蹴り飛ばしたガラスの靴_05

「ほんっと最低……」

 そう言いながら額を抑える羽風先輩など見向きもせず朔間先輩は上機嫌にお酒を啜っていた。どうやら日本酒にくら替えしたようで、御猪口片手にお酒を嗜む彼の姿はなんとも絵になる。徳利を傾けながらそれにお酒を注いで「いやあ薫くんは痛がる姿も格好いいのう」なんて悪びれもなくけらけらと笑い声をあげた。羽風先輩は頬を膨らませ新しくきたおかわりのお酒をふてくされながらすする。
 側から聞いていた私でも目を瞑るほど痛そうな音を奏でたデコピンは、未だ羽風先輩の額を赤く染める。かわいそう、という気持ちと、私じゃ無くて良かった、の気持ちが入り混じりつつ羽風先輩を見つめていたら、先輩は不機嫌な態度から一変、嬉しそうに微笑むと私の服の袖を軽く引っ張った。

「もしかして見とれてる?」
「いや、痛そうだなと思って……先輩酔っ払ってますよね?」
「酔ってるよ、あとね」

 先輩が手招きするので机から少し乗り出して耳を貸せば、まるで内緒話をするように彼は声を潜めて「俺ね、アイドルだからもっと見ていいよ」と言った。呆れて羽風先輩を見れば、彼はウィンクを一つ飛ばしてクスクスと笑う。ああ酔っ払いだ。清々しいほど、酔っ払いだ。
 馬鹿らしくなって座り直せば、えええ、と心底残念そうな羽風先輩の声が響いた。彼を無視してお酒を口にすれば、今まで静観していた朔間先輩は喉奥で笑い声をあげた。

 そして彼はお猪口を机の上に置く。微笑む表情は変わらないのに、彼から広がる尊厳な空気に、思わず私は座り直した。雰囲気を察して、羽風先輩も顔を引き締める。朔間先輩は微笑みを湛えながら、さて、と口火を切った。

「嬢ちゃんの気持ちもほぐれたところで本題なんじゃが」
「本題?」
「楽しく飲むのも目的だったけどね、晃牙くんのことです」

 まあこのタイミングならそうだろうな。分かっていながらも彼の名前を聞いた瞬間に、喉がひどく渇く感覚に陥った。先程までたらふくお酒を飲んでいたというのに。グラスに残った氷でかなり薄まってしまったお酒を流し込めば、羽風先輩は慌てて「そんな仰々しい話じゃないからね」と柔らかく表情を崩す。そしてこの息苦しい空気の中、残ったサラダをひょいとつまんで「朔間さんも顔が怖いからあ」と笑った。そういえば酔っぱらいだったなこの人。
 指摘された朔間先輩はきょとんと目を丸くして羽風先輩を見た。そして顎に指を置いて「そんなに怖いかのう」と首を傾げる。「こわいこわい」とからかうように羽風先輩が笑う。朔間先輩もはにかんで「そんな怖くはないんじゃがなあ」とケラケラ笑った。

 本題は一体どこへ行ってしまったんだ。軌道修正のために一度咳払いをすれば、先輩達はこちらを見て、「一番怖い」と各々ぼそりと呟いた。

「ほんっと帰りますよ!」
「あー待って!ストップ!」
「冗談じゃよ嬢ちゃん、落ち着いて落ち着いて」

 ほら唐揚げじゃよー、なんて朔間先輩がひとつお皿に残った唐揚げを差し出してきた。すぐに食べるのも癪なのでお礼を一ついいお皿を自分の元へ引き寄せれば、先輩は満足そうに頷いて、さて、とまた仕切り直す言葉を呟く。

「まあ嬢ちゃんも知っておると思うが、先程薫くんが話した通り、晃牙がああいう形で世間を賑わしてしまったじゃろう」
「……大丈夫です、連絡も一切してませんから」

 きっと予防線を張るつもりなのだろうと、私は薄くなったお酒を煽りながら視線を机に落とした。異性とのトラブルを起こした相手に異性である私が接触するのはまずいと、そういうことを言いたいのだろう。現に羽風先輩だって異性との接触を自粛しているみたいだし。この会がなぜノーカンになっているかはいまいち理解できないけれど、朔間先輩に言われるまでもない。晃牙くんに連絡する気は無いし、これからもする予定はない。迷惑や心労は、かけたくない。

 私の答えに満足げに微笑んでいると思い顔をあげれば、予想に反して朔間先輩は困ったように眉を寄せていた。

「……もしかして、喧嘩中か?」
「はい?」
「いや嬢ちゃんこういう時に気の利いた言葉ひとつくらい連絡する子じゃろう?もしかして仲違い中なのかの?先輩に話しておくれ」
「もしかして一度くっついて別れたとか?!俺聞いてないんだけど!」
「いやいやいや、別にその、そういう訳じゃないですし、異性問題起こした人に連絡するとかちょっと違うじゃないですか」
「そうかな?俺なら女の子から連絡来ればいつでも嬉しいけど?」
「薫くんだからじゃろう」

 ちらりと羽風先輩を見た朔間先輩は、辟易したようにため息を吐いた。そして再度向かい合うように座り直して、では、と神妙に言葉を吐く。

「嬢ちゃんがもしよければ、わんこの、晃牙の近くにいてあげてほしいんじゃよ」
「……どういう意味ですか?」
「晃牙くんがね、ホントびっくりするくらいしょげかえっちゃってさ、アドニスくんが側にいてもあまり効果ないというか、アドニスくんに虚勢張っちゃって空回りしてるというか」
「我輩たちとてアイドルじゃ、笑顔を曇らせたまま活動するわけにもいかん。誤報なら尚のことに、じゃ」
「ほかのアイドル達を巻き込むわけにもいかないし、だからお願い、一日でもいいから側にいてあげて欲しいんだ」
「……でも、晃牙くんと連絡を取らなくなって大分経ちますし……」

 そう言葉を濁すと朔間先輩はニコリと笑い、そこは問題ない、と自信あり気に言い切った。あまりのその明瞭さに羽風先輩も目を瞬かせて「秘策でもあるの?」と首を傾げる。

「あるある、嬢ちゃんは知らんと思うが、我輩魔法使いなんじゃよ」
「吸血鬼じゃなくてですか?」
「吸血鬼も魔法は使えるんじゃよ、ほれ、目を閉じてみなさい、我輩が魔法をかけてやろう」
「魔法って……」
「わんこと今まで通り仲良く出来る魔法じゃ、と、その前に、受けてくれるか?この話」

 晃牙君が困っているなら助けたいのも事実。そして奢ってもらった手前断れないこの状況も、また事実。姿勢を正し「私になにか出来るのならお手伝いさせてください」と頭を下げれば、朔間先輩は「ありがとうな、嬢ちゃん」と二、三頭を撫でてくれた。

「さて、じゃあ嬢ちゃんがわんこと仲良しに戻れるための魔法をかけるかのう」
「え、普通に朔間先輩が晃牙くんにうまいこと言えばいいんじゃないですか?」
「ほらほら嬢ちゃん目を閉じておくれ、魔法がかけれんじゃろう」

 あまりに強固なその態度に恐る恐る目を閉じる。うわかわいそう、と耳に届いた羽風先輩の声に嫌な予感が全身を駆け巡る。

 歌うように唱えられた「びびでばびでぶう」の言葉とともに指で弾かれた額は、この人たちが酔っ払いだということをまざまざと思い出させるほど、鈍く痛かった。


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