あしたもいっしょに、いてもいいですか?_04
最近上の空だなと、アドニスくんはそう言った。私は「うん」と小さく頷きながらお弁当を食べる。生憎の曇天模様だけれど、どうやら午後からは晴れるらしい。昨日の名残の水溜まりが、屋上の植え込みにポツポツと残っている。
惰性として持ってきた書類の入ったクリアファイルの上に置いたお弁当箱には、いつも通り彩り豊かな野菜が並んでいるけれど、あの日からどうにも箸が進まない。心にこびりついたなにかが、拭い取れなくてどうしようもない。
アドニスくんは私の生返事にため息を吐いて、身をかがめ顔をのぞき込んでくる。揺れる琥珀色に「気にしないで」と今更に言葉を吐くが、アドニスくんは神妙に顔を歪めて「そういうわけにもいかないだろう」と言った。
少しだけ怒ったような声色が嬉しい、なんて奥底から今までにない気持ちが疼く。なんだろう、これ。ごまかすように金平牛蒡を口に入れれば、どうやら火が通り過ぎていたらしく、ほろ苦く口の中に広がる。
「体調が悪いのか?」
「悪くはないよ」
「忙しいのか?」
アドニスくんは私の手元にある書類に目を落とす。入っている書類は期限が随分先のもので、今こうして持ち歩く必要など全くない。重ねて言えば急務だった仕事が終わった直後で、手持ち無沙汰な日々をここ数日は過ごしていた。
仕事をしないなら賑やかなガーデンテラスでご飯を食べれば良かったかもしれない。そうしたら晃牙くんとか、颯馬くんとか、一緒に食べることも出来ただろう。クラスの皆を誘ってご飯に行っても良かったかもしれない。
マカロニを掴んで口へと運ぶ。黙ったままの私にアドニスくんは急かすでもなく、ただただ次の言葉を待つ。柔らかなマカロニを歯の奥で押しつぶしながら、私はアドニスくんを見上げた。彼は食べかけたあんパンを膝において、じっと、こちらを眺めている。
「忙しくは、ないの」
だから明日は皆で食べようかと、続けようとした言葉が出てこない。アドニスくんは安心したように表情を和らげて「よかった」と言いあんパンを食べた。穏やかなその笑顔に心が小さく動く。私たちの間、仕切りのように置かれたペットボトルを彼が取り上げる。キャップを外し、彼がお茶を飲む。
私の指先の、ほんの数センチ先にアドニスくんがいる。少しだけ指を動かせば、今なら届く。
ぴくりと人差し指が動き、それを制するようにアドニスくんがペットボトルを置いた。我に返った私はそのまま手をお弁当箱の輪郭に沿わせて、お箸でお米を取り上げる。
「……もしお前が一人で無理をしているようなら、いつでも頼ってほしい」
ぽつりと、アドニスくんが呟く。それは、ちいさくてよわいから、放っておけないから? なんて、尋ねるのも怖くて、小さな声で「うん」と呟く。アドニスくんは少しだけ寂しそうに笑って「覚えていてくれるだけでもいい」と、視線を地面に落とした。私もまた小さく頷いて、彼と同じように地面を見つめる。茶色と焦げ茶のタイルを一つ蹴っ飛ばせば、転がっていた小石が跳ねて飛んだ。
「そう言えば晃牙くんのあれ、とれたの?」
話題を逸らすようにアドニスくんに尋ねれば、彼は少し笑って「なかなかとれない」と首を横に振った。そうか、とれないのか。私はゆっくりと目を閉じて、そして開く。
前を見れば雲の間から天使のはしごが下りていた。薄く降り注ぐその光はそのまま遠く、海を照らしている。
「アドニスくん」
「どうした?」
「明日も、一緒にご飯、食べよっか」
気がついたら口に出していたその言葉に、彼は笑い「わかった」と頷いた。笑顔にざわめくこの気持ちも、ドアの汚れが落ちる頃にはなおっているのだろうか。なおっていればいいな。