大神晃牙はかく語りき_03

「最近様子がおかしい」

 そう切り出されたのは、丁度一曲踊り終えた直後の話だった。
 もう冷房もいらない季節にはなったものの、やはり一曲踊り終えると汗は噴き出る。肌の上に浮かぶ玉のような汗を拭いながらスポーツドリンクを飲んでいる最中に、その切々とした言葉が、晃牙の耳に飛び込んできた。

 主語のないその言葉に、晃牙はアドニスを見つめる。アドニスも晃牙を見つめていたようで、かち合うその視線に晃牙は眉を寄せた。「あ?」なんてかわいげのない言葉を吐き出しても、アドニスは怯む様子もなく、悲しそうに目を伏せてまた「様子が、おかしいんだ」と言葉を紡ぐ。

 様子がおかしいって、誰の話だよ。主語がねえんだよ、主語が。
 そう思ったが、彼の言う「様子のおかしい人」に一人心当たりのあった晃牙は、少し悩み、そして彼女の名前を出した。アドニスは途端に目の色を変えて「やはりお前も気がついていたのか」と少しだけ声の調子を上げ、しかしまた重苦しい息を吐き出す。
 鬱蒼としたその吐息に空気が重くなるのを晃牙は感じた。

「あいつは、大丈夫だろうか」
「んな心配することじゃねえだろ」
「そうだろうか」
「浮ついてるだけだろ、放っておけ」

 晃牙の言葉にアドニスは「浮ついている……?」と怪訝そうに顔を歪めて「浮ついているのだろうか?」とぼそぼそと呟きを零す。

 不明瞭なその声量に晃牙はアドニスに背を向けてもう一口、スポーツドリンクを飲みこんだ。からからに渇いた喉に通る水分が嬉しい。この後もう一度動きをさらうのは理解していたが、欲に負けてひとつ、ふたつと喉を鳴らしてドリンクを流し込む。息が苦しくなりペットボトルを口から離せば、もう半分以上残っていなかった。
 足を踏み出せば、胃の中に入れ立ての水分がうごめくのがわかった。腹の中に出来た小さな海の存在を感じながら歩けば、アドニスが晃牙を呼び止めるように、彼の名前を呼ぶ。晃牙が振り返れば、彼は困惑の表情を浮かべて「あいつは、悩みがあるんじゃないのか?」と堅く拳を握る。

「まああるんじゃねえの、一つや二つくらい」
「俺に出来ることはあるだろうか。いつも迷惑をかけている分、力になりたい」

 重々しく口に出すアドニスに、どうしたものかと晃牙は小さくため息を吐いた。少なくとも彼がこれほどまで重大に悩むような事柄ではおそらく、ない。その上『力になりたい』と踏み込まれれば困るのは彼女だということも、なんとなく理解は出来た。

 そんな困った雰囲気を裂くように声を上げたのは、外に涼みに出ていた薫だった。ドアノブが捻る音が聞こえ、次いで軋むドアの音が響き、タオルを首に巻いた薫が「暑いし疲れた」と首を緩く横に振りながら入ってきた。

「うわなにこの重苦しい雰囲気、喧嘩?」
「ちげえよ」
「羽風先輩。最近、転校生の様子が変なんだ」
「え? 転校生ちゃん? そう言えば確かに変わったよね、香水かな? いい匂いがするようになったし、更に可愛くなったよね。ヘアピン、新しいのつけてるもんね」
「なんで学年も違えのに、んなことまで知ってんだよ」
「食堂とかでよく会うからね」

 これって運命かもしれないと、腕を組みながら笑う幸せな先輩を横目に、晃牙はため息を吐いて「あいつも自分で解決すんだろ」とアドニスに向かって口を開く。言葉こそ投げやりだが、最近の彼女を見る限りでは下手にアドニスが踏み込まない方がいいのは明白だ。
 しかしアドニスは不服だったのか、晃牙の言葉に眉を寄せて「しかし」と言い淀む。眉を寄せて腕を組み、頭を緩く振って「俺は、あいつを助けてやりたい」と苦々しく言葉を吐いた。

 志こそ立派だけれど、どう考えてもそれは逆効果だぞ。晃牙は喉奥までせり上がってきた言葉を、なんとか飲み込んだ。

「転校生ちゃんが変って、どんな風に変なの?」
「最近、話しかけた反応が過剰だったり、ぼうっとしていると思えば慌てて目を背けるんだ。それにいつもよりも顔が赤い気がする。体調が悪いのだろうか」
「あー……」

 流石羽風薫といったところか。アドニスの言葉に合点が言ったのか、困惑の声を漏らして晃牙へと目線を向ける。晃牙は鬱陶しそうに薫を睨んで持っていたペットボトルを机の上に置いた。タオルを首から提げて「だから放っておけつってんだろ」と小さく舌打ちをした。アドニスは「しかし」とまた言葉を曇らせる。

「ね、じゃあさ、アドニスくんが気がついたこと、彼女に教えてあげればいいんじゃないかな?」
「気付いたこと?」
「例えば今日はいい匂いがするね、だとか、何でもいいと思うよ。まずは会話を増やして、そこから悩みを聞いてあげれば?」

 そう言い終えれば、薫はアドニスではなく、晃牙に向かって片目を閉じた。確かに、そうすれば彼女の望みも叶うだろうし、アドニスの疑問も緩和される。
 百点満点のその回答に、素直に晃牙が「まあ、たまにはいい事いうじゃねえか」と呟き、アドニスも納得がいったように何度も首を縦に振った。

「そうだな、いきなり踏み込まれるのもあまり良くないだろう、明日から、実践してみよう」

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