あしたのはなしをしよう。_05

「お前って俺のことが好きだったんだな」
「はい?」

 本日も天気は良好。燦然たる輝く太陽に照らされた廊下は夜のそれとはまた違った、賑やかな一面を見せる。開け放った窓からは暖かさをはらんだ風が吹いていて、まるで昨日の出来事なんて嘘だと思うくらい、穏やかな空気を運んでくれた。

 あの後晃牙くんに朔間先輩をお願いして解散した私は、いつも通り家に帰った。多少心配はしていたものの晃牙くんもいるし、いきなりああなったのならもしかしたら明日いきなり戻っている可能性だってあるのだ。漠然とした不安をそんなかけらのような希望で塗りつぶしながら床に入れば、思ったよりすんなりと眠りにつけて、いつも通りの朝を迎えることができた。
 あまりにその朝がいつも通りだったので、かけらのような希望は膨張して、きっと戻っているはず!なんて確証のない自信へと変貌していた。でも一応、もしかしたら戻ってないかもしれないとちらつく不安に蹴飛ばされてお昼休みに軽音楽室に来てみれば、入り口であってしまった。彼に。

 朔間先輩はいつも通りの姿で、いつも通りではない喋り方で、とんでもないことを言い放った。素っ頓狂な声を上げてしまった私を見下ろして喉奥で笑い、軽音楽室の鍵を開ける。かちゃり、と小さな音を立てて鍵穴が回り、先輩はそれを引き抜くと呆然としている私など御構い無しにドアを開ける。

 カーテンを閉め切った部屋は今日も薄暗い。電気をつけて中へと闊歩する彼は、入り口で立ちすくんでいる私を見て不思議そうに顔を歪めて手招きした。

「入らねえのか?」
「は、入りますけど……今のなんですか、誰からですか、晃牙くんですか!」
「ん?なんとなく」

 先輩はそう言うとカーテンを少しめくり、顔をしかめてすぐに閉じた。いつもならまだ寝ている時間だから眠いのだろう、大きくあくびを浮かべてそのまま棺桶を開く。寝るのかな、と思いきや彼はその中に座り込むとまた一つあくびを漏らして、半睡の瞳でこちらを見つめた。

 なんとなくってなんなんだ、なんとなくって。先輩の言葉がひっかかりつつ窓際に寄って窓を開けば、埃臭い空気が押し流されていくのを感じた。空気に押されて膨らむカーテンは、床に大きく光をぶちまける。先輩は棺桶に座りながらその光景を眺めて、「晃牙が」と口を開いた。

「直接そうは言ってねえけど、似たようなことを言ってた」
「似たようなこと?」
「『知らないヤツだと思いますけどあいつには悪意はないので、側に置いてあげてください』ってな、愛されてんな、お前」

 棘はなく、ただ事実をなぞるような言い方だった。思い返せば先ほどの言葉だって、どこか他人の話をするような口ぶりだ。私は朔間先輩が好きなのだけれど、好きなのは今の朔間先輩ではなく以前の彼であって、それはどうやらこの人もわかっているようだ。
 だから平静とそう言うことをいうのか。そう考えると私自信も冷静になってしまって、「そうです、好きですよ」と暴露しない予定だった気持ちを伝えてしまった。朔間先輩はきっと興味なさげに流すだろうと思いきや、彼は眉を下げて「悪かったな」と一言そう言うと、こちらから目を逸らした。

「朔間先輩」
「悪いが元に戻ってねえからな」

 彼は鬱陶しそうに手を宙で泳がせた。その態度に困惑して私が眉を寄せれば、彼はこちらを振り向いて一言「なんだよ」と同じように眉を寄せた。

「いえ別に。わかってます、先輩が元に戻ってないことくらい、でも先輩が悪いわけじゃないです」
「でもお前は俺が好きだったんだろ、他人が取って代わったみたいに見えるんじゃねえのか?」
「まあその、多少は違和感ありますけど、大切な先輩には変わりありませんから」

 棺桶に寄り持っていたビニール袋を差し出せば、先輩は驚いたように目を丸める。そういえば晃牙くんっていつも食堂だったなと思い出して、連鎖するように、先輩はお昼買ってきてたんだっけ、と思い出しただけだ。きっと晃牙くんここまで気が回らないだろうし。手作りの弁当も考えたのだけれど万が一彼が昨日のままなら、見知らぬ女からの手料理なんて気味が悪いだろうしと思い買ってきたーーカツサンドと、トマトジュース。

