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 その日は雨が降っていた。弱い雨だった。弱い雨ながらに長く降った雨は、薄灰色だったアスファルトを、余すことなく濃く染め上げていた。糸のようなか細い雨粒は、空から真っ直ぐ地面へと降り立つ。しとしとと、控えめな音を立てて降り続けるそれに、今日はもう止むことはないだろうなと、私は黙ってカーテンを閉めた。
 ワンルームの部屋は狭い。寝具と机、そして棚を置いてしまえば行動範囲は随分狭まる。散乱した物を跨ぎながら、そろそろ片付けないとなあと部屋を見渡す。ベッドの上には、まるで自分の部屋のように堂々と身を丸めて、晃牙くんが眠っている。ワンルームの部屋は狭い。二人居るなら、尚のことに、狭すぎる。

 晃牙くんは部屋を背にするように、壁の方を向いて眠っていた。羽毛布団が、彼の吐息に会わせて上下する。すうすうと、規則正しい音は雨の音と共に空気に混じってこの狭い部屋に満ちる。目元は腫れ上がらないように、水で冷やしたタオルが掛けられていた。鼻先はまだ少し赤い。時折、ぐずりと啜るような音が響く。彼はわんわんとは泣かない。人に聞かれないように、黙って、静かに泣く。痛々しいと、そう思った。

 ベッドの上に座り、彼の銀色の髪に手を伸ばす。指を伸ばせばきっと、簡単に彼の髪に指が届くだろう。でもきっと、それは私の役目ではない。鼻を鳴らす音に私は我に返り、指を握りこんで立ち上がった。

 私たちは高校を卒業した。私はプロデューサーになるために、彼はUNDEADを再結成させるために、未来を歩んでいくはずだった。家を出て一人暮らしを始め、大学の授業になれてきた丁度その頃合いに、彼がこの部屋を訪ねてくるまでは、私もその未来を信じて疑わなかった。

「朔間さんが、認めてくれねえ」

 吸血鬼ヤローでも朔間先輩でもない、妙な響きのそれに、私は状況を理解できずに目をただただ瞬かせることしかできなかった。しかし晃牙くんは呆けている私に縋るように「俺はどうしたらいい」と項垂れ、手首を掴んできた。学院の制服姿ではない、全く見慣れない服装で、初めて見るギターケースを抱え、知らない表情をした晃牙くんは目を潤ませながら私を見つめる。ぶるぶると震えるその手を払うことも出来ずに

「……とりあえず、話聞くから、上がりなよ」

 と、部屋へと招きいれたのだった。

 部屋の隅に折りたたんである客用の布団を敷きながら、そう言えばあの日も雨が降っていたと、そんなことを思い出した。今日みたいに穏やかな雨ではない。篠突くような鋭い雨だったように思う。
 あの日からもう数ヶ月が経っている。晃牙くんはどうやら人脈を使い手当たり次第に音楽を学びつつ、朔間さんの元へと通っているらしい。追いつくため、認められるため、必死に食らいついて、それでも追い返されて、頑張って頑張りきって耐えきれなくなったら、どうやらうちに来るようにしているようだ。おかげで彼の笑顔なんて、もう暫く拝んでいない。硬い表情で部屋に来て、黙ってベッドを占領し寝る。私が起きた頃にはお礼を書いた律儀なメモ書きを残して去る。文句を言う隙間なんてありはしない。

 朔間さんの思惑は、私にはわからない。コンタクトを取ろうかと提案もしてみたが「きっと俺の実力が足りねえからだ、余計なことすんな」と言われてしまったから動きようもない。アドニスくんもどうやら晃牙くんと四苦八苦しているようだし、羽風先輩にはやんわりと「俺たちの問題だからね」と牽制のメッセージを入れられてしまった。

 ねえ晃牙くん、私には何が出来る?
 天井から垂れる電球のひもを掴みながら晃牙くんを見つめた。相変わらず安らかに眠っている。もしこの場所があなたの安らぎの場所となるならば、私は喜んで場所を提供するだろう。でも、それだけで足りてる? もっと出来ることがあるんじゃないの?

 高校時代、夏の招致の失敗を思い出す。ただただ大きな力に飲み込まれていく友人達を眺めることしかできなかったあの夏を、思い出す。私はまた何か間違っているのではないだろうか。もっと出来ることがあるんじゃないのだろうか。

 そう思いながらも私はできるだけ静かに電気のひもをひいた。かちり、かちりと二回引っ張って消灯した部屋を見回す。手負いの獣はただただ、規則正しい吐息を吐き出していた。

 ワンルームは狭い。二人居るなら、なおのこと。

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