嘘つきは誰だ_05

<p> 教室を鮮やかな夕日で塗りつぶされる午後四時半。授業を終えて、授業の余韻で残っていた生徒たちも皆行くべきところへ行ってしまい、がらんどうな教室で私とアドニスくんは並んで座っていた。アドニスくんは部活の書類作り。私は椚先生から借り受けた資料の読み込み。本来ならプロデュース活動に勤しまなければいけないらしいのだが、初日ということもあり、まずはこれを読んでなさい、と先生から渡されたのだ。

 クラス毎に分けられたその資料はアイドル科の学生の宣材写真、氏名、生年月日、所属ユニット、所属の部活、そして身長と体重、スリーサイズ等が記載されていた。右上には仰々しい赤いハンコ『CONFIDENTIAL』がでかでかと押されている。どうやら学外には持ち出し厳禁らしく、私は学内にいる時間でこれを覚えきらなければならないらしい。

 3学年に2クラスしかないんでしょう?余裕余裕、なんて甘く見ていた私が馬鹿だった。確かに他の高校よりも人数は少ないものの、一人当たりの情報量がそれなりに多いので、うまく処理しきれない。ユニットだけ覚えればいいのではないかとも思ったが、折角だし、全て覚えておきたい。

「えっと、陸上部の部長は三毛縞さんで、部員はアドニスくんと、一年生の天満くんと……」
「隣のクラスの鳴上だ」
「あ、そうだ鳴上くん……鳴上さん?」
「鳴上くんでいいんじゃないのか、お前は以前「お姉ちゃん」と呼んでたぞ」
「……今の私が急にお姉ちゃんって呼びしても、気味悪がられないかな?」
「急にも何もないだろう」

 アドニスくんは困ったように顔をしかめて書き込んでいた紙をこちらへと掲げた。丸印の付いている漢字を読んであげれば「助かる」と彼は言い紙を引っ込めてまた何かかき込み始める。

 鳴上くん……もとい『お姉ちゃん』は私の今の状況を知っているのだろうか。一度紙を揺らして金髪の彼の写真を眺める。「Knights」と、横に書かれていたユニット名を読み上げて、「リーダーは月永先輩、瀬名先輩、鳴上くん、朔間くん……あれ?さくま?」と続けて呟けば「吸血鬼ヤローの弟だよ」と乱暴な声とともになにかが乱暴に置かれる音が聞こえた。眺めていた紙から顔をあげれば、眼前にはスクールバック。そしてその上にはしかめっ面の晃牙くんがいて「病み上がりなのになに残ってんだてめえ」と彼は一睨みする。そして当たり前のように目の前の席に腰を下ろすと、カバンからクリアファイルを数枚取り出して机の上にそれを広げた。そしてそのカバンを持ち上げて床に置く晃牙くんにアドニスくんが「お前もきたのか」と驚いたように口に出す。晃牙くんはしかめていた顔をさらに歪めて「あいつの為じゃねえぞ、ここが一番静かだからだ」と心底嫌そうに言葉を吐き出した。

「あいつ?」
「ああ、羽風先輩からお前が無理しないよう見張っとくように連絡が来た」
「迎えにくんだろ?」
「ああ……そうらしいね?」
「ごちゃごちゃ考えねえでテメェは素直に甘えとけ」

 晃牙くんはそう言うと幾つかのクリアファイルから水色のそれを拾い上げて中身を取り出す。五線譜の上に行儀よく並んでいる音符たちには黒であったり赤であったり、無数のメモ書きがされていた。みれば紙の端ももうボロボロで所々セロテープで補強されていた。
 好きなんだな、と思う。そう教えられたことはないし、本人からも聞いたわけじゃないけれど、きっと晃牙くんは音楽が、好き。

「それって、ユニットの曲?」
「ああ、聞くか?」
「え?歌ってくれるの?」
「ちげえよ馬鹿、音源だよ」

 片手のクリアファイルは手放さず、上半身を傾けて右手だけカバンに突っ込み小さく細長いMP3プレイヤーを取り出した。幾つか曲を回し彼はイヤフォンを手渡す。それを受け取り耳に当てれば彼らに似合った賑やかな前奏が流れ出す。

「アドニスくんの声がする」
「当たり前だろユニットの曲なんだからよ」

 アドニスくんが書類から顔を上げて落ち着かない様子でこちらを見るので「格好いいと思います」と言えば彼は嬉しそうに「ありがとう」とはにかんだ。それを眺めていた晃牙くんが「俺様はどうなんだよ」と聞いてきたが流れ続けるメロディから晃牙くんの声を聞き分けるのは難しい。流れた歌詞をなぞって「この部分?」と聞けば晃牙くんは怒ったように眉を寄せて「ちげえよそこはアドニスの部分だ」と怒鳴った。

「じゃあさっきのはアドニスくんのとこじゃないかもしれない……ごめん」
「いや、大丈夫だ」

 明らかに落胆したような声を出しながらアドニスくんが首を振るので「いやもしかしたらアドニスくんかもしれない!」と力説すると、なぜか呆れたように晃牙くんがため息を吐いて、持っていたクリアファイルから一枚の紙を取り出し渡してくれた。見れば、そこには担当パートごとに色分けされた歌詞が記載されている。

