大嘘つきの大行進_07
次の日も、晃牙くんは学校へは来なかった。しかしどうやら体調は快方へ向かっているらしく、昼過ぎにUNDEADのグループメッセージへ「明日は行く」とのメッセージが入っていたそうだ。まるで昨日の怠惰を見抜くかのように「俺がいなくても練習しろよ」とのお小言付きで。そんなお小言に蹴飛ばされてやってきた羽風先輩は、柔軟体操をしながら「晃牙くんいないなら今日も休みでいいじゃん!」なんて不満を垂れ流す。朔間先輩も「わんこがおらんと練習にならんからのう」と羽風先輩のそれに重ねるように鬱々としたため息を吐いた。そんな先輩達の言動をよそに、彼らの隣でアドニスくんは黙々と柔軟を続ける。
いつもならここに晃牙くんの怒号が混ざるはずだ。いつもより一音少ないだけなのに随分と寂しく感じるのはなぜだろうか。ストッパーがおらず垂れ流される文句を聞き流しながら、私はクリーニングから届いた衣装を部屋の隅に置いた。
もう練習も佳境に入り、正直なところここまで来ればプロデューサーである私が練習に赴く必要もない。だから、今日が最後。晃牙くんの気遣いが残してくれた、最後の練習参加日。
ハンガーラックを組み立てて袋からビニールに包まれた衣装を掛けていく。黄色い付箋に彼らの名前をかいて、それぞれの衣装のビニールの上に貼り付ける。『大神晃牙』とペンを滑らせながら、昨日の彼の姿を脳裏に浮かべる。
あの後、すっかり寝付いてしまった晃牙くんを置いて、私は日が落ちきる前に彼の部屋を出た。彼のあの言葉の真意。おそらく私の気持ちを分かっているんだろうな。そしてわかっていての拒絶なのだろうな、と思うと胸が痛む。冷静に考えればアドニスくんにすらばれていたのだから、いくら自分の事とはいえ、あの聡い晃牙くんが気付かないわけもないか。
練習室はまだ寒い。授業の間中保たれていた冬の空気が、拒絶するように私の身体を蝕んだ。吐息が白く濁ることはないが、体感は外の空気か、それ以上だ。
「随分と寒そうじゃの」
「寒いです……先輩方は大丈夫ですか?」
「きみも柔軟すれば暖かくなるんじゃない? 俺とする?」
羽風先輩が顔を綻ばせて手招きをする。私は苦笑を浮かべ首を横に振り、空になった紙袋をラックの隣に置いた。
「衣装、ここに置いておきますね」
「おお、すまんな。ありがとう」
「はい、じゃあ私はこれで」
「え?! もう帰るの?」
「今日の用事はこれを渡しに来ただけなので」
次の予定は特に入れていないが、おそらく私がこの場にいても何も出来ることはあるまい。床に置いていた鞄を背負うと、羽風先輩は眉を寄せて「えええ」と非難の声を上げた。
「晃牙くんがいたらもう少しいるくせに」
「嬢ちゃん、まさか贔屓か。贔屓はいかんぞ」
「違いますー。今日は通し練習でしょう? 私がいても役に立ちそうにないですし」
「次はいつ来るんだ?」
「うーん、特に決めてないけど、もう書類関係も雑務も一通り済ませちゃったしな。他のユニットのライブのこともあるし……」
あまり乗り気ではないことを察知したのだろう。アドニスくんは私の言葉に眉を寄せて「大神と、なにかあったのか?」と尋ねる。突飛な言葉に目を丸くする私をよそに、先ほどまで不満を垂れ流していた先輩方は色めき立ち「なにかあったの?!」「弱っているときの看病は効果てきめんじゃしのう」なんて期待に満ちた視線を私に浴びせた。
まさか――暫定だが――振られたなんて言い辛くて「ああ、まあ」と言葉を濁すしか出来ない。どうやらたどたどしさが照れと捉えたらしく、羽風先輩は「付き合ったの?!」なんて声を上げるし、朔間先輩は嬉しそうに「そうかようやくわんこにも春が……」なんて顔を緩ませていた。
残念ながらその逆なんです。撤回できない空気を私は手を打ち鳴らし、散らしていく。
「ほら、真面目に練習しないと。本番前なんですから」
「えー、詳しく聞きたいんだけど」
「先輩方が思っているようなことは全くありませんでしたよ」
「本当かのう」
「本当です」
どうやら存分にほぐし終わったらしく、羽風先輩が「うそくさいなあ」と言いながら立ち上がった。朔間先輩もアドニスくんも立ち上がり、そして各々の荷物の方へと向かいタオルをもってまた鏡の前に集まる。
緩慢とした空気が、引き締まる。スピーカーにmp3プレイヤーを差し込んだ朔間先輩は鞄を背負い立ちすくんでいる私を見て、へらりと笑った。
「まあ嘘でも本当でも良いよ。丁度良いから手伝っておくれ。わんこがいなく人手不足なんじゃ。嬢ちゃん、この後は特に用事はないんじゃろう?」
「……ないです」
「じゃあ音楽を流しておくれ。ボタンを押せば流れるからのう」
そうして朔間先輩は二人の元へと戻っていく。「いきなり通す?」「録画はするか?」なんて小さな会議に耳をそばだてつつ、壁際に鞄を下ろしスピーカーの方へと向かう。
もしかしたら使うかもしれないと、隅に固めてあったコードリールを持ち上げて歩けば「嬢ちゃん、カメラもお願いしたい」なんて言葉が飛んできた。「はあい」と一言返してスピーカーを通り過ぎ、彼らの正面にコードリールを置く。コンセントを差し、これまた端に固めてある三脚とカメラを持ち、コードリールの側でそれを組み立てた。
「正面だけで大丈夫ですか?」
「良いよ」
「格好良く撮ってね?」
「善処します」
カメラを起動させて、練習室の壁を使いホワイトバランスを整える。確認用だしこれで大丈夫だろうと角度を合わせていると、画面越しに朔間先輩と目が合った。画面の向こうの彼は、私が画面を見ていることに気がつくと緩く手を振った。それに気がついて羽風先輩も大きく手を振る。戸惑ったアドニスくんの表情が面白くて、笑いを漏らしながら「もうはじめますよ」と伝えれば「はーい」とゆるゆるとした返事とは相反して、彼らは位置取り直しながら、真っ直ぐにレンズを睨み付けた。
もうこうして彼らの練習を見ることも少なくなるのだな。録画ボタンを押して、音を立てないようにその場から離れる。スピーカーへ寄って「流します」と声をかけてボタンを押せば、カウント音が鳴り響く。
六カウント後に流れ出した耳慣れた曲。先ほど文句を垂れ流していたと思えない彼らの迫力に私はただただ目を奪われていた。