大嘘つきの大行進_02
羽風先輩がカウントを口ずさむ。時折歌詞を織り交ぜたその旋律は先ほどから何度も何度もBメロとサビの間を行き来していた。彼のリズムに合わせてステップを踏む晃牙くんとアドニスくん。羽風先輩も二人の後輩を眺めながら、軽快にステップを踏んでいく。鏡の向こうに、晃牙くんの渋い顔とアドニスくんの真剣な表情が見えた。晃牙くんを筆頭にした三角のフォーメーションは、端から見ている私にも分かるくらい、いびつな形をしている。印としてつけた場ミリから互いに半歩はみ出して、それでも一生懸命彼らは足を打ち鳴らす。床とゴム底がこすれて甲高い音が響く。先輩のカウントの声が比例するように大きくなる。
羽風先輩が一際大きく「セブン、エイト!」と声を上げた瞬間に、晃牙くんは一度大きく足を開けて宙を蹴り上げた。そのまま着地をしてターン、アドニスくんの後ろに――回るはずだった。
「うおっ!」
「大丈夫か、大神」
どすん、と、鈍い音が練習室に響く。波紋のように広がる静寂を「はいはいやめやめ」と両手を叩きながら羽風先輩が追い払った。尻餅をついた晃牙くんは忌々しそうに床を見つめて、一つ舌打ちをする。アドニスくんが差し出してくれている手をはねのけて自分自身で立ち上がり、悔しそうに「くそっ」と一度床を蹴りつけた。
その態度に羽風先輩は「ワンちゃんは素行がなってないなあ」と呆れ声。
彼らの練習を端から眺めていた朔間先輩も「わんこは子供じゃからのう」と深々とため息を吐いた。あまりにも重い音がしたから気が気じゃない私を見て、朔間先輩は「大丈夫じゃよ、わんこは強い子じゃから」と小さく笑みを零す。
立ち上がってステップを復習しだす彼の背中を見て、確かに、と思った。それでもやはり心配で、もう一度視線を投げれば、朔間先輩が私の意識をこちらへと戻すように、こつこつと机の上を指先で叩いた。
私と朔間先輩が囲む簡易テーブルには今度行うライブ資料がずらりと並んでいる。衣装の決定稿、簡易的なセットリスト、必要な小道具。ライブも間近に迫った今日は、資料に相違がないか朔間先輩に確認して貰うことになっていた。本来なら彼らの練習時間にお邪魔するような事柄でもないのだが、これも晃牙くんの計らい故だ。
散漫していた意識を?きもどし「すいません」と先輩に謝り、新しい書類を彼に手渡す。先輩は「よいよい」と微笑みながら見ているのか見ていないのか分からないスピードで判を押していく。
「……よそ見しててあれですけど……ちゃんと見てますか?」
「ん? 見ておる見ておる。大体、嬢ちゃんの作ったものだから問題はないじゃろう?」
先輩は笑いながら、そう言ってまた一つ判を押す。円が欠けることない綺麗なその判を眺めながら、重くのしかかる信頼と責任に悲鳴を上げる胃をそっと撫でた。
何度も確認したから問題はないとは思うけれど、こうも厚い信頼を感じてしまうと、途端に不安になる。判を押してもらったそれを眺めながら、問題はないかどうか、もう一度確認する。うん、おそらく、大丈夫そう。だと、思う……。
不安にまみれた私をよそに、朔間先輩はリズムを刻むように軽快に判を押していく。
そしてまた一枚、とステージの設営の資料に手を伸ばして、そして彼ははんこを押す手を止めた。資料を手に取り、そして眉を寄せて「やはりだめじゃったか?」とぼそり呟く。私も肩を竦めて「これが限界だそうです」と返事を返す。先輩は「そうか」と表情を落として、そして資料を机の上に置いた。
今度のライブはショッピングモールの一角で行われるミニステージだった。持ち時間は長くて十分程度。披露する曲目も決まっており、小規模とあってほぼほぼ順調に事は進んでいた。問題は、ステージの狭さだ。いつものライブとは違い、随分とステージは狭い。
「あっぶねえ!」
「……! すまない」
「……いや、いい。 今のは俺も浅かった」
声につられるように晃牙くん達を見れば、四苦八苦しながらなんとかダンスを形にしようとしている姿が見える。狭いステージだから出来ない、なんて言えない。なんとか四人で頭を捻り出し合った新しいフォーメーションは、まだ彼らには馴染んでないらしく悪戦苦闘の時間が続いていた。
「あのさ、晃牙くん。ここの踏み込み、体重かけすぎなんじゃない?」
「あ? どこだよ」
羽風先輩が歌詞を口ずさむ。晃牙くんが素直にステップを踏む。私がここに到着してから何度も聞いているささやかなメロディが練習室に響く。
「ほらそこ。いつもみたいに全体重乗せちゃだめなんだって。重心は残して爪先だけ踏めばすぐに次のステップに戻れるでしょ」
羽風先輩のアドバイスを素直に取り入れてステップを踏む晃牙くん。アドニスくんも隣で自らの振りをさらっている。羽風先輩の手拍子に合わせて踊る彼らを眺めていたら、またこつこつと机を叩かれ現実に引き戻された。
