蹴り飛ばしたガラスの靴_07

 どうして今まで連絡を取らなかったのだろうかと後悔するくらい、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。ローテーブルにあふれんばかりのお菓子たちは今やもう影も形もなく、追加で出してきた晃牙くんの家のお菓子も食べつくしてしまった。ペットボトルから飲み物がなくなり、追加だと言ってお酒を開け出して、気がつけばもう10時半。夕暮れはすっぽりと夜闇に包まれており、晃牙くんの家の大きな窓からキラキラと星が瞬いてるのがよく見えた。

「もう帰らないと」

 グラスに残ったお酒を飲み干し立ち上がればくらりと目眩がした。そんなに飲んでしまったのかと慌てて足でふんばりたち尽くせば、ぶらりと垂れ下がった手首になにか生暖かいものが巻き付いた。それが晃牙くんの手だと気付いた時にはもう離れていて、晃牙くんは顔を赤らめながら「っぶねえな」と言葉を吐いた。
 懐かしい温もりにそっと手首をさすると晃牙くんも同じようにグラスに残った酒を一気に飲み干すと、空になったグラスをかき集める。改めて見ると、ずいぶんと飲んだものだ。無数にあるペットボトルや空き缶の量はどう考えても三人分よりもずっと多く、思わず笑いが溢れる。

「楽しかったよ、ありがと」
「……ん」

 晃牙くんがグラスを持ち上げると、示し合わせたようにアドニスくんが空袋をゴミ箱の中へと捨て始めた。私は空になったペットボトルのラベルをぺりぺり剥がしながら、ふと、窓の外を見た。鏡のように映るガラス越しの私はやはり見慣れなくて、軽くなりすぎた襟足を触れば「また伸ばせよ」と晃牙くんの声が届く。

「長い方が好きだっけ?晃牙くんは」
「別に興味ねえけど」

 そうそっけなく言って晃牙くんはキッチンの方へ歩き始める。途中で油断しきった格好で寝ているレオンを大股でまたぎ、そしてだらしないその愛犬の姿を見て「こいつ……」と晃牙くんはぼそりとつぶやいた。そしてそのままキッチンの方へと消えていく。かしゃんと流しにグラスを置く音が聞こえ、そのあと、何かを探すような物音が聞こえたすぐあとに晃牙くんはキッチンから顔を出した。

「空き缶」
「ん」

 不器用な三角形のスーパーの袋を解けば、今までゴミを捨てていたアドニスくんが笑って「俺が折ったんだ」と言った。「一緒に住んでるの?」と問えば「今だけだよ」とキッチンから声が聞こえる。

「アドニスが帰らねえって言うんだよ」

 俺の意思じゃねえ、と喚くが、きっと晃牙くんの為なのだろうな、と思う。今日1日過ごしてきてーーもしかしたら虚勢を張っている可能性だってあるけれどーー先輩たちが思うほど元気がない訳ではなさそうだった。しかし時折見せる影というか、薄暗い雰囲気はやっぱりあって、私が本当に男だったら泊まって一晩中話を聴くんだろうな、なんてことも思った。しかし残念ながら私は女で、もう帰らなきゃいけない。泊まるなというのは先輩たちからの厳命である。

 すべてのラベルを剥がし終わり、空き缶を潰して袋に入れた頃に、晃牙くんは戻ってきた。小ぶりのペットボトルに入った水を手渡して「途中で気分悪くなるかもしんないだろ」とそれを私に押し付ける。素直に受け取ってカバンを持ち上げれば、アドニスくんが私を呼び止めた。

「また、会えるだろうか」

 会えるよ、なんて気軽に言えなくて言葉に窮していると、代わりに晃牙くんが「会える」と言った。驚いてそちらを見れば、彼は睨みつけるように私を見て「会える」ともう一度、確かめるように呟く。

「つうか馬鹿みてえに距離とってんじゃねえよ、馬鹿」
「馬鹿ではないです」
「馬鹿じゃねえかよ……次もその格好でくんのかよ」
「次があるならね、さすがに女の子の格好じゃ通えないし」
「……ちょっと待ってろ」

 そう言うや否や晃牙くんは別室へと引っ込んでしまった。アドニスくんは不安げに瞳を揺らして私を手招きする。素直に寄って彼の隣に腰を下せば、アドニスくんは「ありがとう」と言いながら深々と頭を下げた。

「俺たちの問題に巻き込んでしまって申し訳ない」
「そんな気にしなくていいよ、だって」

 そこまで言って私は言葉に詰まった。急に途切れた言葉にアドニスくんは不審そうに顔を上げる。
 友達、と言っていいのだろうか。自分勝手に距離をあけて?数年間何も連絡を取らずに?さらには友達のピンチも見ないふりをしようとした私は、友達のカテゴリーにはいっていい存在なのだろうか。
 震える声で絞り出した「元プロデューサーの、アフターケアってやつ?」なんて言葉は言いながら自分でも意地の悪い言葉だなと思った。口元がぶるぶると震えて止まらない。どうしよう、とても泣きそうだ。両手を膝の上に置いて唇を噛み締めれば、アドニスくんは優しく表情を崩して「お前のような友を持って俺も大神も幸せだな」と言ってくれた。
 程よく入ったお酒は涙腺を緩める効果もあるらしい。アドニスくんの言葉にぽろりと、雫が溢れる。鼻をずびりと鳴らし「アドニスくん」と私が彼を見上げた瞬間ーー頭上に突然の柔らかな衝撃。

