Home_04
やあ久しぶり、と片手を上げれば、目深にかぶった帽子を少しあげて、アドニスくんは微笑んだ。からからと渇いた木の葉が道を走る。大学に植えられた銀杏の木は綺麗な黄色に染まりながら正門に向かって行儀良く、真っ直ぐ二列に並んでいる。独特な香りを醸す実を踏まないようにアドニスくんの方へと寄れば、彼は正門にもたれていた身を起こして、ゆっくりと歩き出した。
「時間は大丈夫だったか?」
「うん、休校だったし。就活の準備もあるしね」
「そうか、もうそんな時期なのか」
「大学入ってまだ一年も経ってないけどね……早いけど、早く皆に追いつきたくてここに入ったんだし」
「そうか」
「……アドニスくん達も就活みたいなものでしょ?」
「そうだな」
私の笑みにつられるように、アドニスくんが小さく笑う。もう冬の香りが濃い風が街を吹きすさぶ。コートの前を押さえて歩く人々の中、私はショルダーバッグのひもを握り、抱え直した。足裏まであるベージュのコートはぱたぱたとはためく。アドニスくんの黒のコートも、風に煽られて小さく揺れる。
アドニスくんが近くに居るから会おうと連絡をくれたのは、丁度朝の講義が終わったタイミングだった。午後の講義が終われば、アルバイトまでほんの少しだけ時間が空いていることを告げれば『なら駅まで歩こう、正門で待っている』と丁寧に返信をくれた。駅までは徒歩30分。雑談をするには丁度良い時間だ。
どこかで買ったのだろうか。アドニスくんは持っていたコーヒーを私に手渡した。まだ湯気の立つそれに目を丸くすれば「暖まる」とアドニスくんは笑顔を浮かべた。お礼を言って一口啜れば、思いのほか熱いそれに小さく身を震わせてしまう。息を吸い、ざらざらとした舌を冷やしているとアドニスくんは「すまない、熱かっただろうか」と眉を下げた。私は首を振るい、もう一口、今度は慎重にコーヒーを啜る。
「アドニスくんは元気?」
「ああ、元気だ。大神と共に、毎日朔間さんのところへ通っている」
「そっか、手応えは?」
「昔に比べればある。情けない話だが、まだ俺たちはあの人と肩を並べるレベルではない」
「一緒のユニットで、一緒に育っていくわけにはいかないの?」
「学院時代だとそれでもよかったが、そうはいかない。俺たちは歌以外に潰しがきかないから、尚更に」
「つぶしがきかない?」
「朔間さんや羽風さんのようにグラビアや演技やラジオ、器用にこなせる自信がない。だから朔間さんは、俺たちの長所である歌を伸ばすように指導してくれているのだと思う」
「そうなんだね」
半年を少し回った『指導』は功を成しているらしい。それは時折寝にくる晃牙くんの表情を見ていたらなんとなく察していたのだけれど、言葉にされるとやはり実感が持てる。少しだけ嬉しくなって足取り軽く道を行くと、アドニスくんは小さく笑い「大神のこと、ありがとう」と呟いた。振り返り彼を見れば、アドニスくんは歩みを止めて、優しくこちらに微笑みかけている。
「俺たち――いや、俺ではどうしようもないところだった。お前がいて、本当によかった」
「私はなにもしてないよ。なにもするなって言われてるし」
「居るだけで嬉しいのだろう? それに、大神の言葉を借りる訳ではないが、お前には動いて欲しくない」
「『俺たちの問題』だから?」
羽風さんのメッセージを思い出してそう告げれば、アドニスくんはクスクス笑った。そして歩き出して私を追い抜かすので、慌てて彼の後ろについて歩く。
赤、黄色、緑。鮮やかな木々立ちが街を彩る。大学の周辺だからか、楽しそうな学生の声が響く。この土地が学院から遠く、まだ彼自身の知名度も低いためか、アドニスくんに気がつく人はいなさそうだ。
「大神も、俺も、おそらく先輩方も、お前の前では格好をつけたいからだ」
そう言って振り返り追いかける私を見る。格好つけたいって、もう無理じゃん。初期の晃牙くん、とんでもなく弱ってたよ。そう思いながら彼の憔悴した姿を思い出していたのだが、『朔間さんが認めてくれない、どうしたらいい』の一言以外は、弱音らしい弱音を聞いた覚えはない。
格好つけたい、ね。おとこのこだなあ。なんとなく蚊帳の外に居る気がして――間違いなく蚊帳の外ではあるのだけれど――面白くなくて炉端の石を蹴れば、ころころと転がり歩道の外に飛び出した。
排水溝の手前で止まるそれを追い越して「四人で歌っているところ、早くみたいな」と呟けば、アドニスくんは力強く頷いた。