答えは大体五線譜の上_03
曲が終わった。余韻と軽音楽部室の静けさが混ざり、心地よく辺りに漂う。開け放たれたカーテンの向こうに、宵口の空が見えた。マジックアワーを少し過ぎた空は、もうほとんど藍で満たされている。羽風先輩はたゆたう余韻の中「いい曲じゃん」と嬉しそうに声を上げた。一度しか聞いていないはずなのに、先ほどのメロディをなぞるその姿に、負けじと譜面を睨み、歌詞を追う。うろ覚えながらも耳に入るそれは脇道をそれていないように思えた。こういうところは、悔しいが流石二枚看板の片割れだと思う。
「この曲は、誰に向けた歌なんだ?」
アドニスが朔間先輩に目線を向けた。そう言えばこの前、どんな曲にもターゲット層という物が存在すると教えて貰ったばかりだったか。生真面目なその質問の返答に耳を澄ませていると、朔間先輩はこちらを見て小さく笑った。見てんじゃねえよと、反射的に舌打ちをする。
「今回も中高生――我輩達と同世代向けの歌にしているよ。今度のライブの客層も、おそらくその辺りじゃろう?」
「ふむ、確かにそうだ……考えられているのだな」
「好きな歌を歌うのも大切じゃが、誰に何を伝えるかを考えるのも大切なんじゃよ、アドニスくん」
来年はわんこと一緒によおく考えるんじゃぞ、と言われ「言われなくてもわかってるっつうの」と俺は刺々しく言葉を吐いた。朔間先輩の視線がまたこちらへと向き、態度を諫めるでもなくにこりと笑って「まあ、二人なら大丈夫だと思うが」と言葉を落とした。そのまま彼は棺桶に腰をかける。体重をかけられたそれはぎいぎいと抗議の声を上げるが、朔間先輩は歯牙にもかけず悠々と足を組んだ。
恋を題材にしたその曲は妖しいながらも口にするには少し甘くて、これを歌うのかと気後れしながら歌詞を眺めていれば、ぼそりと「同年代ということは、転校生もこういう曲が好きなのか」と、アドニスが呟いた。その声に機敏に反応した羽風先輩は追っていたメロディを止めて「てことはうまく歌えれば転校生ちゃんの気もひけるかな?」と嬉しそうに言葉を口にした。思い出した昼頃の彼女の姿に、間髪入れず「ねえよ」と答えれば、羽風先輩はひどく不愉快そうにこちらを睨み付けた。
「わんちゃんにはわからないでしょ」
「ねえよ、絶対ない」
「いやに言い切るのう、わんこや」
指摘に顔を背ければ「あっやしいー」と羽風先輩の声が続く。口を割るわけにはいかないので「大体あいつはプロデューサーだろ」と吐き捨てれば、羽風先輩は朔間先輩と顔を見合わせて、そして同時にこちらを向く。
「それ以前に年頃の女の子でしょ」
「そういえば嬢ちゃんも口癖のように唱えているな、プロデューサーと、アイドル」
「真面目だもんね、あの子」
「線引くのは良いが、意固地になっているようにも聞こえるのう」
好き勝手なその言いように、心の隅で何かが絡まり出す。「するべきじゃない」と言葉と共に浮かべた諦めたような笑顔、心を砕いてプロデュースに勤しむ横顔、浮かんでは奥底の何かに絡まって、苛立たしい。
随分と険しい顔をしていたろう。アドニスの「大神?」の声ではっと我に返る。自分に言い聞かせるように「くだんねえこと言ってねえで新曲の話をしようぜ」と言えば、小さなため息が聞こえた気がした。
「わんこ、我輩は、勿論本業をおろそかにするのは間違っていると思うが、恋愛は悪い事ではないと思うぞ」
苛立ちを見透かされたような台詞に、返す言葉もなくて朔間先輩から視線を逸らした。