星に願いを_07

 最近のデジャブが酷いこと。彼女の様子がおかしいこと。昨日の帰り道と、それに重なる不思議な夢。
 ひとしきり話し終えたところで恐る恐る表情を盗み見れば、零は重々しい表情を浮かべながら晃牙を見つめていた。馬鹿にするような視線ではない。それでも値踏みするような、真実を図りかねているようなそんな眼差しに居心地が悪くなり「信じなくてもいいつったろ」と思わず無愛想な言葉を投げかけてしまう。

 そんな晃牙に零は表情を和ませながら「嘘だとは思っておらんよ」と首を横に振り「わんこはそういった冗談を言う子ではないじゃろう?」と言い継いだ。子ども扱いされているようなその口調にささくれのような苛立ちが沸いたけれど、すぐに押し殺す。こんなところに怒鳴り散らしに来たわけではないし、もし自分が逆の立場なら、そんな夢物語なんて笑って捨て置いてしまうことが容易に予想できたからだ。

「しかし全てが本当であれば、にわかに信じられない話ではあるが……これ。だから、嘘とは言っておらんじゃろう」

 険しい顔をしていたのだろうか。咎めるような零の言葉に、晃牙は慌てて零から視線を逸らす。小さなため息が聞こえて思わず唇を尖らせれば「信じておるから安心せい」と零の呟きが聞こえた。信じてはほしかったけれど、こうも簡単に信じられるとそれはそれで困ってしまう。だったらどうしてほしいんだってそんなこと俺にもわかんねえよ。困惑する心が思考について行かなくて、晃牙はただただ誰も居ない楽譜が溜まっている棚をぼうっと見つめた。
 どうやら随分と話し込んでしまったらしく、夕日の橙はもう闇の帳に溶け込んでしまっていた。今じゃもう自分たちの陰を視認することすら難しい。薄暗い部屋から窓の外へと視線を投げれば、藍色の空の向こうに僅かながら星が輝いているのが見て取れた。少し遠くにはまだ満月には満たない、それでも半月よりは満ち足りた月がぽっかりと浮かんでいる。灰色の雲は風に流されて悠々と泳ぎ、時折月や星を隠しながら、夜の海を泳いでいる。

「おや、もうこんな時間か」

 ぎしりと棺桶が軋む。晃牙がそちらへと視線を向ければ、薄暗闇の中、立ち上がり壁の方まで歩いていく零の姿が見えた。そして迷いなくスイッチに手をかけて、明かりをつける。二三瞬いて光り出した蛍光灯に、思わず晃牙は目を瞑ってしまった。「眩しかったな」と笑う彼の声が聞こえる。そろそろと目を開ければ白く塗りつぶされた軽音部部室と、そして悠々と棺桶に腰を下ろす零の姿が見えた。かち合う視線に彼はにこりと微笑む。

「いやしかし、この学院には嘘のような本当の話など腐るほどあるが、そういった類いの話は聞いたことないのう……要するに、わんこは一度嬢ちゃんと過ごして『お別れ』を告げられたことがあるという訳じゃな?」
「……」

 こうして自分の口以外から告げられると、殊の外胡散臭い。晃牙がした話はおおよそにそんな話だったし、的を射ている言葉だというのに、頷くのにどうしても躊躇してしまう。
 そろりと零を見れば「違うか?」と彼は首を傾げる。しぶしぶ「違わねえよ」と答えれば、零は苦笑を浮かべ「……我輩よりもそういうのに適任な子がいるんじゃが」とぽつりと言葉を落とした。途端に顔を曇らす晃牙に「まあ、よい」と彼は微笑むと、そのまま視線を床に落としてしまった。
 思考を巡らしているのだろう。人差し指を丸め口元に当てる零の姿を見つめながら、晃牙はふと、本当に話してよかったのだろうか、と膝の間で両手を組む。
 だってこれは、もしかしたら全て自分の妄言かもしれない。既視感は前々から合ったものの、不思議な夢を見たのは昨日が初めてだ。不思議な偶然が重なっただけかもしれないし、よくよく考えればそうだと思うサンプル数だって少ない。あの夢だってもしかしたら様子のおかしかった彼女を見たからこそ、浮かんだ夢だったかもしれない。

 部屋には沈黙。時計の針だけが等速に音を立てる。聞こえていた外の活発な声ももう聞こえない。こんな馬鹿みたいな話、言わなければよかったのだろうか。押し黙った彼が視界に入るたび、後悔がさざ波のように押し寄せる。

 しかしそんな晃牙の思考に反発するように、ずきりと小さく頭が疼いた。そしてその痛みと共に、ある情景が頭に過ぎる。
 満月になりかけた月。軽音部部室。ドアを開ければ吸血鬼ヤローとあいつの姿。手には見慣れないパンフレット。驚いたような二人の顔が同時にこちらを見て――。

