蹴り飛ばしたガラスの靴_08

 春うららかな陽気に誘われまして。なんて髪を切った理由を適当に答えれば、後輩はひどく笑っていた。
 週刊誌はその名の通り一週間経てば新しい号を発刊し、晃牙くんの話題などまるでなかったかのように新しい噂を発信していた。こんなに綺麗さっぱり切り替えられるものなのだろうか、とも驚いたのだが、きっと両者がきっぱり否定したのが原因の一つだろう。そして、もう一つ。
 コーヒーを片手に件の雑誌をみれば、彼らの所属している事務所のモデルの結婚を知らせる見出しがでかでかと表紙を飾っていた。芸能界の話題をかっさらう程度には大きなカップルの誕生に、人々の視線は一週間前のスキャンダルよりもそちらへと向いたらしい。
 一年間、あの夢ノ咲で五奇人の親玉と過ごしてきた日々を考えると色々と邪推してしまうが、聞いたところではぐらかされるので絶対に聞かない。

 ということで、晃牙くんの騒動はぽっと花が咲いたと思えば、たった一週間程度で早々に摘み取られてしまったわけである。

 まあこれでしばらくはーーとても残念なことにきっと羽風先輩の自粛は続くだろうがーー晃牙くんは元気になるだろう。しょぼくれた片鱗を見せたあの玄関先の表情を思い出して、私は胸をなでおろす。どうやらSNSも再開しているらしく彼らしい真面目な謝罪文は多少批判のコメントも付いていたものの概ね暖かい声援で埋まっていたらしい。本当によかった。

 私の方はというと、急に髪型をベリーショートにしてしまったこと、そして脱色までしてしまったことに関して、仕事場では一瞬話題になったものの、次の日からみんな当たり前のように接してくれた。もともと派手な姿でも許容される職場ではあるが、ここまですんなり受け入れられるとは。
 まあ人の噂なんてこんなものだと、晃牙くんの騒動と重ねて一人笑う。

 なんにせよ、失ったものはあるし得たものはある。きっと晃牙くんの家に通うこともないだろうし、残念ながら彼の服を着る機会はなかったなあ。あれ、いつ返せばいいだろう。ついでにメンズ服のお金もーーとてもこわいけれどーー聞いておこう。私の手元に置いておくならお金を返すのが筋だから。

 底に溜まった砂糖を揺らしながら溶かす。薄茶色の液体がたぷんたぷんとコップの内壁に当たっては揺れる。
 これでハッピーエンド。物語のピリオド。夢のようなあの日々をふと思い出すこともあるだろうし懐かしむことも後悔することもきっとあるけど、それはまた、思い出の一部に……。

 なるはずも、なく。

「先輩めっちゃ携帯なってますよ」
「あー、うん、そうだね」
「電話なら席外しますよ、ついでに次の会議の資料まとめとくんで見てもらっていいですか?」
「ん、わかった、でも電話じゃないし大丈夫だよ」

 震え続ける携帯を開けば、メッセージアプリから着信を知らせる小窓が表示された。薄らと予想していた通りの着信相手に、思わずため息を吐く。

 はるか昔に晃牙くんとアドニスくんとで作ったメッセージグループはずっとアプリの下のほうに沈殿していたはずなのに、あの日からことあるごとに着信を主張してくるようになった。大抵晃牙くんのどうでもいい話と、アドニスくんの流失したらファンが卒倒しそうなUNDEADの皆様のオフショットで構成されていた。(これに関してはほんと先輩たち検閲してほしい)
 羽風先輩が自粛しているというのに当の本人はいいのか、これで。そう思いつつも律儀に返信してしまう私も共犯なのだろうか。

『大神:次はいつくるんだよ』
『晃牙くんがスキャンダル起こしたらまた行ってあげるね』
『大神:ああ?!持ち逃げかてめえ』
『ー乙狩さんがスタンプを送信しましたー』

 反論を打っていると、アドニスくんがやけにリアルな唐揚げのスタンプを押してきた。争うな、肉を食え、ということだろうか。彼らしい物言いのスタンプに思わず苦笑が零れる。誰から教えてもらったのか知らないけれど、見かける度に唐揚げが恋しくなるし、これのせいで晩御飯が唐揚げになったこともある。

「先輩、先戻っておきますね」
「うん、わかったー」

 休憩室から出て行く後輩を見送って画面に目を落とす。喚いている晃牙くんと、よくわからないスタンプを押すアドニスくんーー文字を打たない分スタンプが楽らしいーーの履歴を眺めながら、次かあ、と携帯を閉じる。

 鎮火したとはいえ会うなら男装の必要はあるだろう。でも鎮火したからこそ先輩方にあのメイクを頼むのは正直気が引けた。もう魔法はかけてもらえない。でも自分で変身するような技量は持ち合わせてはいない。

 当分会えそうにないから服は返すねと言ったら彼は怒るだろうか。黙って返す方が怒るだろうか。そう思いながら「仕事だから」と会話を切り上げる。

 春らしい爽やかな風なのに、遠くの方の空は暗かった。一雨来るかもしれない。濁る空を眺めながら、私も休憩室を後にした。

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