?」とからかうような言葉とともに、彼女の瞳から涙が一筋こぼれ落ちた。
 突っぱねられたり誤魔化されたりするとは予想していたけれど、まさか泣かれるとは思ってもみなくて、慌てて袖口で涙の筋を辿れば「うわ!」と驚いたような彼女の声が漏れる。あ、そうだよな。普通はハンカチだよな。ポケットからハンカチを取り出して手渡せば「……遅くない?」と彼女は小さく笑った。

「テメエが素直に認めるとは思ってもいねえし、どうすればいいかわかんねえけど……俺様がどうにかしてやる。絶対にだ」
「……ねえ晃牙くん、一つ確認なんだけど」
「なんだよ」
「私たち、友達だよね?」

 彼女の問いに「当たり前だろ」と答えると、なぜだか彼女は寂しそうに「ありがと」とだけ、呟いた。

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