星に願いを_02
「晃牙くんが倒れたって聞いたんですけど!」ノックもそこそこに乱入してくる彼女に対して、おそらく連絡した張本人は嬉しそうに顔を緩ませながら彼女の名前を呼んだ。こいつ、俺様をだしにしやがったな。アドニスの強い勧めにより練習室の片隅で寝転がっていたその身を起こせば、普段は冷静な彼女が顔を歪ませながら一目散にこちらへと駆け込んでくる。無残にも無視されてしまった羽風先輩は上げていた腕を下ろし(つうか抱きつけると思ってたのかこいつは)じろりと晃牙を睨み付けた。ちょっとまてこれは俺のせいじゃねえだろ。そう言ってやりたかったけれど、先程の心配された手前邪険にも出来なくて、噛みつくのはやめようと彼女に視線を注げば、大層多い荷物を抱えた彼女は顔を強ばらせ、晃牙の前に座り込んだ。
「大丈夫……?」
「大げさだっての。気分も悪くねえし、身体も怠くねえよ」
そう言ってのければ彼女は安堵するでもなく神妙に眉を寄せて値踏みするように何度もこちらを眺める。その念入りとも言える視線に眉を寄せれば彼女は我に返ったように目を瞬かせ、そして「ごめん、心配で」と視線を床に落とした。いくらなんでも心配しすぎだろうが。張り付くような視線に「大げさなんだよ」とため息を吐けば「でも倒れたって聞いたら心配くらいするでしょ」と怒ったように声を尖らせる。
「大丈夫じゃよ、嬢ちゃん。様子を暫く見ていたがおそらくもう動けるじゃろう――しかしまあ、大量な、荷物じゃな?」
零の視線が彼女から彼女の持っている荷物に注がれる。通学鞄に大きめな紙袋四つ抱えた彼女は零の言葉に身辺を見回し、そして照れたように笑った。
「ちょっと仕事を請け負い過ぎちゃって」
紙袋から覗く見覚えのあるユニット衣装に、そう言えば補修しなきゃいけないものがいくつもある、と彼女が今朝方話していた内容をぼんやりと頭に浮かべる。急ぎではないけれど今夜にいくつか終わらせたくて、と彼女が紙袋に詰め込む量は『いくつも』の単位を担うには随分と多くて、呆れ果てたのが記憶にも新しい。だったら荷物を持って帰るのを手伝ってやるよ、と進言して六時半に待ち合わせをしていたのだが――。
晃牙が壁に掛けられた時計を見上げれば、まだ時計の針は五時を指し示していた。予定の時間よりも随分早い。彼女が良ければ、このまま合流して帰るのが得策だろう。練習だって続く気配はないし、それどころか薫や零は既に制服に着替えている。アドニスはまだ自主練しているから体操服だが、おそらくもうそろそろ切り上げるつもりなのだろう。
まだ明るい外を見つめながら、勿体ないことしてしまった、と思い知り晃牙はため息を吐く。
「用事はまだ残ってんのか?」
「ううん、大体片付けてきたとこ」
「わかった、じゃあ着替えるから待ってろ。帰るぞ」
そう言うと彼女は慌てて首を横に振るい「一緒に帰るけど荷物は持たせないからね」と紙袋を守るように自分の背後にかき集める。その細腕で何を言ってんだ、と思い眉を寄せれば「病人でしょ」と彼女は唇を尖らせた。病人ではねえよ、と言いたかったけれど、彼女の強い意志の光る瞳に気圧されて、グットその言葉を飲み込んだ。
そんな会話に割って入ったのは薫で、彼は不機嫌を顔に貼り付けたまま「二人で帰る約束してたの? ずるいなあ」と声に不満を滲ませた。彼女は晃牙から薫へと視線を移し「ずるくはないです」と口にする。晃牙も彼女に同調するように「ずるくはねえだろ」と言い放てば、薫は「二人してー」と不満げに漏らし、そしてちらりと彼女の紙袋を見て、不適に微笑む。
「ね、晃牙くんに任せるのも可哀想だし、俺がその荷物持ってあげるから一緒に帰ろ?」
「先輩に荷物を持たせられるわけないじゃないですか」
彼女は微笑み薫からの好意を華麗に避ける。即答にも近いその速度に「なんで俺先輩なんだろ」と薫は口惜しそうに言葉を落とす。一緒に帰る帰らないでんな大げさな……と呆れながらも「つうかそのくらい持てるっつうの」と立ち上がり、彼女越しに紙袋を奪い取れば、彼女は怒ったように「病人にも持たせられません!」と声を荒らげた。
そんなやりとりを続けていると、くつくつと控えめな笑い声が晃牙の耳に届く。視線を投げれば、零は大層愉快そうに「ごもっともじゃな」とその紅い瞳を細めた。
「なら俺が運ぼう」
「……アドニスくん?」
どうやら自主練は終わったらしい。晃牙から難なく荷物を取り上げたアドニスは額に浮かぶ汗を拭うことなく、じっと晃牙と彼女を交互に見る。そして「俺は先輩でも病人でもないからな」と微笑み、そのまま自分の鞄の方へと歩いて行ってしまった。俺様だって病人じゃないっつうの。
一言文句を言ってやろうと彼の背中を睨んでいると、隣から「え……?」と、随分と戸惑った彼女の呟きが聞こえた。この流れでアドニスの立候補は別段変なことではないように思えたのに、彼女はまるで信じられないようなものを見る目つきでアドニスと、そして遠くなる紙袋を眺めている。
「なんで」
彼女の言葉が漏れる。目の前の空気を振るわすような、ほんの微かな声量だったから、おそらく隣に立つ晃牙しか気がついていない。
なんでって、そんなに嫌なのかよ。
晃牙が彼女に声をかけるよりも先に、熱心な視線に気がついたのだろう、アドニスは振り返り、口を開く。
「大量の荷物をお前に持たせるわけにはいかないだろう……もし持たせることを気にしているのなら、大神を家まで送るのに付いてきてくれないだろうか」
「あ? 余計な事言ってんじゃねえぞ」
「大神、休んだとはいえ油断は禁物だ。……もしお前が良ければの、話なのだが」
彼女は逡巡した後「わかった」と首を縦に振った。その言葉にアドニスは嬉しそうに微笑み、そのまま振り返り、帰り支度を始めた。心配性なやつ、と思いながらも晃牙も振り返り制服に手をかける。今更男の着替えを見たって騒がねえだろ、と思いつつも一応彼女に断っておこうと振り返れば、彼女は「ずるくない?!」と騒ぎ立てる薫に「ずるくないです」とわざとらしい辛辣な態度を取っている。
ちくり、と頭が痛んだ。あのときの、ブラックアウトしたときと同じような痛みだと、晃牙は目を瞬かせる。痛みに目を細め彼女らを見れば、なぜか彼女の輪郭だけが歪んで見えた。しかし一度目を瞬かせればいつもの光景が広がっていて、釈然としないこの状況に「疲れてるかもしれねえ」とぽつりと、人知れず晃牙は呟きを落とした。