嘘つきは誰だ_04
もう冬の色が濃くなった道を歩く。分厚いマフラーに毛糸の手袋。水色のブレザーは冬の風に誘われるがままはためき、悪戯に吹き込んだ風がセーターの隙間から背中へと一気に駆け上った。ぶるりとその身を震わせれば隣を歩くアドニスくんが「寒いのか?」と尋ねてくる。防寒具を殆どと言っていいほど身に付けていない彼にそんなことを言われてしまっては素直に頷けなくて「寒くないです」と答えれば、彼は笑って「そうか」と白い息を吐き出した。一時退院を経て、無事に正式に退院を果たしたけれど、私の記憶は何一つ戻ってはこなかった。しばらく家で過ごしていたおかげで、母をはじめ、父、弟には大分慣れたから忘れていたが、こうして歩く通学路は初めての道に見えるし、通りすがりに挨拶をくれる同じ制服の方々は、ほぼ9割方知らない顔だ。
久しぶりに顔を出す『知っているのに知らない不安』は歩くたびに色濃く影を落とす。紛らわせようとアドニスくんを見上げれば、彼は私を見下ろして「どうした」と首を傾けた。
「アドニスくんと私は、よくこうして一緒に登校してたの?」
明日から登校です、と伝えれば当たり前のようにアドニスくんから帰ってきた『分かった迎えに行こう』のメッセージ。場所を説明しなくても彼は指定した時間通り私の家の前までやってきたからおそらくはそうなのだろうと思い聞いてみたら、予想とは違い、彼は首を横に振った。
「いや、数回……お前が大荷物を持って登校する時に手伝ったくらいか」
「え、そうなの?……なんだかごめんね、気を遣わせちゃって……」
「気にするな、記憶がないと登校も困難だろう?勝手がわかるまで、しばらくは付き添おう」
「かって……?」
「ああ、普通の高校とは違い特殊だからな」
そう言いながらアドニスくんは歩みを止める。赤色の信号機の向こうに、さすが私立とため息を吐きたくなるほど高くそびえ立つ赤煉瓦の壁が見えた。ありふれた塗装の剥げた低い柵ではない、まるで映画のセットのような重厚な正門。空気で薄ら霞んでいるが遠くに見えるのが校舎だろうか?壁に沿うように長く伸びた行列を見つめていると、アドニスくんが「早く出て正解だろう」と笑った。昨日私が提案した時間よりもずっと早い時間を指定してきたアドニスくんを疑問に思っていたのだが、ようやくその理由が分かった。
「朝は、混むね」
「ああ、この時間でもギリギリかもしれない。急ごう」
信号が青に変わる。灰色の石畳をたくさんのローファーが叩く。不規則に響く音の中を泳ぐように、私とアドニスくんも行列の末端を目指した。
行列を通り過ぎるたび、嬉しそうに挨拶を交わしてくれる声が届く。笑顔を作って挨拶を返して歩き続けると、潜めた声で「記憶が」だとか「噂の」だとか、あまり嬉しくない単語が耳に飛び込んでくる。そうかこういうのをこれから知らんぷりしなきゃいけないのか。アドニスくんを見上げれば、彼は眉を寄せて「気にするな」と一言。そして歩調を緩めて私の背後に回ると、私と行列の間に割って入るように歩く。
なんとなく彼の人となりが見えた気がして、私の心はほんのりと暖かくなった。