大嘘つきの大行進_03
「君ってまだ俺のこと好きなんだ?」まるで少女漫画のような台詞を口にしながら、羽風先輩は悠々と歩く。否定する言葉も見当たらずおずおずと頷けば、先輩は「そっかあ」となんてことないように笑った。
放課後の廊下は部屋の中から響く声はあれど、道を行く人は少なかった。降り注ぐ斜陽は私を、先輩をオレンジ色に塗りつぶす。廊下にぶちまけられたその光のなかで、小さな埃がきらきらと光を吸い込み揺れ動く。影と光、橙と紺色の道を交互に歩きながら、私は先輩の隣を歩いていた。
細く長く伸びる先輩と私の影が重なる。こつこつと、おなじ早さで足音が響く。金色の先輩の髪の毛に光が乗り、滑り、廊下へと落ちる。眩しいなあと目を瞬かせれば「本気では、好きになってくれないの?」と冗談めかしに彼が口にする。慌てて首を横に振れば「残念だなあ」と、言葉とは裏腹に楽しそうに彼の声が弾んだ。
「先輩に、迷惑はかかってませんか?」
「かかってないよ。むしろ君が練習見に来てくれる機会が増えたから、俺的には嬉しい限り」
「そうですか」
安堵の息を吐けば、先輩は微笑み「気にしなくていいよ」と笑う。つられるように私も微笑めば、羽風先輩は「そうそう、笑顔笑顔」とおどけたように笑う。この人は、人を楽しませる天賦の才能がある。本領発揮されるのが対女性、というのが玉に瑕だけれど。
波紋のように広がる嬉しさに、私はこの人の後輩で良かったと、心の底からそう思った。微笑みながら先輩を見上げれば、羽風先輩は少しだけ寂しそうに笑って「晃牙くんも、気付いちゃえばいいのにね」と、独りごちた。
「……そうでしょうか?」
「成就したくないの?」
「でも、アイドルを贔屓したくないですし」
「晃牙くん、誰かにとられちゃうかもよ?」
驚いた彼の表情が、私の頷きを見てみるみる曇っていく。諦めとか、悲しみだとか、そういった気持ちを混ぜ込んだ表情を浮かべながら「難しいね」とぽつりと呟いた。
先輩がそんな顔、することないのに。話題を変えようと頭の中であれこれ考えてみるけれど、彼から伝播された悲しみがじわじわと私の輪郭を犯した。
晃牙くんに、彼女。でも、晃牙くんが好きな人と一緒になれるならそれが一番良いのだろう。少なくとも、その場所は私ではない。そうだとはわかってはいるのに、でもどうしたって彼の側に居たいのだ! と心の片隅で意固地な私が主張する。それが痛みを伴うものでも、矛盾の壁に阻まれたものであっても、好きなことには変えられない。
「……でも、好きなんです」
「知ってるよ、晃牙くんのことばっか見てるもんね。おそらくだけどね、恋をしている時点でもう贔屓はしているんじゃないかな?」
「え?!」
「だってこうしてウチによく来るってことは他のユニットよりも頻度は多いってことでしょ?」
「確かに……」
贔屓をしていたのか、既に。言葉の重みに直視できなくて地面に視線を落とした。よく磨かれた床にぼんやりと冴えない私の顔が映る。踏みつけるように一歩踏み出せば、影の中に顔が隠れてしまう。行き場のない感情を床に擦りつけていると「悪い事じゃないよ」と優しい先輩の声が降ってきた。
「わるいこと、ですよ」
「ううん、悪くない。し、別に問題起こってないならいいんじゃない? 俺たちだってライブ前だから君の助力が必要なのは嘘じゃないし」
「でも、じゃあ、ライブが終わったら……」
「こんなに来る必要はないかもね、口実もないわけだし」
当たり前じゃん、と心の中でプロデューサーの私が叫ぶ。他のユニットの事もあるわけだしUNDEADにばかり肩入れはできないでしょう。恋愛をするためにここに来たわけじゃないでしょう。目を覚ましなさい。
わんわんと響く正論に唇を強く結ぶ。また俯いてしまった私に、羽風先輩は軽く一度、頭を小突いた。
「だからさっさと告白しちゃいなって」
「……どの面下げて、そんなこと言うんですか」
言葉を落とす私に、彼は「鏡見る?」と顔をのぞき込んでにこりと笑う。ぐずりだした鼻を指先で軽く擦り「結構です」と私はそっぽを向いた。
自販機は、練習室から少し離れた場所に設置されていた。一人なら売店でも良かったのだが、先輩の練習時間を奪っていると考えると近場で済ませておいたほうが良い。
部屋を出るときに朔間先輩に持たされた黒色の革の財布――曰くUNDEAD共用の財布らしい――から千円札を自販機に差し込む。勢いよく飲み込まれるお札と、灯り出すランプ。
羽風先輩は「どれにしようかな」と楽しそうに並べられた飲み物を見上げた。彼が人差し指を伸ばす。ボタンの上を行ったり来たり、何度も繰り返す。
「朔間先輩はトマトジュースですよね」
ボタンを押せば、音を立ててジュースが落ちてきた。パックジュースになってしまうが、他の飲料よりもおそらくこちらがいいだろう。
取り出し口からトマトジュースを取り出して、近くに備え付けられてあった机の上に置く。羽風先輩はじっとこちらを見つめて「そうだねえ」と言葉を零し、スポーツ飲料のボタンを押した。
がたんと、また自販機から飲み物が吐き出される。
「アドニスくんはスポーツ飲料かな」
「晃牙くんはどれにします?」
「選んであげたら?」
二本分買ってもまだランプが欠けることはない。最近晃牙くんがよく飲んでいる飲み物のボタンを押して、転がり出たそれを取り上げ机の上に並べれば「よく見てるね」と羽風先輩が笑ってお茶のボタンを押した。合計四本。これで全てだ。しかし羽風先輩は未だ灯りきっているランプの上で指を動かしていた。ううん、とひとつ唸ると、リンゴのパックジュースのボタンを押す。かたん、とジュースが落ちる。
「二本飲むんですか?」
そう尋ねれば「君の分だよ」と先輩はなんてことないように言って笑った。そしておつりを回収して、自分の飲み物と、机の上にあったスポーツドリンクとトマトジュースを抱えて歩き出す。
取り出し口に残されたジュース、そして机の上にわざとらしく残された晃牙くんの飲み物を拾い上げて、離れていく背中を追った。
「私が持ちます!」
「いいよ。でも晃牙くんのまでは持てないから、持ってあげて」
「……先輩、案外お節介ですよね?」
行動の意図が分かってしまい顔を顰めれば、先輩は嬉しそうににこりと笑った。
「可愛い後輩達の恋の成就を願って、何が悪いの?」