「……すいません」
「別に良いよ。ほれ、最後の書類じゃ。確認しておくれ」
紙の束を受け取り、一枚一枚判が押されているか確認する。書類リストと照らし合わせて漏れがないか確認し、私はそのままクリアファイルにそれを納めた。
「はい、大丈夫です。ありがとうございました」
「いやいや。いつもありがとうな。嬢ちゃんがこうして纏めてくれるから、我輩達も練習に注力が出来る」
「そう言って貰えて嬉しいです」
そう微笑めば、向こうから「じゃあ曲流してやってみよう」との羽風先輩の声が聞こえた。つられるようにそちらを向けば、羽風先輩が音楽プレイヤーを操作して音を流し、邪魔にならないところまでそれを滑らせる。
先ほど口ずさんでいた場所が近くなる。身体を音に馴染ませるよう緩く動いていた二人が、しかりと前を向いて踊り出す。羽風先輩の口からカウントが漏れる。晃牙くんもアドニスくんも、歌詞を口ずさみながら真剣にステップを踏む。
繰り返していた問題のメロディが流れる。ドキドキしながら彼らを見守れば、今度はアドニスくんと晃牙くんはぶつかることなく、自分の定位置に収まることができた。
流れ続けるメロディの中「出来たな!」と嬉しそうにアドニスくんが晃牙くんに笑いかける。晃牙くんも満足げに笑い「あったりまえだろ!」と喜色に満ちた声を上げた。
羽風先輩はそんな彼らに一度微笑み、そしてよたよたと音楽を垂れ流すプレイヤーの元へと歩き、音楽を切った。
「……随分と素直になったと思わんか?」
朔間先輩の声が聞こえた。晃牙くん達から目を逸らし朔間先輩のほうへと目線を投げれば、彼は机に肘をついて慈しむように晃牙くん達を眺めていた。
「そうですね。随分、素直になりましたよね」
私も彼らをもう一度眺める。嬉しそうにアドニスくんにじゃれつく晃牙くんの顔は、今日一番といって良いほど晴れ晴れしかった。随分と難関だったのだろう。アドニスくんも、羽風先輩も、隠すことなく嬉しさを顔に滲ませていた。
「春頃が嘘のようじゃのう、喜ばしいかぎりじゃ」
「全く素直じゃなかったですもんね……ほんと、変わりましたよね」
「薫くん」
「晃牙くん」
はたりと、声を止めた。朔間先輩を見れば、先輩も目を丸くしてじっとこちらを眺めている。確かめるようにもう一度口を開いて名前をなぞるが、すれ違うその名前に朔間先輩と私はまた目を瞬かせて、今度は同時に「え?」と首を傾げる。
「……どなたの話をされてました?」
「我輩ははじめから薫くんの話をしておったよ。……ああ、嬢ちゃんはそうじゃったな。すまんすまん。わんこも素直になったよ」
「その妙な納得やめてくれます?」
「いやだって嬢ちゃんははなからわんこしか見てないじゃろ?」
「見てます!」
「うっせえぞ外野!」
晃牙くんの怒号に私は慌てて口を噤んだ。朔間先輩は悠々と笑いながら晃牙くんに「すまんすまん」と緩く手を振る。どうやら本気で怒ったわけではないらしく、晃牙くんはその言葉にそっぽを向いてドリンクを煽る。
「ていうか朔間さんいつまで休憩してるわけ? 俺もそっち混ざりたいんだけど」
羽風先輩の不満そうな声に晃牙くんがぴくりと反応した。汗を拭く先輩と、筆記具を片付け始めた私を交互に見て、一度視線を逸らし、ドリンクをもう一度煽る。
四分の一程残っていたそれを全て飲みきり、晃牙くんは立ち上がった。ラベルを剥がしながらゴミ箱の方へと歩き、キャップを外しゴミ箱の中へ。分別はする質らしく、お行儀良くペットボトルキャップとラベルは燃えるゴミ箱へと放り込んでいた。そして暫くゴミ箱を眺めて、視線をこちらへと向ける。先ほどの朗らかな顔とは違う、少しだけ険しい顔。晃牙くんは一度もごりと口を動かして、そして唇を結ぶ。悩むように視線を床に投げて、そして決意したようにこちらを睨み付けた。
「……暇だったら、羽風先輩と飲み物、買って来いよ」
随分言い淀んでいたと思ったら、それか。露骨過ぎるその指示に私は言葉をなくして晃牙くんを見た。どうやら恥ずかしかったのか、それともただ単に慣れていないのか「いいから買ってこいよ!」と彼は声を荒らげた。
私は練習を終えた羽風先輩を見上げた。先輩も、私を見下ろす。くつくつと笑う朔間先輩の声が聞こえるような気がするが、今は気にしなくても言い事柄だろう。
羽風先輩はにかりと笑い「じゃあ、ご指名ってことで」と私の腕を掴みひいた。私は力のまま、素直に立ち上がる。
「仕方ないなあ。可愛い後輩の為に買ってきてあげるよ」
晃牙くんは私と羽風先輩を暫く見た後で「はやくしろよ」と言い捨ててその場に座り込んだ。ぎこちない彼の優しさを感じつつ、その背中に「行ってきます」と言葉を投げたが、その返事は返ってくることはなかった。