答えは大体五線譜の上_05
憂いを含ませて「秘密」と呟く彼女の横顔が、焼き付いたように離れない。雨も降っていないのに二人で仲良く傘の中に居る姿を見かけたとき、気がついたら足は走り出していた。だけど二人にかける言葉が見つからず、浮かんだまま吸血鬼野郎と吠えれば、彼女はとても驚いた顔で、朔間先輩は不機嫌な色を滲ませながらこちらを振り返っていた。密な関係ではないことは知っている。でもあの距離は、どうにも腹が立った。何に腹が立ったか、誰に腹が立ったのか、考えてみれば見るほどに思考が絡まり苛立ちが生まれる。
そんなもやもやを腹に抱えたまま練習室へ向かってみれば、そこにはアドニスと羽風先輩がいた。羽風先輩は俺を見るなり「遅刻だよ」と茶化すように笑う。時計を見れば確かに約束の時間から十分ほど過ぎていた。
ろくに練習に来ないやつに言われたくねえよ、なんて言葉が生まれるが、遅刻は遅刻。噛みつく言葉を砕いて飲み込み「悪い」と一言口に出せば、羽風先輩は狼狽えるように「え、どうしたの。気分でも悪い?」と訝しげにこちらを見つめてきた。
「うるせえなあ、遅刻は遅刻だろ……吸血鬼野郎はどうした?」
「朔間先輩は転校生とライブの打ち合わせがあるらしい。後で合流すると聞いた」
「なっ……」
昼間の情景が浮かび、思わず言葉を漏らしてしまう。羽風先輩はその狼狽えを見逃さなかったようで、にやにやと頬を緩ませながら「なにかあったの?」と嬉しそうに聞いてくる。練習室の隅に鞄を置いて、ブレザーを脱ぎながら「テメエには関係ねえだろ」と鏡の向こうの羽風先輩に吠える。鏡の向こうの先輩はアドニスと目を合わせて「関係ないだって」「関係ないのか?」「関係あるかもよ」とひそひそとおしゃべりを続ける。
つうかお前ら、いつからそんな仲良しになったんだよ。
続く中身のないふわふわとした会話から意識を背けてシャツを脱ぐ。暖房は入れているものの、冬の空気が濃く残る練習室の寒さに露わになった肌がブルリと震える。急いで体操服を着てジャージを着込めば、冷やされた布がまた身体を冷やす。
さみいと小さく呟いてズボンを履き替えれば、彼女の名前が聞こえた気がした。慌てて振り返れば、目を丸くする二人の顔。先に口を開いたのはアドニスで「羽風先輩の言うとおりだ」と驚き、こちらを見て、そして羽風先輩へ視線を移す。羽風先輩は呆れたようにこちらから視線を逸らさず「こんなにうまくいくなんて」と目を瞬かせていた。
「んだよ」
「いや、転校生の名前を出せば大神が反応すると」
「んな訳ねえだろ」
「でも反応したじゃん、今」
うるせえ!と手に持っていた制服のズボンを床にたたき付ければ、先輩はけらけらと笑った。その態度が気に入らなくて音を立てて歩み寄れば、先輩はにやついた顔を正すこともせずに歩み寄る自分の顔をじっと見つめる。睨み合いは暫く拮抗する。アドニスの困ったような声が耳に届くが、視線を逸らす理由にはならなかった。
「何が言いたいんだよ」
「初々しいなあと思って、そんなにあの子のことが好き?」
「あ? 違うに決まってんだろ」
「そう? でも今日すごい剣幕で朔間さんにつっかかっていかなかった?」
言い逃れできない指摘に声が詰まる。視線を逸らしてしまえば、追い打ちをかけるように羽風先輩が「ほら、盗られたくないのも恋って歌詞にも書いてあるじゃん」と新曲の歌詞が書かれたプリントをポケットから取り出した。まさか携帯してるとは思わなくて――さらには暫定だが歌うパートも色分けされていた――勤勉なその態度に怯んでしまう。どうやらアドニスも同じだったらしく、プリントをのぞき込んで「羽風先輩、やる気に溢れているな」と呟いていた。
「まあね、そろそろちゃんとしようかなって」
「そうか、嬉しい」
「男に喜ばれてもね。ほら、晃牙くんちゃんと読みな。折角朔間さんがこういうテーマにしてくれたんだから」
「……? この曲は大神のための曲だったのか?」
「さあね、でもまあおじいちゃんはお節介焼きだから」
困惑しつつ歌詞カードを奪い取る。前回は譜面と歌詞、両方に気を回していたから気付かなかったが、歌詞を追っていけばまるで見透かされているような文章の数々が並んでいることに気がつく。
これが恋の歌? 認めたくない。浮かぶ彼女の顔にさらに戸惑いが生まれる。
「何が言いたいんだよ」
羽風先輩に向けた言葉なのか、それとも朔間先輩に向けた言葉なのか。はたまた顔も知らぬ作詞の人に向けた言葉なのか。口に出した自分自身もわからなかった。