「そっか、こういうのも覚えなきゃいけない」
「渡された情報を全て覚える必要はないぞ」

 ひとりごちた言葉のはずが、どうやら届いていたらしいアドニスくんが首を横に振る。そしてまた書類を突き出してくるので、丸印の付いている漢字を読み上げてあげれば「ありがとう」と微笑む。そのまままた書類と向かい合うのかなと思って眺めていれば、彼は書類と椅子を持ち私の机の方へと歩み寄ってきた。広げていた資料をまとめてスペースを作ってあげれば、アドニスくんはそこに書類を置いて、椅子を手短なところに置き座る。

「顔と名前、所属のユニットは覚えなければならないが、他は覚えきれる範囲でいいだろう」
「そうなの?」
「身長なんて覚えたってすぐに伸びるだろうが」
「確かに……」

 つうか全部覚える気でいたのかよ、と呆れた調子で言う彼に頷けば、晃牙くんは眉を寄せた。そしてシャーペンの頭で机を幾度かこつこつと叩くと「覚えることについても優先順位を振れ」と苛立たしげに言葉を吐き出す。私が頷くと彼は満足したように楽譜にまた目を戻した。

 随分と窮屈になった机の上には、私の資料、アドニスくんの書類、晃牙くんの楽譜が散らばっている。脳裏に一瞬同じような情景が映りーー目を瞬かせるとそれは消えていた。
 耳に流れる音楽を止めて「よくこういうのしてたの?」と聞けば、アドニスくんが「こういうこと?」と首をかしげた。

「えっと、三人で集まって……?」
「そうだな、初めてじゃない……何か思い出したのか?」
「ああ、そうじゃないの、なんとなく知ってるような気がして」
「そうか。俺たちはユニット活動日が不定期だからな、たまにこうやって集まることがあったぞ」
「そうなの?作戦会議とか?」
「いや多かったのは補習対策だな」

 補習?と繰り返すと晃牙くんは「てめえのな」とせせら笑った。アドニスくんも笑い「正確には、大神とお前の、だな」と懐かしむように笑みを浮かべた。アドニスくんの言葉に晃牙くんは顔を曇らせたが、すぐに持ち直してにたにたと笑いながら右ひじを机の上に付いて顎を乗せる。そして「てめえに伝えるの忘れてたが」と笑いながら前置くので、なんとなく嫌な予感がして「なに」と刺々しく言葉を返す。

「大切なことだよく聞いておけよ、お前は、勉強ができない」
「はあ?晃牙くんも補習って今アドニスくん言ってたじゃん、晃牙くんもお勉強できないんじゃないですかー?」
「大丈夫だ、お前も大神も優しい。頭の良し悪しは大した問題じゃない」

 アドニスくんのおそらくフォローに二人で顔を顰めれば、ちょうどその瞬間に閉じ切られていた教室のドアが音を立てて開く。三人同時に振り返れば、怯んだような表情を浮かべた羽風先輩がそこにはいて「そんな一斉に見られると驚くんだけど」と苦笑しながら教室へと入ってきた。

「もしかして勉強中?しばらく時間潰してこようか?」
「帰らせろ帰らせろ、初日から飛ばす必要なんてねえだろ」
「そうだな帰ったほうがいい」

 羽風先輩は二人の言葉に頷いて頭に手を置いた。大きく撫でて「じゃあ帰ろうか」と笑う彼に、私は素直に頷いて帰り支度を始める。アドニスくんはもう少し残るらしく「施錠は任せておけ」と教室の鍵をチラつかせた。「明日は練習だからな」と晃牙くんが刺々しく言い、羽風先輩はうんざりしたように「わかってるって」とため息を吐き出す。

 気がつけばもう外は半分程夜空に塗り変わっていた。日が落ち切るのもそう遠くないだろう。資料をファイルに挟み込み胸に抱いて「これ返したいので職員室に寄っても良いですか?」と尋ねれば羽風先輩は嫌な顔一つせず「いいよ」と笑った。

「じゃあまた明日、晃牙くんちゃんと勉強しなよー?」
「うっせえよてめえこそ考査まで時間ねえのちゃんと覚えとけよ」
「うっそ」
「残念ながら本当だ、心配しなくともちゃんと補習の面倒は見てやるから安心しろ」
「え?なに勉強苦手なの?俺教えてあげよっか?お休みの日とか!」

 おどけて笑う羽風先輩に晃牙くんが「休みの日に会うとなにされっかわかったもんじゃねえぞ」と笑う。露骨に嫌な顔を浮かべた羽風先輩が「けだものじゃないんだし手出ししないっての」と言葉を吐き出す。アドニスくんが心配そうに眉を寄せて「困ったらつま先を思い切り踏んで逃げろ、いいな」と言うので私が頷けば、羽風先輩は煩わしそうに手を泳がせて「じゃあ俺たち帰るから」とさりげなく私のカバンを持ち上げる。「自分でもてます!」と言う私に彼は黙って笑顔を浮かべ歩き始める。置いて行かれないように彼の背中を追って、私も教室を飛び出した。

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