大嘘つきの大行進_04

 わんこは今日、お休みじゃよ。朔間先輩はそう言って棺桶の中に戻り、その重厚な蓋を閉めた。私は暫く閉じた棺桶の前で目を瞬かせて、そして我に返りその蓋を軽くノックする。いや、晃牙くんが休みだからってレッスンが休みになるわけじゃないじゃないですか。
 ごつごつと叩きながら「練習はしないんですか?」と尋ねれば、棺桶の中から随分と間延びした「お休みじゃよー」との声が聞こえた。ちょっと、納得できない。

「晃牙くんがお休みでも練習できるでしょう?」
「わんこがこないと伝えたら薫くんも休むって言っておったし」
「なんですかその理屈!」
「わんこもいない、薫くんもいない。我輩もいないならアドニスくんだけになるじゃろ? それは可哀想だから、お休みなんじゃよー」
「いや、朔間先輩ここにいるじゃないですか」
「我輩は留守じゃよう」
「いる!」

 揺らそうとしたその腕をアドニスくんが慌てて止めた。そして棺桶から私を引き剥がすと彼は棺桶の隣にしゃがみ込み「わかった」と素直な返事を零す。留守のはずの吸血鬼はご満悦気味に「アドニスくんはいい子じゃのう」と声を上げた。棺桶越しで顔が見えないはずなのに、なぜだか彼が今顔いっぱいに喜びを滲ませていることが手に取るようにわかる。

 やはり納得できない私はじとりと馬鹿でかい棺桶を見下ろすしか出来なくて、悶々とした気持ちを眉間にめいいっぱい集め皺を作りながらため息を吐いた。アドニスくんはそんな私を見上げて「大丈夫だ、休むことも大切だろう?」と口にする。そりゃあ普段なら別に言わないけど、だってライブも目前に控えた貴重な練習時間じゃないか。でも、ユニットの練習方法に口出すほど偉いわけでもないし。
 解せない気持ちと踏み込んではいけないブレーキがごちゃ混ぜになって体内に駆け巡る。なんとか落ち着かせようともう一度苛立ちを吐き出して、私もアドニスくんの隣に座った。座って、こつこつと棺桶の側面を軽く叩く。

「……わかりました。口出ししてすいません。じゃあ私はこれで帰りますね」
「おお嬢ちゃん。嬢ちゃんには仕事があるぞい」
「仕事?」
「今日一日中レッスンに付き合って貰う予定が潰れて、暇じゃろ?」
「いや、他の仕事に当てようかなと」
「わんこが一人暮らしで生き倒れてないか我輩心配なんじゃよ」
「……はい」
「見てきておくれ」
「……はい?」

 ぱかりと、棺桶の蓋が開く。ほんの少しの隙間から、きらりと紅の瞳が見える。留守のはずの朔間先輩は「生存確認じゃよ、ほれ、大切なユニットメンバーじゃし」とその瞳を細めてじいとこちらを見る。
 思わずアドニスくんの方を見れば、アドニスくんも大きく頷き「そうだな、それがいい」と随分と素直に首を縦に振る。ほほう。もしかしてあれか。きみたち、そういうことなのかい?

「晃牙くんがお休みなのは、本当ですか?」

 訝しげに朔間先輩に尋ねれば彼は棺桶の蓋を押し上げ顔を半分出した状態で「本当じゃよ」と口にする。頭で蓋を支えているせいか、彼が頭を動かす度にぎいぎいと棺桶は軋みを上げる。

「なんなら凛月に尋ねてみるといい。あの子はわんこと同じクラスじゃからの」
「俺も鳴上から大神が休んでいることは聞いた。安心しろ、本当だ」

 真実味を帯びてくるその情報に私は深々とため息を吐いた。そうか、お休みは本当なのね。確かに今日一日空いてしまったのは本当だ。残っている仕事も別に今日しなければいけないものではない。それに、晃牙くんの体調も、ほんのちょっと――いやかなり、わりと、気になってはいる。

 中途半端に開いた棺桶の蓋を押し上げれば、朔間先輩は驚いたようにこちらを見つめた。押しつぶされていた髪の毛が圧から解放されてふわりと揺れる。

「……わかりました。行ってきますけど、これはあくまで朔間先輩に指示されたからであって、そういうことじゃないですからね」
「そういうことでいいんじゃよ?」
「良くないです」
「なんじゃ強情じゃのう。我輩も薫くんも老い先短いというのに、嬢ちゃんは憂いを残して卒業しろと言うのか?」

 責めるようなその視線に、思わず顔を逸らせば隣にいるアドニスくんと目が合ってしまった。アドニスくんは真直にこちらを見つめていて「そろそろ素直になっても良いと思う」と呆れを帯びた声をあげた。まさか、アドニスくんにまで言われるなんて。

「薫くんが好きというのもちょっと苦しくなってきたじゃろう?」
「おそらく大神も気がついていると思う」
「うそ、じゃあなんでこんな協力みたいなこと……」

 棺桶を押し上げていた手から、それが離れる。蓋を押し上げきって圧から解き放たれた朔間先輩は棺桶の中に座り込んで、一つ大きく欠伸を零した。潤む目元からひとつ雫を拭い、そして寝転び、しゃがみ込む私の目をのぞき込んだ。

「それは、嬢ちゃんもわんこも、素直じゃないからじゃないかのう?」

 どういう意味ですか、と問おうとする前に朔間先輩は「営業終了じゃよう」とその場に顔を伏せてしまう。営業終了というか、営業前でしょうが! と憤然と立ち上がる私に小さく笑いを零しながら、アドニスくんは棺桶の蓋を静かに閉めた。

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