「泣いたらメイク崩れんだろ、少しは考えろ」

 晃牙くんはそう言うと今しがた振り下ろした紙袋を私に手渡した。何だろうと覗き込むと、そこには晃牙くんのものであろう私服が詰め込まれていた。

「タクシー呼んでっからそれで帰れ、あと次来るときはそこから選べ」
「えー……」
「えーってなんだよ!俺様の服を着られんだぞ泣いて喜べ」
「なんか涙ひっこんじゃったよアドニスくん、晃牙くんって相変わらずこんな横暴なの?」
「ああ、変わらない」
「うっせえよアドニスも!いいから!あいつらが選んだダッセエ服よりも俺様のセンスのある服を着た方がいいだろ」

 紙袋から一着適当に出してみれば、晃牙くんが好みそうな、よく言えばロックな、悪く言えばごちゃごちゃとした柄の服が出てきた。「とてもじゃないけど着こなせそうにないわあ」とため息を履けば「今のとても鳴上っぽかったぞ」とよくわからないお褒めをアドニスくんから頂いた。

 晃牙くんはその服をひったくるといかにこのTシャツが良いかを頼んでもないのにプレゼンし始めて、途中から起きたレオンが何事かと嬉しそうに服にじゃれつき、アドニスくんと私はお腹を抱えてずっと笑っていた。途中でタクシーが着た旨を知らせる着信が晃牙くんの携帯に入り、和やかな空気が一変して冷え帰る。せっかくなのでとたくさんレオンの毛がついたそれを私は受け取り紙袋の中に入れる。次回はあるのだろうかと思っていたが、少なくともこれらを返さなきゃいけないのであと一回は会うことになりそうだ。
 なりそうだ、なんて。
 靴を履いて振り返れば、曇った表情で私を見つめる晃牙くんとレオンを抱いたアドニスくんが立っていた。いつもは虚勢をはって偉そうな言葉を一つでも吐くのに、此の期に及んで彼から飛び出した言葉は「帰るのかよ」との言葉。「また来るよ」と笑えば「ああ」と短く返事をして彼は手を差し出した。
 意味がわからなくて見上げれば、後ろにいたアドニスくんが口パクで「あくしゅ」と私に伝えてくれる。別れ際に握手って、晃牙くんってそんなキャラだっけ?恐々と手を差し出せば手首を掴まれて、そのまま引き寄せられた。ぐらりと倒れる体は吸い寄せられるように晃牙くんの胸の中へ。どうやらアドニスくんも驚いたらしく「大神?!」と声を荒らげているが離してくれそうにない。

「週刊誌の、あれ、信じるなよ。あの女とはなんでもねえから」
「晃牙くん……」
「なんだよ」
「大丈夫全く興味ないから」

 ああ?!とようやくいつもの乱暴な声をあげて晃牙くんは私を引き剥がす。へらへらと笑う私に「興味ねえとか」と愕然と晃牙くんは言葉を吐いた。

「だって嘘ってみんなから聞いてたし、晃牙くんなんか、ホテルとか入る勇気なさそう」

 私が笑えば同意したようにレオンが大きく鳴く。ちょうど良いタイミングにアドニスくんは思わず吹き出し、顔を真っ赤にした晃牙くんは思い切り私の頭をひっぱたいた。

「ああ?!ホテルに入るくらいの勇気あるっての!」
「いったい!最低!先輩たちも晃牙くんも、なんでUNDEADってこんな乱暴なの!」
「乱暴……?どうした先輩たちになにかされたのか」
「え、なんでアドニスくん今の晃牙くんの暴挙はスルーなの?結構今のも痛いよ?」
「……いつものことだろう?」
「ハハッアドニスわかってんじゃねえか」
「わかってんじゃねえか、じゃない!」

 玄関前の攻防は、晃牙くんの携帯にしびれを切らしたタクシーの運転手さんから電話が入るまでずっと続いた。懐かしい、気安い空気をあとにしながら私は彼らのいた部屋を振り返る。一応見送りは部屋の玄関まで。そこからは一人、衣装のたくさん入った紙袋を抱えて私はエントランスに降りていく。

「(先輩たちに連絡しないと)」

 タクシーの運転手さんに軽く遅れた謝罪を伝えて、私は乗り込む。ドアが閉まり、滑り出す街並みを眺めながら、ほう、とようやく一息ついた。

「(楽しかった、な)」

 行き先を伝えて私は紙袋を抱きしめる。レオンの香りか、晃牙くんの部屋の香りかはわからないけど、馴染み深い匂いが、紙袋から広がる。余韻を消さないようにしかりと封をしめて、夜の街並みをただただ眺めた。


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