蹴り飛ばしたガラスの靴_04

 大丈夫だよ晃牙くんそういうのじゃないって、嵌められたんだって。ほらよくあるやつ。上手い角度で上手い具合にとって……まあ俺達にとってはマズいわけだけど、うん、だから大丈夫だよ、晃牙くんは。

 捲したてるようにそこまで言い切った羽風先輩はグラスにほんの少し残ったカクテルを口につけた。隣にいた朔間先輩はそんな相棒を横目で見て小さく笑い、彼もまた、グラスを傾ける。
 大衆居酒屋とはまた違った、彼ら御用達のお店は一部屋人部屋区切られていて防音もしっかりなされているようだ。目玉が飛び出るようなメニューから思い思いのものを躊躇なく選ぶ彼らを見て、まざまざと格差というものを見せつけられてしまう。居心地の悪さと、どうしていいか分からない戸惑いで、美味しいはずのお酒の味がわからない。
 なかなか箸の進まない私に朔間先輩は小皿に入った小ぶりな揚げ物を薦めた。戸惑いつつも口に運べば、上品な味がしたが、なんの揚げ物かさっぱりわからなかった。

「そうじゃよ、嬢ちゃん、わんこは潔白じゃよ」
「はあ、そうですか」
「そうそう大丈夫大丈夫」

 どうやら酔っているらしい羽風先輩はなぜだか御機嫌にそう言って備え付けられたタッチパネルを弄り出した。どうやらお代わりを頼むらしく、お酒のメニューを表示させ机の上に置いて、どうする?と一言。まだ半分以上残っている私は首を振り、朔間先輩はなにやらお酒の名前を言って、羽風先輩は頷き画面を指で滑らせる。

 久しく連絡を取ってなかった彼らから連絡が来たのは、あの週刊誌が発売されてから数日後のことだった。特別な用事も入っていなかったので二つ返事で了承すれば、思わぬほど高そうな店に連れていかれ、そして目玉が飛び出るほどの料理を今、ご馳走してもらっている。
 彼らの真意はよく分からないが、晃牙くん絡みの呼び出しということは羽風先輩の言葉からしてなんとなく感じ取る事ができた。もしかして連絡するなとか、そういう話なのだろうか。確かにこれ以上異性関係で揉めるのはよくないもんね。そう身構えていたのに、彼らから出てくるのはとりとめのない世間話と、先ほどのような晃牙くんの件に関する弁明。真面目な話はひとつも出てこず、お酒だけが時間に比例して増えていった。

 しかしなんで彼は、なんでこんな酔うまで飲んでいるのだろうか。ふふふ、と嬉しそうに微笑み卵焼きを口にする羽風先輩を見て、やはり違和感を覚える。羽風先輩と飲み会で一緒になった事は数回あるけれど、ここまで酔っている姿を見るのは初めてだ。というよりも、今まで酔っている素振りすら見た事なかったので、今のように、感情を丸出しにしている彼の姿が不思議でならない。
 どうやら視線に気がついたのか、豆腐に手を伸ばそうとしていた彼は私を見て表情を崩した。うん、アイドルというよりも、普通の大学生に見える。気のいい兄ちゃんだ。ただの。

「すまんのう、ストレスが溜まっておるのと、仕事じゃないからハメを外してるだけじゃよ」
「ストレス?」
「異性との連絡は禁止」

 普段はこんなに酔ったりはしないんじゃよ、と私の心を見透かしたような言葉を朔間先輩は言って笑う。羽風先輩はその言葉に深く長いため息を吐いて、顔をぶるぶると横に振るった。確かにこの人にとってそれは最大のストレスになりそうかもしれない。
 二年生の頃に催された返礼祭で女性関係をお掃除していたものの、それ以前の彼の印象が強すぎて思わずくすりと笑みをこぼす。羽風先輩は目ざとくそれを見つけて「笑う事ないじゃんか」と唇を尖らせた。

「すいません、ああ、でもそういうことなんですね。え、そんなストレスになるほどいろんな人と連絡してたんですか?」
「そうじゃないよ、でもいざ禁止にされるとストレスが溜まるんだよね、仕事しててもこの人と連絡とっちゃいけないのか、って思考が付き纏うというか……」
「わかるようなわからないような」

 私の返答に羽風先輩はまた唇を尖らせ、朔間先輩は愉快そうに笑い声をあげた。もう残り少なくなったサラダをつまみながら笑う朔間先輩に苦言を呈す羽風先輩をぼんやりと見つめる。

 随分と仲良くなったものだ。
 あれから、彼らが卒業してどうなったかなんて、私は知らない。テレビや雑誌で入る、誰かが検閲し整えた情報しか、私には入ってこなかったし、取り入れてこなかった。それはプロデューサーという立場に立つためのけじめだったりとか、ちゃんとした理由もあるのだけれど、ただ単純にあの楽しかった日々の郷愁に浸り続けてしまう自分が容易に想像できたからだ。
 そんな毎日を続けていたから、月日が、年月が経てば経つほど彼らの事は随分遠くに感じていた。自分から連絡をするのも躊躇うほど、ずっとずっと、遠く。
 それは晃牙くんやアドニスくんも同様で、ポスターに飾られる彼らを、テレビで活躍する彼らを見る度に、高校時代のあの頃がどんどんと色褪せてくるのが分かった。もう私と彼らは違う世界に生きているのかと、生きなきゃいけないのだと。
 取り留めのない連絡をするのも躊躇われて、晃牙くんやアドニスくんからの連絡を鈍く返していたら、いつの間にかそれすら途絶えてしまった。
 それでいいと思っていたし、そうでありたいと思っていた。

 なのにいざ会ってみたらこれだものなと私はお酒のグラスを傾ける。だいたいさくまさんはさあ!とたどたどしく怒る彼の姿はもはや先輩としての威厳も感じられないし、笑ってからかい続ける先輩も、夢ノ咲の五奇人のボスと謳われた姿とは思えないほど、親しみを感じる笑顔を浮かべていた。
 錯覚しそうになる距離感。頭を振るい、自分の立ち位置を思い出す。正座をし直す私を目ざとく見つけた羽風先輩は不満そうにこちらを睨むと、机に手をついてこちらに乗り出すと、おもむろに私の額を、思い切り弾いた。

「いっだっ……!」
「プロデューサーが壁作るのはどうかと思うよ」
「まだプロデューサーじゃないですう」
「なら後輩として、必要以上に距離をあけるのはどうかと思うぞ」

 どれ我輩もと腰を上げる朔間先輩に私は何度も首を横に振り後ずさる。先輩は親指に中指をかけたまま残念そうに引き下がった。そして、酔っぱらいの羽風先輩を見る。

「……一応言っとくよ、俺アイドルだから、顔に怪我とかなしだからね」
「知っておる知っておる」

 のっそりと立ち上がる朔間先輩に、完全に及び腰の羽風先輩。ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる2人に、個室ってこういう時に便利だよなあと、そんなくだらないことを思いながら、残っていた最後のお刺身をかっさらった。

←03  |top|  →05