答えは大体五線譜の上_04

 ストールを肩からかけても寒い日は続く。あの日から、晃牙くんに露骨なことを暴露してしまったという罪悪感と、いやでもあれは決意の日だったから、なんて言い訳が心の中で跋扈していた。イケメンがこんなにいるのに恋に落ちないの? と聞かれることが多いことは事実。そしてアイドルとプロデューサーが恋愛すべきではない――アイドルの卵とプロデューサーの卵ならなおさら――と思っていることも紛れもない事実。
 一つだけわかっているのは、理解と、本能は決して重なる物ではないということ。

 あの日、晃牙くんが肯定してくれなくて良かったと心の底から思う。欲を言えば「恋愛なんてしてる場合じゃねえだろ」なんて叱り飛ばしてくれれば良かったけれど「興味がない」とかそういう返事が聞けただけ、成果はあった。これで私もすんなりと諦められる。

 冬の空を見上げれば、ぐずついているらしく灰色の雲で埋め尽くされていた。夏のそれよりも薄く、膜のように広がる雲にため息を吐けば、目の前の空気が僅かに白く濁る。息を吸えば、冷え切ったそれが喉を通り肺に広がった。新鮮な空気を取り入れている気持ちになり何度も何度も息を吸っていると、背後から「腹式呼吸の練習かえ?」なんて暢気な声と足音が聞こえる。振り返れば朔間先輩が力ない足取りで微笑みながら歩いてきている。薄曇りだけれど日傘は必須らしい。肩にかけている中棒がきらりと光る。

「こんにちは、先輩。お散歩ですか?」
「そうじゃよ、嬢ちゃんも一緒にどうじゃ?」

 そう言って先輩は傘をこちらに傾ける。誘うようなその動作に少し迷い、しかし予定があるわけでもなかったので先輩に歩み寄り、傘の下に入った。先輩は嬉しそうにこちらへと中棒を傾けてくれる。まるで雨が降っているみたいだ。
 おかしくなって僅かに笑いを零せば、先輩は悪戯にちいさく「濡れてしまうぞい」と笑った。私はそんな先輩の傘の手元に指を滑らせて「じゃあ、入れてもらったほうが持つと言うことで」と先輩の方に傾ける。朔間先輩は傘から手を離して「それじゃあお言葉に甘えて」とゆるり歩き出した。

「新曲、出来上がったって聞きましたよ。アドニスくんから」
「そうかそうか……して、アドニスくんは他に何か言っておったか?」
「不思議な歌だって言ってました……そんな不思議な歌なんですか?」
「ううん、不思議ではないのじゃが、まあ少しアドニスくんには大人だったかもしれん」
「えっ」

 驚いて私が一歩離れたら、傘の生地が先輩の髪の毛にぶつかった。「嬢ちゃん。大丈夫じゃ、年相応の曲じゃよ」と彼の呆れ声が聞こえる。慌てて謝り朔間先輩に当たらないよう日傘を奥へと傾ければ、彼は一つため息を吐いて「大人っぽい曲でもいいじゃろう。我輩達、過激で背徳的なんじゃから」と拗ねたような声がした。

「そうですね……大丈夫です、ちょっとびっくりしただけです」
「我輩達がそういう歌を歌うことが?」
「いや、朔間先輩と羽風先輩ならなんとなく想像できるので……アドニスくんかあ」
「見た目は大人っぽい子じゃろ。似合うと思わんか?」
「言われてみれば確かに……似合うかもしれない」
「わんこはどうじゃ?」

 言われるがまま、少しアダルトな雰囲気な曲を歌う晃牙くんが頭に浮かぶ。衣装もいつものユニット衣装ではない、着崩した、色気の溢れる衣装を描き……私は緩む口元を誤魔化すように咳払いをした。「どうした?」と尋ねるその声に、顔を向けないまま「似合うと思います」とだけ返せば、朔間先輩はとても嬉しそうに笑った。