「『近くにあるショッピングモールの地下のオープニングイベント……』」
「……わんこ?」

 頭の中に浮かんだフレーズを口に出せば、零が訝しむように晃牙を見つめた。しかし晃牙自身もどう答えていいかわからない。ふと頭に過ぎった言葉を、そのまま口に出しただけだ。
 なにか言い訳をしようと晃牙が口を開けば、それを制するように、こんこん、と控えめなノックの音が響く。零は晃牙からそちらへと視線を移し「どうぞ」と口にすれば「失礼します」とよく聞き慣れた彼女の声がした。

「こんな時間にすいません。朔間先輩に少し急ぎの用事が……晃牙くん?」

 息を飲んだように、彼女は目を丸めこちらを見た。「なんだよ」と声を出せば、彼女は慌てたように「なんでもない」と口早と呟き視線を零へと戻す。
 なんでもないなんて、明らかに動揺してんじゃねえか。
 あたふたと資料を確認し始める彼女に問いただしたかったけれど、少し急ぎの用事、というフレーズが晃牙の欲を押しとどめる。そして彼女の抱える資料の数々に、もしかしたら自分はここに居るべきでは無いのかもしれない、と晃牙は腰を浮かす。おそらく同じことを考えていたのだろう。零も晃牙を一瞥すると、彼女に「わんこには席を外してもらうか?」と首をかしげた。彼女は資料から顔を上げて、そして晃牙を見、首を横に振るう。

「ああ、大丈夫です。えっと一応これ、オフレコなんですけど……だから晃牙くんも黙っといてね? この近くにショッピングモールがあるじゃないですか。あそこの地下に新しくイベントブースが出来ることとなりまして、そのオープニングイベントにパフォーマンスをしてほしいとの依頼が……朔間先輩?」
「近くにあるショッピングモールの地下の……オープニングイベント?」
「はい、そうです。先輩は行ったことありますか? 結構いろんなお店が出てるんですけど……」

 彼女がパンフレットを開きながら説明をしているが、零の視線は明らかに泳いでいた。ちらりと晃牙の方を見て、そしてばちりと合ってしまった視線に晃牙は眉を寄せる。そんな顔されたって、俺だって驚いてるんだよ。そう言ってやりたかったけれど、熱心に説明をする彼女の前では言えっこない。
 そしてこの光景に、晃牙は強烈な既視感を覚えた。ショッピングモールのオープニングイベント。熱心に説明をする彼女と、それを聞いている零の姿。俺はこれを知っている。先生や他の奴らから聞いたわけではない。この光景に出くわしたことが確実にあるのだ。

「嬢ちゃん」
「はい」
「このことは、誰が知っているんじゃ?」
「うーん、はじめて声をかけたのが朔間先輩なので、椚先生が誰かに広めてなければ、朔間先輩と晃牙くんと先生達だけだと思いますけど」
「……わんこには事前に伝えておったか?」
「いえ?」

 質問の意図がわからない、と彼女は眉を寄せた。晃牙だって、昼頃に彼女からこんな話をされた覚えはない。いや、ないと言ってしまえば語弊がある。わからない。自分が何を見てきて、何を聞いてきたのか。頭の中に情報が錯綜して、ただただ気持ちが悪い。
 目の前が回る感覚に前屈みになり額を手で覆えば、零は書類を彼女に突き返して晃牙を一瞥し、そして努めて穏やかな口調で「すまんな」と微笑む。

「少し考えさせてくれんか? 返事はまた後日にでも」
「ええ……ただ、お時間のない企画だそうなので、他のユニットに声をかけてしまうかもしれませんが」
「ああ、良いよ。すまんのう、ちょっとブースが狭そうじゃし」
「そうなんですよね」

 晃牙がほんの少しだけ視線を上げれば、顔を曇らせて書類を捲る彼女の姿が見えた。ホッチキスに阻まれて、捲られた紙が丸く膨らむ。やはり、同じような光景を晃牙は確かに見たことがあるのだ。そして彼女が次に口にする言葉も、手を取るようによくわかった。
 ずきりと頭が痛む。紙がまた捲られる。捲られた紙が、視界の端でゆらゆらと頼りなさげに揺れていた。

「晃牙くんが暴れるには狭そうですし」
「俺が暴れるには狭いんだろ」

 ほぼ同時に口にしたその言葉に彼女は「ハモった」とおどけたように笑った。なにも知らなければ、彼女のように手放しに笑えたのだろうか。胃の奥が吐き気を誘うように熱くなにかが滞留しているようだ。突き刺さるような零の視線にも反応を返す余裕はない。

「……晃牙くん?」
「なんでも、ねえよ」

 なんでもなければ、よかったのに。

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