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「――の皆さん、UNDEADの皆さんが入られます」
スタッフの声に私は慌てて物陰に隠れた。黒を基調とした衣装を身に纏った彼らは、数年越しでも随分と格好良い。彼らより先に現場に飛び込んだ弊社アイドル達は現場をきょろきょろと見渡しながらなにかを探している。おそらく、私だ。アシスタントとして連れ立っている新人アイドルの子にアイコンタクトを送り動向を見守る。新人アイドルの子は私に一つ苦笑を零して、浮き足立っているアイドル達の方へと駆けだした。見つかるわけにはいかない。息を殺してUNDEADが通り過ぎるのを待ち、遅れて私も彼女たちの方へ向かう。「プロデューサーさん遅いよう!」と怒る彼女たちに謝って、周りに彼らがいないことを確認した。
まさか、彼らが現場にいるなんて。急に出ることがきまった現場だったので、資料も流し読みしかしていなかった。出演者の写真付きプロフィールなど貰っていたら断ることも出来たのだろうが、写真なしのオール文面、しかも分厚い紙の束を前日の夜に渡されれば、そりゃ読み飛ばしちゃうよね。あはは。全くもって笑えないけど。
彼らと別れて五年以上経つ。化粧っ気なかった私の顔にはしっかりと一通りの化粧がのっているし、髪の毛だってあの頃とは雰囲気が全く違う。おそらくばれない。黙っていればばれない。ばれないように大人しくしていたかったのに、現場の、更に仕事を一緒にする相手には代表としての『ご挨拶』をしなければならない。不運にもこの現場に居るのは私と、アシスタント兼見学としての新人アイドル、そして実際に仕事をするアイドル達。ということは必然的に、『ご挨拶』の役目は私となる。不運は重なることに、共演アイドルはまさかのUNDEAD一組。大勢の中の一握ならば、挨拶を手短にすませることもできるが。回避は出来ないだろうか。お腹痛くて帰りますとか、だめだろうか。だめだよなあ。
「ねえプロデューサー、まだ時間があるし挨拶してこようよ、めっちゃかっこよかったよ!」
「ね、びっくりしちゃった、いこいこ!」
無邪気にスーツを引っ張られ、辺りのスタッフさんの朗らかな笑い声が聞こえる。本当に、それどころじゃないんですけど。きりきりと痛む胃を抑えながら、しかしお仕事だと、心に決めてスタジオを歩く。設営の最終点検やカメラのチェックをしている人たちの波を通り抜けて、魔王の城へ。長テーブルの上に置かれたコンビニのお菓子が詰められたかごを漁る彼らと目が合い、思わず一度、目を逸らしてしまう。
気付かれたか? しかしにこりと微笑む彼らにその気配はない。胸をなで下ろして歩みを進め、彼ら、ではなく彼らのお目付役であろう、マネージャーの方へと歩み寄って、私は大きく頭を下げた。
「本日は宜しくお願い致します。私――」
社名と、名字、そしてアイドル達の紹介、見学する新人ちゃんの挨拶をとびきりの営業スマイルで伝える。名字を早口で伝えたおかげか、UNDEAD達はこちらに目もくれない。よしよし、その調子だ。続けてアイドル達が挨拶を始めた頃、まず羽風さんが「こんなに可愛い子達とお仕事が出来て嬉しいなあ」と声を上ずらせる。晃牙くんが噛みつき、アドニスくんがそれを諫め、朔間さんが仕切り直し挨拶を返す。
もはや様式美のようなその所作に、胸が小さく疼く。いや、疼く権利もないわけだけど。寂しいという気持ちが心を吹き抜け、しかしこれは自分が決めたことだと「宜しくお願い致します」と私は頭を下げた。かたりと、揺れる音がした。
顔を上げればUNDEADの皆さんも立ち上がり、アイドル達の方へと歩み寄っていた。楽しそうな黄色い声をあげる彼女たちに苦笑を零しつつ、その隙にマネージャーさんへ名刺を手渡す。
滞りなく相手の名刺も頂戴し、よし後は雲隠れだと思ったそのとき、肩が叩かれた。嫌な予感がした。振り返れば、晃牙くんがそこに居た。
「悪い、トイレの場所知ってるか?」
マネージャーさんが口を開くよりも前に「さっきプロデューサー行ってたよね、教えてあげなよ!」とはしゃぐ声が聞こえる。見れば、アイドル達がひとつウィンクを飛ばしていた。なにその、アイコンタクト。晃牙くんを見れば「なら案内してくれよ」と嬉しそうに私の背中を小突く。断るにもいかない雰囲気にしどろもどろに返事を返し私はトイレの方へと歩き出す。このスタジオからトイレまでは、ほんの少し距離がある。何を話せばいいのだろうか、あれだけ話したいことがあったけれど、それはあくまで私と晃牙くんとのお話しで、存在を隠したい私と、アイドルのお話ではない。
スタッフさんに挨拶を交わし二人連れだってスタジオを出る。白い、汚れのない綺麗な廊下を無言で歩く。そして人気のない場所まで歩いたところで、晃牙くんは思いきり私の頭を、殴った。
「いった……?!」
「……テメェ、今までどこに隠れてやがった」
「ひ、人違いなのでは?!」
「ほーお、顔もよく似て? 同姓同名で? どの口が言ってやがるこのボケナス!」
「痛い痛い! ほっぺた引っ張らないで! トイレはあちらです!」
「知ってるっつーのんなこと! いいか、時間がないから手短に話すぞ」
そう言うと彼は物陰に私を連れ込んで胸に引き寄せた。
「後で迎えに行く」
それだけ伝え、乱暴に私を胸からひっぺ剥がして、怒ったように今まで来た道を帰っていく。突然の嵐のような出来事に、私はただただ目を瞬かせることしかできなくて、大股でドスドスと歩く彼の後ろ姿を見ながら「なにあれ」とぽつりと呟いた。
でも確かに、今ここにあった。彼の触れていた腕に、手首に、そっと触れる。そうか彼はあんな感触をしていたのかと、鼻先をくすぐる香りに、彼はあんな匂いをしていたのだと、ぽろりと涙がこぼれる。
そう言えば在学中も、あの頃も、彼に触れることは一度もなかった。不意に訪れた出来事に、私は暫くその場から、動けなかった。