「練習して、聞かせられるところまで到達したら嬢ちゃんも聞きにおいで」
「楽しみにしてます! どんな曲なんですか?」
「恋の歌じゃよ」
「こい」

 晃牙くんの「興味ねえ」の言葉が頭に浮かぶ。浮かべながら「晃牙くん歌えるのかなあ」と呟けば、朔間先輩は小さく笑って「大丈夫じゃよ。わんこはだって、恋しているじゃろ?」と微笑みかける。その言葉に私は「えっ」と小さく言葉を落として歩みを止めた。気が付かずに歩き続けていた朔間先輩がまた傘の生地に衝突する。恨めしそうに振り返る彼に謝罪の言葉を吐かなければならないのに、言葉がでない。
 目を何度も瞬かせながらようやく「晃牙くんが、恋?」と繰り返す。朔間先輩は「驚くことでもないじゃろう」と足を止めてじいとこちらを見つめた。そして傘の生地から逃げるように、一歩、こちらへと歩み寄る。紅の目が一心に私を見下ろす。手元をきゅっと握って先輩を見上げれば、先輩は笑うでもなく怒るでもなく、ただ感情なく私を見下ろしていた。

「アイドルが恋愛するのは反対かえ?」
「いえ……だって、そんな、人の感情なんて私に口出しする権利なんて、ないですし」

 そうだ、何を動揺しているんだ。私は諦めたのだから、ここは友人として――祝福は厳しいとしても――協力する気概は見せるべきだろう。なのに心は荒れ模様で、少しでも気が緩めば泣いてしまいそうだ。
 手元を握る力は緩まらない。爪が白くなるほど握れば、先輩はその手に自分の手をそっと重ねた。随分と冷たい手だ。私も人のことを言える程暖かくはないが、先輩の手は氷のように冷たかった。
 朔間先輩は私と目線を合わせるように膝を曲げて屈む。視線は外れない。真っ直ぐこちらを見つめて来るので視線を地面に投げれば、先輩は咎めることなく私の手を優しく包む。

「そうじゃよ。人の感情に口出しする権利など誰も持っておらん。嬢ちゃんの感情も、例外なく、じゃ」

 揺れる心に顔を上げれば、先輩は小さく笑った。笑って私の手の甲から手を離して、中棒を掴む。先輩が膝を伸ばすと同時に、ゆるりと傘も持ち上がる。手を離せば先輩は笑って「嬢ちゃん」と私の頭に手を置いた。

「嬢ちゃんは、晃牙のことが好きなんじゃろう?」
「……あの、その」
「いいよ。好きじゃないなら聞き流しておくれ。もし好きなら、晃牙の事を宜しく頼む」
「え、でも晃牙くんって好きな人が」
「ああそれは――」

 先輩が口を開くより先に「吸血鬼野郎!」と怒号が響いた。見れば晃牙くんが真っ赤な顔をしてこちらを見ている。走ってきたのだろうか。荒い呼吸は整わないまま、彼は乱暴な足音を立ててこちらへと歩いてくる。
 朔間先輩は露骨に顔を顰めて「間が悪い」とだけ呟いた。どうやら耳敏く拾ったらしく晃牙くんは「テメエがわけわかんねえことしてるからだろ!」と乱暴に私を傘から引っ張り出して、背に隠す。ほんの数秒――しかし長い間に思えた――対峙していたが、朔間先輩の呆れたようなため息で、張り詰めた空気は緩む。

「わんこは本当に好きじゃの」
「あ?!」
「よいよい……わんこは我輩のこと大好きじゃもんな?」
「寝言は寝て言え!」

 ああなんだ。恋って、そういう。先輩の言葉に合点がいって、途端、脱力感に襲われた。まだ睨み続ける晃牙くんから視線を外し「先輩愛されてますね」と言えば朔間先輩は日傘を傾けてにこりと一つ笑顔を零した。そして黙って歩き去って行くので、晃牙くんと二人でその後ろ姿を目線で追う。

 角を曲がり、消えてしまったその場所をぼうっと眺めていたら、晃牙くんが少しばつの悪そうに「なにやってたんだよ」と彼にしては小声で、ぼそりと呟いた。

「そうだね……秘密、かな」

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