星に願いを_01

 デジャブ、と言ってしまうのが一番しっくりくると最近になって気がついた。例えば世間話をしながらこの状況でこの話をしたことがあると思う、だとか。偶然出会った奴を見ながら以前こんなこともあったなと思う、だとか。普通の生活を送っていてごく稀に起こるその感覚が、近頃の晃牙にはやたらめったら多かった。デジャブ。心の中で繰り返してみる。既視感、デジャブ。言い慣れないその響きに首を傾げながらも、不意に湧き上がるその感覚に名前をつけることが出来たことがほんの少し嬉しかった。そうだ、俺は頭がおかしくなったわけじゃねえ。別に誰にでも起こる現象だろう。
 しかしこれは――デジャブというものはそんなに頻繁に起こるものだろうか。例えば毎日必ず一度、そういう感覚に襲われるなんてことは、普通なのだろうか。

 しかしこの気持ちを打ち明けようなんてことは晃牙は考えていなかった。口にすれば妙に胡散臭くて薄っぺらい言葉にしかならないことは知っていたし、それこそ、ああデジャブって言うんだよ、なんてうさんくせえ保険医に言われたらそれこそプライドが傷つく。
 だから晃牙はその感覚を胸に抱えながらも日々をいつも通り過ごしていた。日を追うほどに多くなるその感覚は時折晃牙の心を焦らせたけれど、体調にはさほど影響もないし、なにより何分間も続くようなものでもない。放っておけばいつかこんな感覚消えてくれるだろ。

 しかし現実はそう甘くはなかった。それは冬も深まったある日のこと。練習室には大音量で音楽がかけられ、晃牙はフォーメーションの確認もかねて新曲のダンスを通しで踊っている所だった。
 重低音で響くドラムの音が、床に反響して足から伝わり心を揺らす。鏡の前での自分の姿を確認しながらも、テンポの良い音楽に晃牙の口角は上がりっぱなしだった。本来なら全員で歌うパートということも手伝い、歌い出したい疼きは興奮となり心に灯をともす。心臓の音と自分の吐息がメロディに混ざり練習室の空気を満たしていく。首筋に張り付いた髪の毛も、流れる汗も全く不快ではない。楽しい。全身で音楽に満たされる感覚に恍惚に包まれていた晃牙の思考を、突然、闇が遮った。

 テレビの電源が消されるような、そんな感覚に似ていた。
 いままで彩り溢れていた世界が一瞬にして黒く染まり、音が止み、静寂が響く。
 闇は、一瞬だった。

 断じて、ステップを踏み外した訳ではない。急に鈍器で殴られたような頭痛が起こり、立っていられなくなったのだ。平衡感覚が鈍り、目の前がぐらりと揺れる。重心を支えきれなかった足は床を滑り、そのまま背中からどんと、晃牙は仰向けに倒れた。見慣れた天井がやけに遠く感じる。目の前がちかちかと明滅する。状況を飲み込めない晃牙の耳に届いたのは、やけに焦った、薫の声だった。

「ちょ、ちょっと大丈夫?」

 いの一番に声を上げて晃牙の視界に入り込んだ彼は、普段はつり上げていた眉を情けなくも下げて「すごい音、したんだけど」と言葉を落とす。どうにも彼は最近後輩に構うのが好きらしい。普段ならすぐに浮かぶ憎まれ口も頭に浮かばず、ただ絡まった思考を解くことなく薫を見上げていれば、その後ろに零がひょこりと顔を出した。そのまましゃがみこみ「頭は打っておらんか?」と尋ねるので晃牙はひとつ頷きを返す。全く打っていないというわけではないけれど、そんな大事に到るような打ち方はしていない。

「……起こすぞ」

 いつのまにか隣に居たアドニスが晃牙の背中に腕を差し込み、上半身を起き上がらせてくれた。テメエら心配しすぎなんだよ。そう言葉が浮かんだけれど、なぜか言葉は喉を通らなかった。代わりに絡まった思考だけが、晃牙の脳内をぐるぐると回る。
 なんなんださっきのは。こんなの、体験したことねえぞ。いままで練習で倒れたことなんて、なかったのに。
 晃牙はただ呆然と座り込む自分の身体を見下ろす。今はアドニスの腕のおかげで座れているけれど、おそらく彼が腕を抜けばまた床に倒れ込んでしまうだろう。そう思うほどに、全身から力が抜けていた。

 そう呆けている間にも重傷だと思ったユニットメンバー達は「冷やすもの、取ってくる!」だとか「わんこ、大丈夫か。返事はできるか」とか「救急車を呼ぼう」なんて携帯を取り出したり、とにかくまあうるさいことこの上ない。戸惑いが薄れ、思考がクリアとなり、騒然としているこの状況を認識できた辺りで、身体に力が戻ってきた。
 真っ暗な画面を片手で必死にタップするアドニスに「電源がついてねえのに電話できるはずねえだろ」と声を出せば、すんなりと音は響いてくれた。そして身体を自身の力で起こし、ようやく「こけただけだっつうの」と弁解すれば、ぴたりと、三人の声は止まった。しかし代わりに注がれる、うるさい程の視線。それを散らすように晃牙が腕を軽く振れば、彼らの表情は安堵したように緩んだ。

「……あー心配して損した」

 心底うんざりしたように薫がそう呟いて、冷却剤を投げて寄越す。片手でそれを受け止めた晃牙は軽く足を動かして捻っていないことを確認すると、一応打ってしまった頭にそれを当てた。あまりの冷たさに軽く身震いをしてしまったけれど、熱を持った身体には心地よい。

「こけた、ではないだろう。あれは……」

 携帯を持ったままのアドニスが言葉を探すように眉を寄せた。思うところがあるのだろう。薫も零も同調するように頷くけれど、本当のことを説明できる自信もない晃牙は「こけたっつってんだろ」と突っぱねるように言葉を吐く。
 だってあんな感覚、どうやって説明すればいいんだよ。
 薄く広がる苛立ちを覚えて、それを発散しようと立ち上がれば零は露骨に顔を顰めて「わんこ」と咎めるような声を上げる。

「今日はもう休んだほうがよい」
「あ? 何腑抜けたこと言ってやがる。俺様は大丈夫だっての」

 先程の熱を逃してしまったことは惜しいが、まだ練習時間には余裕がある。それに視界が開けてから気がついたのだけれど、新曲は先程から垂れ流しっぱなしだ。飽くなき好奇心が疼き、心を蹴飛ばす。歌わせろ、踊らせろと、本能が叫んでいる。

「大神、だめだ。今日はもうよそう」

 しかしそんな欲望を遮るようにアドニスは硬い表情を浮かべながら首を横に振るった。薫もアドニスに連なるよう「そうそう、近くにライブもないわけだし体調管理も仕事の内だよ」とへらりと笑ってみせるので「テメエ練習サボりたいからって」と晃牙が噛みつけば、薫は先程までの笑顔を消し「本当に俺がそう思って言ってると思ってる?」と、随分と冷たい声でそう言い放った。
 そんな彼の強い口調に思わず閉口してしまう。揃いも揃って休みを進言する彼らの圧に負けて「分かったよ」と言えば彼らの表情が安堵したように緩まった。その慈愛に似た表情にこそばゆい気持ちが肌を粟立てる。

 つうかちょっと倒れたくらいで大げさなんだよ。晃牙が釈然としない気持ちを抱え、目の前の鏡へと何気なく視線を送った。そしてごくりと生唾を飲み込む。
 流しっぱなしのユニットソングが響く練習室の鏡には、随分と青白い顔をした自分とそっくりな『誰か』が、そこに立っている気がしたのだ。

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