あしたもいっしょに、いてもいいですか?_02

 肌寒い風が吹き抜けると、もう秋が来るのだとハッと思い出させる。暦の上ではもう秋だし、暴力的な数値の最高気温も鳴りを潜めて久しい。差し込む陽光はまだ夏の色を残しているが、数ヶ月前よりも随分柔らかくなったと思う。
 昨日は久しぶりにクローゼットから冬服を出した。春先に好んで身につけていたピンクのカーディガンもそろそろもう一度洗わなければ。そんな、頭の中でどうでもいいことをくるくると回しながら、お弁当片手にアドニスくんの後ろを歩く。
 アドニスくんも購買で買ったご飯を持って、私の一歩前を歩いていた。彼が右へ行けば右、左に曲がれば左へ。さながらカルガモの親子のように私は彼の後ろについて歩く。

「今日はいい天気だね」
「そうだな」
「外で食べてもいいかも」
「賑やかでも大丈夫か?」
「静かな方が嬉しいかも」
「わかった」

 アドニスくんはそう言うと廊下を曲がり階段に足をかける。ああ屋上へ行くのかと私も一段目の階段に足を乗せた。
 窓から差し込む陽光が、浮遊する埃を照らし暴く。キラキラと輝くその空気の中を一段二段、アドニスくんに置いて行かれないように駆け上がる。揺れるビニール袋が音を立てた。沈着な彼の足音と、忙しない私の足音が不規則なリズムを刻む。
 ふと、登り切る直前にアドニスくんが振り返った。「早かっただろうか」と、彼は眉を下げ、そして私ははにかみ首を横に振る。アドニスくんは私の返答を聞くと彼もまたはにかみ、そして正面を向いて階段を上りきった。

 屋上の扉を開けると、ドアの前に滞留していた空気が私たちの輪郭を沿うように吹き抜けた。暴れる髪を抑えながら、ベンチになっている植え込みの近くまで歩く。屋上のどこかから、楽しそうな声が聞こえる。お昼時と言うこともあり、どうやらいくらか人は居るようだ。しかし集中を阻害されるような騒がしさではない。そのまま彼の背中を見つめながら歩き続ける。
 景色が綺麗な、海の見えるベンチにアドニスくんは腰を下ろした。私も彼の隣に座り、お弁当とお昼に片付けたい書類を取り出す。ポケットに入れていたボールペンをノックすれば「先に食べないのか」とアドニスくんが首を傾げる。私は笑い「先に食べると時間がなくなっちゃうから」とお弁当の包みを開ける。お行儀が悪いけれど、と思いながら手を合わせ、ご飯を食みながら書類に目を通す。アドニスくんは何か言いたそうな雰囲気を醸していたけれど、結局彼は何も言わず、あんパンを食みはじめた。

「大変そうだな」

 アドニスくんが口を開いたのは、私がお弁当の半分を食べ終えた頃だった。飲んでいたお茶のペットボトルを締めて彼と私の間にそれを置く。私もお箸で掴んでいたお米の塊を口に放り込んで、咀嚼しながら首を横に振る。お昼の暖かな日差しに照らされて、彼の紫髪が少しだけ黄色みを帯びていた。暖かそうだなとそれを眺めていたら、アドニスくんが少しだけ身をかがめる。彼の髪の毛の日だまりが、ぬらりと移動する。先ほどまで太陽が当たっていたところは暖かいのだろうかと、私はおかずからブロッコリーを取り上げて口の中へと入れる。

「企画書か?」
「うん、最近増えてね」
「俺も手伝ってやれればいいんだが」
「気持ちだけでも嬉しいよ」

 笑えば、アドニスくんはビニール袋から小ぶりなあんドーナツを取り出して私に差し出してきた。「あんパンじゃない」と私が笑えばアドニスくんは長い睫を瞬かせて「あんパンの方が良かっただろうか」とドーナツを引っ込めて、二回りほど大きいあんパンを差し出した。

「珍しいなあと思って。大丈夫だよ。あんパンも、あんドーナツも」
「以前にあんパンを渡したら食べきれないと言っていただろう? 良ければもらってくれ、俺は食べない」

 そう言うとアドニスくんはあんパンを自らの膝の上に置いてあんドーナツを差し出した。引き下がれない雰囲気に「ありがとう、お金を払うよ」と私がポケットを弄れば彼は首を何度も横に振り「大丈夫だ」と口にする。アドニスくんの経済状況が芳しくない事は知っている。けれど、彼のその優しさが嬉しくて、つい受け取ってしまった。

「なんだか気を遣わせてごめんね」
「気にしていない、少しだけお前の助けになれたなら嬉しい」
「なってるよ、すごく頼りにしてます、常に」

 アドニスくんは嬉しそうに笑んで「そうか」と言って背筋を伸ばしあんパンを開く。口元を強く結んだ横顔に、気を遣わせてごめんね、と心の中でもう一度謝る。小さく弱いからほっとけない、だとかそういう理由だろうけれど、ただただこうして気にしてもらえることは嬉しい。ずるいことだと、そう思いながら私はお弁当の残りを掻き込んで片付け、そしてあんドーナツに手を伸ばした。

 秋の風が潮の香りを運んできた。水面のとがりのように白く光る粉砂糖ごと、私は口の中へと運んだ。

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