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 興奮気味に駆け込んできた彼は、私が「おかえり」と言う前に「とうとう朔間さんに認められた!」と大声をあげた。それは彼が部屋に来るようになって一周年が目前と迫った、ある春の日だった。

 晃牙くんは興奮冷めやらぬ勢いで一歩たたきに入り「とうとう、ようやくこの日が来た」と震えながらひとりごちる。黒いパンプスを踏まれないようにそっと横によけて「とりあえずドア閉めたいから入って」と言えば、晃牙くんはこの部屋に来て一番の笑顔を浮かべて「悪いな」といい部屋へと上がる。浮き足立ちそのまま奥へと消える彼を呆然と見つめて「なにあれ」と彼に聞こえないように小さく言葉を零す。

 なにあれ。私にはこんな顔見せないくせに。

 ふと浮かぶ嫉妬に似た感情に気がつき、慌てて頭を横に振る。わかっていたはずだ。晃牙くんは『充電できる丁度いい場所』が欲しかっただけで『私自身』は別段特別じゃないことなんて。
 わかってはいても、心の中に薄暗い気持ちが巣くう。いつ終わっても不思議じゃないこの関係に、とうとうピリオドを打つ日が来たのだ。それは晃牙くんにとってゴールであり、次のステップに進むためのスタート。そして私は、その次のステップにはきっと、存在していない。

 晃牙くん、いっちゃ、やだよ。

 彼の居るであろう部屋を見つめて、下唇をきゅっと噛み締める。自分勝手な思いを息と共に吐き出して、気合いを入れるように息を吸い込み、ドアを閉めた。彼の脱ぎ散らかした靴を整えて、そして私は踵を返した。

 部屋に戻ると、晃牙くんはベッドの上に座って嬉しそうにこちらを見ていた。待て、なんて言ったら怒られるだろうか。怒られそうだな、黙っておこう。

「認められた、ってことはUNDEADが再始動するの?」
「ああ、正式には年度が明けてだけどな。新曲に、ライブに、忙しくなるぜ……!」
「そう」
「それによ、あの吸血鬼ヤロー、俺様達が持っていった曲律儀に全部取ってやがってよ、流石にそのままは使えねえけど、いくつかマシなやつは直して歌いたいって言っててよ」
「うん」
「まあ初期の曲はほんと聴くに堪えねえんだけど、俺様も気に入ってる曲はいくつかあるしよ、なによりもまたあの人の隣で歌えるんだと思うと……」

 敬っているのか、それともけなしているのか。朔間さん、朔間先輩、吸血鬼ヤロ―、あのポンコツ。様々な名称で飛び出す朔間さんの話に耳を傾けながら、台所へ向かいグラスに飲み物を入れる。ベッドに座り熱く語る彼に差し出せば、話が途切れ「ありがとよ」と彼はグラスを受け取る。両手でそれを持ち、太ももと太ももの間にそれを置いて「お前にも世話になったな」と彼はぽつりと呟いた。

 お前にも世話になったな、なんて、そんな、別れの言葉みたいな。ぐるぐると晃牙くんの言葉を心の中でかき混ぜながら彼を引き留める話題を探す。思い返せば彼が朔間さんを追いかける休憩所として成り立っていた脆い関係だ。例えばスバルくんみたいに気安い友人同士ではないし、アドニスくんのように盟友というわけでもない。

 言葉を探しながら、でもお祝いを言わなきゃと「おめでとう」と告げると、彼は照れ恥ずかしそうに「ん」とだけ呟く。その笑顔に心がチクリと痛む。早く元気になって欲しかったはずのに、胸が痛い。

「晃牙くん、朔間さんのこと大好きだもんね」
「うっせえよ……ずっと、目指してきたんだあの背中を。ようやく届いたんだ、食らいついてやる」
「そっか、楽しみにしてるね」

 嬉しい。そう、嬉しい。言い聞かせながら笑顔を作る。「おめでとう」と繰り返せば、彼は嬉しそうに微笑み「巻き込んで悪かったな『プロデューサー』さん」と悪戯に笑った。その言葉に、目頭が熱くなる。泣かないようにと太ももを抓りながら「当たり前でしょ?」とグラスを持ち上げて、勢いよく中身を流し込む。そして空になったそれを持って立ち上がり、こっそりと涙を拭う。

 学院時代はプロデュ―サーと呼ばれることは嫌ではなかった。むしろ自分の立場を認めてくれたように思えて好ましかった。しかし今の瞬間、彼と私の間に明確な壁を感じた。きっと晃牙くんはそういう意味合いで言ったわけではない。わかっている。わかっているのだけれど。

「……お茶おかわり入れるけど、飲む?」
「いや、今日は報告に来ただけだから、帰る」
「そっか」

 そういうと晃牙くんも勢いよく飲み干して空になったグラスを手渡す。笑顔で、鼻歌を歌いながら玄関へと歩みを進める。遠くなる後ろ姿に、思わず手が伸びる。が、どうしてもつかめない。近いはずなのに、追いかけて背中に縋って、もうちょっと居て、なんて、簡単に言えるはずなのに。

「活躍、楽しみにしているよ」
「見てろよ、すぐに有名になってやるからな」

 靴を履いて、たたきに爪先を幾度か下ろしながら彼は微笑む。ドアを開ければ、春のやるせない暖かさが部屋へと流れ込んだ。もう季節が変わる。世界が、変わってしまう。

「こ、うがくん」
「なんだよ」
「……本当に、おめでと」
「……ん、じゃあな」

 照れくさそうにそう言って、彼はドアを閉めた。廊下を歩く音、暫くして階段を下りる音がドア越しに聞こえた。台風のような突然の来訪に、思わずその場にへたり込む。空のグラスを持ったまま、ぼたぼたと涙をこぼして「さよなら」と呟いた。返事はない。ただ冷たい玄関が、そこにあるだけだ。

 年度が変わりリクルートスーツを着込んだ私の目に、四人の大きな看板が目に入った。デビューシングルと銘打たれたその曲は、晃牙くんの曲なのだろうか? それとも違う曲なのだろうか? 挑戦的に笑うその瞳をみて、私はなんだか泣きたくなった。大声で泣いて、会いたいと、伝えられなかった気持ちを吐き出したかった。

 あの日から、彼が私の部屋にやってくることはなかった。
 そして彼の再来訪を待たずに、私は誰にも言わずこっそりと、この街を出て行った。

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