「お昼です、きっと買ってないんじゃないですか?」
「……助かる」
「じゃあ私はこれで」
「お前も食ってけよ、食うつもりだったんだろ」

 咄嗟に自分の弁当を隠せば、彼は呆れ顔で「遅い」と言い、笑った。戸惑いはしたけれど、私はいつものように適当な椅子を引っ張り出し、棺桶の隣に座る。

 お昼を一緒に食べるのはいつから習慣になっていたんだっけ。いつでも良いか、どうせ私しか覚えていない事柄になってしまったのだから。

 一段のお弁当を開けば「それしか食わねえんだな」と彼はパックジュースにストローを刺しながらお弁当を覗き込む。ボリュームはカツサンドと同じくらいだと思うけれど、じろじろと見られるのが恥ずかしくて自分の方に弁当を寄せれば「まあ女だもんな」と彼は興味が失せたように弁当から視線を外した。ストローを刺したジュースを棺桶に置いて、ビニールからカツサンドを取り出す。頂点にぴろりと出ているテープを滑らせて封を開けながら、彼は「いつもこうして食べてんのか?」と口にする。お箸箱からお箸を取り出しながら「まあ、その、予定があえば」と言葉を濁す。先輩はその言葉を聞いて目を丸くして「なんだお前ら付き合ってたのか」なんて言い出すので慌てて「付き合ってないです!」と首を横に振った。
 振りながら、お前ら、と先輩の言葉を心の中で反復する。あなたのことですよなんて、とてもじゃないけど言えそうにない。

「付き合うとか考えてなくて、一緒にご飯食べてたのもユニットの今後のことを相談するためで」
「昨日だいたいは聞いたけど、プロデュース科は一人なんだろ?ほかの卒業するユニットのリーダー全員にそれやってんのか?」
「え?そんなことはないですけど」
「じゃあ他のユニットよりもうちは心配事が多いのか?」
「そんなことも……安定してる方だと思いますけど」

 そう言うと先輩は「ってことはよっぽど一緒に居たかったんだな」と笑い、カツサンドを一つ取り上げた。何を指しているのか理解できて、首を思い切り横にふるえば、先輩は寂しそうに目を細めて「なおさら悪かったな」と言った。

「卒業間近なんだろ、俺」

 どう返答して良いかわからずに先輩を見つめると、彼は私の視線から逃れるように顔を背けてカツサンドを食べ始めた。そう言うことを言いたかったわけじゃないのに。重苦しい空気に「先輩は悪くないです」ともう一度同じ言葉を繰り返して唐揚げを取り上げる。好きな味のはずなのに、美味しくはない。ごろりと転がるそれをただただ咀嚼していると、遠くからやかましい足音とともに元気よく扉が開く。そういえば昼休み。慌てて先輩をみれば、先輩は不審そうにこちらを見るばかり。状況を伝える暇もなく、賑やかな双子は雪崩れるように軽音楽室へと入ってきた。

「あ、今日もミーティング中でしたか?アニキ、やっぱ出直そう」
「良いじゃん別に、先輩、今日もここで練習してても良いですか?」

 彼が言う先輩は、私ではなく朔間先輩であることは明白で。しかし彼には一年間の記憶がないから、二人の存在を知るはずもなく。
 どうしようと焦る私を一瞥した朔間先輩は、いつものように穏やかな笑みを浮かべると「かまわんよ、我輩たちも大した話はしておらんからのう」と私に笑いかけた。その変貌に息を飲む私にゆうたくんが「そうなんですね」と笑顔を浮かべる。できるだけ不自然にならないように「そうそう、だいじょうぶだよ」と拙く伝えれば、どうやら違和感はなかったらしく、ゆうたくんは照れ笑いを浮かべて「じゃあお言葉に甘えて」と楽器を手にした。

 先ほどまで静寂に満たされていた空気が、塗りつぶされるように賑やかになる。金魚のように口を開閉させる私を見た先輩は悪戯に笑った。

「どうじゃ?一夜漬けにしてはいい線いっておるじゃろ?」


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