星に願いを_06

 彼女は不機嫌な顔で椅子に座っている晃牙を見つめ「重役出勤だ」と笑った。
 先の小テストを遅刻してしまった罰で出された課題は、暫く机に向かい合わなければならない程度には難しく、二度寝をしたとはいえ寝不足も手伝って晃牙の機嫌は地を這う程に悪かった。その機嫌を臆面もなく表に出したせいで、クラスメイト達は先ほどから遠巻きに晃牙を見つめるだけで、誰一人話しかけてこようとはしない。
 しかし彼女は――おそらくこの雰囲気を感じ取っていないからだと思うが――教室のドア越しに晃牙を見つけると軽く手を振り、そして反応が無いとわかると自分の教室ではないのに無遠慮に飛び込んできて、そして「昨日は大丈夫だった?」と平然と笑い、空いていた晃牙の前の席に腰を下ろした。
 その笑顔は普段と変わらない笑顔だ。件の夢は、昼を過ぎた今でも晃牙の脳裏に生々しく焼き付いていて、夢の彼女の泣き顔と、今の彼女の笑顔が重なり、なんとも言えない気分になる。

「うっせえよ。つうか何のようだよ」
「ううん、用事っていう用事は無いんだけど……昨日体調悪そうだったから、ちょっと気になって」
「いちいちんなことで来んじゃねえよ。暇なのか?」

 彼女の気遣いさえも、心をざらつかせる。自身ではコントロールできないような苛立ちに任せ、攻撃的な口調で彼女に応答してみれば、彼女の表情はぐっと曇った。そして曇らせたまま「機嫌悪いなあ」と恨めしそうな声を落とす。

「心配しただけでしょ」
「大きなお世話だ」

 考えるより先に、するりと言葉が喉を通った。その言葉に彼女は更に眉を寄せ「そ。まあそれだけ吠える元気があるなら心配いらなかったね」と一言言い置いて立ち上がり、踵を返し教室の入り口へと向かって歩き出した。
 ふとその背中に、昨晩の夢が蘇る。「おい」と、立ち上がると同時に飛び出した言葉に彼女は歩みを止め、晃牙の方へと振り返った。

『もう一度晃牙くんと友達になれるの、嬉しいよ』

 夢の声が聞こえる。花が開くように、ふわりと、しかし確かに彼女の声がした。

「テメエは、俺の……『友達』か?」
「は?」

 その言葉に彼女は怒ったように顔を歪めて、大股でこちらへと引き返してきた。そして額に青筋を浮かべながら「なに、また『友達じゃない』とでも言うんですか?」と苛立ちを滲ませた声を晃牙へと浴びせる。
 その剣幕に、やべえマズった、と晃牙は思ったけれど後の祭り。「そんなことねえよ……」と椅子に腰を下ろしながらそう弱々しく返せば、彼女は呆れたように一つ息を吐いて「なにが言いたかったの」と先程よりも幾分冷静な(それでもほんの少し怒りは滲ませた)声でそう言葉を落とし、じっと晃牙を見つめた。

「(何が言いたいって)」

 晃牙は夢の中の言葉を心の中でなぞる。

「(テメエは俺の『友達』だろうが。もう一度友達って、なんだよ)」

 しかし、これはあくまで自分の夢の話だ。今の彼女には決して関係のないはず。それでもなぜか心のどこかで今の彼女とその夢との関係性が否定しきれなくて、晃牙はただただ閉口するしかできない。

 押し黙った晃牙に彼女は机を見下ろし、そしてなぜかにたりと笑った。訳知り顔で「ふうん」と一つ言葉を落とした彼女に「なんだよ」と晃牙が口を開くと、先程の不機嫌はどこへやら。彼女はなぜか嬉しそうに笑いながらその場に屈み込んだ。そして机の端に両手を添え、屈んだまま晃牙を見上げる。

「課題、手伝ってほしいんだ?」

 彼女のとんちんかんなその言葉に「ちげえよ馬鹿!」と声を荒らげれば、彼女の楽しそうな笑い声が教室の中に殊更よく響いた。

 そして日が陰る頃、晃牙は神妙な面持ちで軽音部部室の扉に手をかけていた。もう何百回も引いたドアだ。少し力を入れれば、簡単に扉は開くだろう。なのに心臓は早鐘を打ち、呼吸は浅い。頭の後ろの方が白く熱く、唾を飲み込む音がとてもよく聞こえた。

 今日は軽音楽部の活動日でもUNDEADの活動日でもない。とはいえ、二つともこれといった活動日が決まっているわけではないので、もしかしたらアドニスやひなた達がいる可能性もある。居たら出直せばいい話だ。わかってはいるけど、聞き耳を立ててしまう。
 集中して耳を澄ませば、扉の奥からは物音はしないように思えた。おそらく誰もいないだろう。そう予測したのに、どうしても指先に力が入らない。簡単に開くということを知っているというのに、どうしてか、その一歩が踏み出せない。

「お入り」

 部屋の中から声がした。まだ口にする言葉は固まっていないけれど、その声に、多少癪ながらも『許された』ような気がして、晃牙は覚悟を決めて手に力を込めた。

 電気をつけていないその教室は落ち行く夕陽だけが光源だった。橙色に染め上げられた見慣れた部室には棺桶に腰掛ける先輩――朔間零だけが居て、彼は神妙な面持ちの晃牙を見て少し驚いたように目を丸め「わんこか」と呟いた。

「わりいかよ」
「いや、随分躊躇っておったからな……体調はどうじゃ?」
「寝たら治った」

 それだけ返事をして、適当な椅子に座る。練習をするでもない。しかし話すでもない。気だけがそぞろ歩きしている状態の彼に零はくすりと笑い、そして深く棺桶に腰掛けた。
 体重をかけられたそれはぎいと軋みを上げる。彼は緩慢な動きで近くにあったトマトジュースをたぐり寄せそれを飲み込む。晃牙は横目でそんな彼の所作を見つめる。
 夕日に照らされて浮かび上がる、長く伸びた影が二人分、壁に貼り付いている。少しだけ開いた窓から、冬の冷たい空気が吹き込んだ。橙色の光は晃牙のギターケースも、零の棺桶も、ひとつひとつ平等に、そして丁寧に塗りつぶす。

 落陽に目を細めながら「『辛くても叶うまでずっと追いかけなきゃいけない』夢の話か?」と零は口を開く。晃牙がそちらを見れば、彼は紅の瞳を細めながら「アドニスくんが、わんこがくる少し前にやってきてな」と足を組んだ。ぎしりとまた、棺桶が響く。

「妙に心に残ってしまったと。あのとき嬢ちゃんは自分たちの話をしていたと思ったが、どうやらそうではないような気がする、と」

 夜空に流れ星。晃牙の脳裏に昨日と、そして最初に見た夢の光景が重なって見えた。細部は異なっていたけれど、あれは確かに両方『昨日』の景色だったと、なぜか確信を込めてそう言いきれる。あの夜、二人で帰ったあの夜。彼女はなにを願ったのだろうか。そして三人で帰ったあのとき。彼女はなにを思っていたのだろうか。

「……信じてくれなくても、いい」
「話しておくれ」

 随分と優しい声音に、晃牙は顔を上げた。そこにはUNDEADの朔間零でも、軽音部部長の朔間零とも違う、また別の異質な雰囲気を醸した彼が座っていた。

 三奇人の朔間零。

 そんな言葉が、晃牙の脳裏に浮かんだ。

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