嘘つきは誰だ_06

<p> 夜の冬の風は、朝のそれとはまた違い、容赦なく肌を刺してくる。暖かな教室にいたせいなのか、それともまだ冬に慣れていない身体のせいなのか。
 寒い風に身を震わせれば、隣にいた羽風先輩が苦笑を浮かべて、風に流されていたマフラーを回し直してくれた。品のいい手袋が頬にあたり、滑る。今日1日過ごした級友たちとは違う、洗練されたその手つきに、どきりと胸が鳴る。
 そんなことなど露知らず、先輩は綺麗に巻かれたマフラーを見て嬉しそうに微笑みさりげなく手を握る。白い息を吐きながら「寒いねえ」と口にするので「寒いですねえ」と呑気に返した。ゆらゆらと白く光るそれは空へと昇る前に消えていく。その様を見ながらわざと強く手を握ってみた。先輩は素知らぬ顔をして強く手を握り返した。

 本当は、この人が『彼氏』じゃないことを私は知っている。いいや違う。私には『彼氏』などいないことを、知っている。退院して、まるで家探しのように部屋をひっくり返し過去の情報を集めた私は自分が『プロデューサー科のテストケース』であること、彼らが『アイドル科の生徒』であることを知った。お昼に渡された詳細なプロフィールなどは部屋には見つからなかったけれど、過去の私が何を思って、どういう風に人と接してきたのかは、過去のメールや手紙などからよくわかった。だから尚更に『恋人』なんているはずがない。

 この人は羽風薫。恋人でもなんでもない、アイドル科の生徒だ。でも、記憶を失ってから十分すぎるほど優しくしてくれたのも、羽風薫に違いない。

「疲れた?」
「……え?」
「ずっとぼーっとしてるから、どこかで休憩する?動きっぱなしだったんでしょ」

 羽風先輩はそう言うと青に変わりたての信号を渡り始めた。後ろ髪引かれる思いで本来の帰り道を見つめながら、それでも素直に彼の後ろをついていく。先輩は裏などないような穏やかな笑みを浮かべて「温かいものでも飲もっか」と手を一度強く握る。握り返しながら「あまり甘くないもので」と言えば先輩は少し驚いたように振り返り「甘いの嫌いになっちゃった?」と口にした。昔の私は甘いのが好きだったのか、と思いつつ「気分です」と答えれば、彼は安堵の笑みを浮かべて「じゃあ甘くないのにしようね」と目の前の公園へと足を踏み入れた。
 そのまままっすぐ街灯下のベンチへと歩み寄ってポケットからハンカチを取り出す。当たり前のようにそこにひいて「どうぞ」と笑うので、思わず驚きの声を漏らすと「結構恥ずかしいから素直に座ってくれると嬉しいんだけど」と目をそらす。慌ててハンカチの上に腰を下ろすと、羽風先輩は満足そうに微笑み一度頭を撫でて「飲み物買ってくるね」とそのまま踵を返して公園の向こうへと歩いていく。

 小さくなるその背中を見つめながら、彼の思惑を想像してみるけれど、どうもしっくりこない。携帯のやりとりを見る限り密にやりとりをしているわけではなさそうだし(大体が「先輩今日はレッスンにきますか」だったし、たまに冗談みたいな口説き文句も並んでいたけれど、第三者から見てもあれは冗談だとわかるようなものだった)からかわれているにしては親切すぎる。

「(プロデューサーと仲良くなる、利点)」

 ふと、考えたくない言葉が頭を過る。不真面目そうな身振りからは想像できそうにないと頭から追い出すけれど、こびりついたようにその言葉は剥がれてくれそうになかった。

 ぼんやりと暗くなっていく町並みを眺めていると、小走りで戻って来る羽風先輩が見えた。両手に1缶ずつ。ポケットに1缶。合計3缶の飲み物を持った先輩は速度を緩め、こちらへと歩み寄ると私の隣に腰を下ろした。

「お茶とコーヒーとココア、残ったのは持って帰るよ、どれがいい?」

 真っ先にココアに目線を向けてしまった私に先輩は「甘いの飲みたくなった?」と笑う。私は黙って首を横に振ってお茶に手を伸ばした。

「お金、あとで払いますね」
「いいよいいよ、気にしないで」

 先輩がココアのプルタブに手をかけるのを見て私もお茶のプルタブをゆっくりと引いた。小さな音を立てて閉じ込められていた暖かな空気は、冬に溶かされて消えていく。
 棚引く甘い香りを感じながら飲んだお茶は、ほんの少しだけ苦かった。

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