あしたのはなしをしよう。_04

 内緒にしておいて欲しいというのはどうやら身内も含まれているらしく、朔間先輩は濃紺の空を見つめながら「今日はここに泊まるか」と言い出した。朔間先輩が学校に泊まるのは常ではあるし別段驚くこともないのだけれど、私を含めた全員首を横に振った。朔間先輩は顔を不快そうに歪めて「だったらどこに泊まればいいんだよ」と言葉を吐き捨てた。私の家はもちろん駄目だし、家には帰らせられないし、としばらく悩んだのちに「晃牙くんの家とか……?」とぼそりと呟けば、羽風先輩はなんども頷いて「そうだねそれがいいよ!」と晃牙くんの肩を叩く。槍玉に出された晃牙くんは戸惑ったように目線を泳がせながら「まあ仕方ねえな」と肩をすくめた。その言葉に朔間先輩は幾度か目を瞬かせる。

「お前の家微妙に遠かっただろ」
「あ、その、一人暮らし始めたんッスよ」

 飛び出した敬語に今度は私が驚いてしまい、思わず「なにその敬語」とぽろりと言葉を落とす。だって晃牙くんが敬語を使うなんて、初めて聞いたし。敬称はつけるけど他人相手に敬語を使っているところは見たことなくて、思わず一つ笑いをこぼしてしまった。晃牙くんがムッと眉を寄せて何か文句を言おうと口を開くが、その前に咎めるような声で「からかってはいけない」とアドニスくんに怒られてしまった。

「大神は朔間先輩のことを尊敬しているからな、敬語は尊敬する相手に使うものだろう?」
「う、うるせえよ!くそ真面目に解説しなくていいんだよんなことは!」
「わんちゃんわかりやすいねえ」

 和気藹々とした雰囲気に今度は朔間先輩が困惑したように顔を歪めた。そして隣に立っていた私の耳元に口を寄せて「あいつってあんな雰囲気になったのか……?」と耳打ちをした。先輩の視線を辿ればそこには楽しそうに後輩とじゃれつく羽風先輩の姿があって、ああそういえばこの人もここ一年で大きく変わった一人だったな、と小さく笑った。

「秋頃からだんだんと」
「へえ、あいつがな」

 朔間先輩がじっと羽風先輩を見つめる。わめきながら必死に防ごうとしている晃牙くんと、その晃牙くんの頭を撫でようと躍起になっている彼の姿は、春先の彼の態度からは確かに想像できなかった。一年前なら、尚更だろう。随分と遠い目をして朔間先輩は羽風先輩を見ている。
 いやもしかしたら、彼は一年前の羽風先輩を思い出しているのかもしれない。

 もし私が一年間記憶がすっぽ抜けてたら、どうなるだろう。例えば明日私が目を覚ませば、そこはもう一年後の世界で、三年生になった晃牙くんとアドニスくんがいて。そして先輩たちはもう卒業していて……。

 卒業。

 朔間先輩を見上げれば、彼は訝しむように目の前のやりとりを見ていた。そうか、もしかしたら彼はこのまま卒業してしまうのか。ということは、私の知っている朔間先輩はもう、会えないのかもしれない。
 そう思ったら急に気持ちがしぼんでしまった。もし卒業後記憶が戻っても、きっと連絡は来るだろうが会うことは難しいだろう。アイドルとは、そういうものだ。この学院という箱の中で奇しくも運命が交わっただけの話。交差点から一歩踏み出せばきっと、もう。

 急にうなだれ出した私を気にしてアドニスくんが肩を軽く叩く。「あまり深く考えるな」と神妙に伝える彼には私の気持ちは伝わっているのだろうか。アドニスくん、と呟く私に彼は首を横に振り「大神は敬語を使わなくてもちゃんと先輩たちを尊敬している」と生真面目な目線をくれた。

「うっせえよ!誰がこんなへっぽこ共を尊敬するかよ!」
「へっぽこだって聞いた朔間さんー?」
「へっぽこなあ、ふうん」

 私の心配をよそに朔間先輩は笑ってじゃれ合う二人に歩み寄った。しどろもどろに言葉を落とす晃牙くんの頭を乱暴に掻き撫でて朔間先輩は笑う。いつもとは違うその笑い方にどうしていいかわからず視線を背けると「大丈夫だ」と言葉が降ってきた。

「……晃牙くんのことじゃないからね」
「ああ、わかっている。大丈夫だ、あの人は間違いなく朔間先輩だ」
「うん、そうなんだけどね」

 どうこの不安を言葉にしていいかわからず閉口すると、頭上から小さな笑い声が聞こえた。見上げればアドニスくんが穏やかな微笑みを浮かべて、ぽんと、頭の上に手をおいた。そして向こうの喧騒にかき消されるほど小さな声で、囁く。

「お前は朔間先輩のことを好きでいて、大丈夫だ」

 は?!と大声で放った言葉はどうやら騒いでいる三人に伝わったらしい。一挙に視線がこちらに集まる。「なになにどうしたの?」と楽しそうに声を弾ませる羽風先輩から隠れるように、私は慌ててアドニスくんの影へと引っ込んだ。

←03  |top|  →05