大神晃牙はかく語りき_02
今思い返せば、それは明確なサインだった。
飾りっ気のない頭にささやかなヘアピンが付きだしたり、窓ガラスに映る姿を見ながら髪の毛を整えるように手で梳いたり、そういったささやかなことが、おそらく彼女の中で増えてきている。それは違うクラスの晃牙でもわかるくらいに明確に、そして急速に。
開けっ放しの窓から、秋風が流れ込んでくる。揺れる彼女の髪の毛。左耳元には、陽光を反射してわずかに光るヘアピンが差さっていた。視界の隅にちらつく光につられて晃牙が顔を上げれば、真新しいそれがまたちかりと光った。
ヘアピン? んなもんつけるような女だったか?
晃牙は先ほどまで暇つぶしに眺めていたスマートフォンを膝の上に置いて、椅子に体重をかける。誰の席か知らない椅子は、晃牙の体重に耐えかねて、ぎしり、と小さく声を上げた。彼女は歯牙にもかけず、すらすらとペンを走らせる。頭を動かすたびに、ちかりと、またそれが光る。
「ヘアピン?」
晃牙の声に彼女は声を上げた。そして「ヘアピン?」と言葉を繰り返し、耳元に指をやりそれに触れた。そして少し照れくさそうに「ああこれ?」と小さく笑い「嵐ちゃんと買ったの」と人差し指で輪郭を撫でる。可愛らしい小花のついた、ヘアピンだった。
「Knightsのレッスンで必要なものがあってね、二人で買い出しに行ったついでに、ほら学院近くに新しく雑貨屋さんできたじゃん? あそこに行ってきたんだよ」
「へえ」
流石モデルといったところか。決して大振りではないものの、彼女の髪の毛に埋もれてしまうほど存在感がないわけでもない。可愛らしいピンクと白の小花のヘアピンは、働き者の彼女にとてもよく似合っていた。
「なんか、恥ずかしいな」
「まあいいんじゃねえの、似合ってる」
「本当? よかったあ」
はにかみ、そしてまた指でピンを突く。「変じゃない?」と尋ねる彼女に、今褒めたばかりだろうがと思いつつも「変じゃねえよ」と素直に言葉を返した。彼女も晃牙の言葉にまた嬉しそうに微笑を浮かべ、そして流れるように髪を梳いた。
するすると指が降りていくその髪の毛は、以前の跳ね上がったそれとは違い、まっすぐ下へと伸びていた。晃牙は腕を組んで、値踏みするように彼女を見つめる。あの日がひどかったのか、それとも気にするようになったのか。
ふと、違和感に気がつき鼻をひくつかせれば、ささやかだが花の香りが鼻腔を擽る。香水か、と心の中で思う。もしかしたらデオドランド系の何かかもしれない。少なくとも、晃牙の周りの野郎が好んで使う清涼感の強いそれよりも華やかな香りに疑問を覚え、「お前さあ」と口を開いた。
「なあに?」
「くっせえ」
どうしたんだ、と、口から出せたら良かったのだろう。しかし素直に聞くのも恥ずかしくて、ごまかすように悪態を吐けば彼女は顔を赤く染めて「そんなににおう?!」と声を荒らげた。香りはほんのささやかだったが、彼女のその反応が面白くて「ひんまがるほどくせえ」と笑えば、どうやらからかっていることに気がついたらしい、彼女は晃牙を睨み上げて「臭くないです! せっかく見繕ってもらった香水なのに!」と青筋を立てた。
「香水なんで色気付きやがって」
「べ、べつにいいじゃん、お仕事おろそかにしているわけでもないし」
確かに彼女の言う通りだ。身だしなみには気をつけ出したものの、仕事量は以前とは変わっておらず(むしろ増えている)、今だって彼女の手の中にはシャーペン、そして机の上にはおそらく後処理であろう、様々な金額が連ねられた資料が広がっていた。彼女の傍にある膨らんだクリアファイルには、また別の、様々な書類が挟まっており、ぴょこぴょことカラフルな付箋がファイルの外に飛び出している。KやらVやら書かれたアルファベットはユニット名のものだろうか。試しに『流』とかかれたそれを引っ張れば、彼女は慌ててファイルを机の中にしまって「見ちゃダメ!」と首を何度も横に振るう。
「ま、いいけどよ。この前まで寝癖がついてたやつとは思えねえな」
「まあ、うん、ちょっとは気をつけようと思って」
ちょっと、ね。彼女の机の上に肘をついて、ふうん、と晃牙は吐息交じりに呟く。もう記憶にも薄い彼女の、あの寝癖の日の狼狽っぷりと、最近の様相を重ねて、ふうん、ともう一度、薄く笑いながら晃牙は呟く。
「……なに?」
「いや、くっせえなあって」
ああくさいくさい。楽しそうな匂いがぷんぷんしてたまらない。
可愛らしいヘアピン、そして嗅ぎ慣れない匂いを纏わせ憤慨する彼女の姿を見ながら、晃牙はにやにやと口元を緩ませた。