蹴り飛ばしたガラスの靴_03

 窓の外に光が流れる。寡黙な運転手は物静かな乗客を二人乗せて走り続ける。響くのはエンジンの音、ラジオの声、そしてSNSの通気を切ってもなお震え続ける、携帯の音。

 晃牙はタクシーに揺られながら週刊誌の見開きのそのページを思い出してまた、唇を噛んだ。誰だあんな出鱈目を書いたやつ。確かにそういう界隈は通った。しかしそれは飲み会に向かうための通り道であっただけだし、大体彼女と二人きりになった記憶はない。道すがらでも、スタッフだとか他の共演者だとか、人は大勢いたはずだ。
 しかし残念ながら記事で取りざたされているのは、俺が、その女と、ホテルに入る間際ーーに見える!ーーの写真だけだった。誓ってもいい、入ってなどいない。

 唸るように震える携帯の音をしばらく無視していたものの、震え続けるその頻度にもしかして電話ではないかと晃牙は恐る恐る携帯を開いた。どうやら電話ではないらしく、ひっきりなしに青のランプがチカチカと揺れる。画面に指を滑らせて内容を見てみれば、事務所の先輩や久しく連絡を取ってなかった同級生、顔こそ覚えていないが名前を薄ぼんやりとは覚えているようなそんな人たちからも自身を心配する旨の連絡がひっきりなしに届いていた。好意は嬉しいが、ことの大きさを感じてしまい晃牙は眉を寄せた。寄せつつも、画面を滑らせて返事をすべき人たちを探す。

 流し見をしながら偉い人たちを選別する方法は羽風先輩が教えてくれた。不真面目な態度はいけ好かないが、世渡りの上手さに関してはぐうの音がでないほどにピカイチだ。メッセージ画面を開いて、ピンポイントでその人たちに騒がせてしまった謝罪と心配しないでほしいことを簡潔に書いて投げた。

 件の女からは連絡は来ていない。もちろん連絡先を教えてもいないので来るはずがないのだけれど。

「大神、大丈夫か」
「大丈夫だ」

 車の中で触ってしまったから酔ってしまったのかもしれない。胸中に巣食う気持ち悪さに眉間を押さえれば、アドニスはカバンから飲みかけのペットボトルを出して晃牙に差し出した。しかしどうにも飲む気にもなれずに首を横に振り手で押し返す。そうか、と寂しそうな声が響いた。反応をする余裕は、なかった。

 ぐるぐると回る思考。どうなるのだろうか。スキャンダルのアイドルの末路なんて目には見えてるものだろう。事務所はきっぱり否定すると言っていた。そういう事実がないのなら胸を張って歩くのが一番の対策だとも、言っていた。やましいことなんてない。後ろめたいことなんてあるわけがない。タクシーの窓ガラスに映った落ち窪んだ瞳が自分のものだと一瞬分からずに、小さく息を飲んでしまった。アドニスは気がついていないようで、彼自身に届いている連絡をしどろもどろに返しているようだ。

「……みんなから連絡がきている、心配はないと返していいだろうか」
「みんな?」
「高校時代の」

 ふと浮かぶ面々に先ほどの画面を思い出す。そういえばこちらにも連絡は来ていたな。どうやら晃牙からの返答がないのでアドニスに追撃が入っているらしい。晃牙は「好きにしろよ」とだけ呟いて深く背もたれに体重を預けた。響きこそ投げやりだがアドニスを信頼しきっての言葉だと彼は知っていた。「そうか」とだけアドニスは呟くと、慣れない手つきで携帯をまた触りだした。

「(そういえば、スキャンダルには気をつけろって口を酸っぱく言われていたっけな)」

 高校時代の旧友を思い出す。ユニットの仲間ではない。おろか、アイドルの仲間ではない、戦友を。

『晃牙くんはさあ、ちょっと単純だから女の色気にころーっと騙されそうだよね』

 そう言ってクスクスと笑う横顔がふと脳裏に浮かんだ。思い出すことなんて今までなかったのに。冗談の響きを持ったその言葉はまるで昨日今日言われたことのように鮮明に蘇る。あの頃は同じ制服に身を包んで、けれど違う目線で同じものを見ていた。他のやつにいえば笑われるような青い夢も、隠しておきたいような悩み事も、彼女にならーーほんのちょっとだけ格好をつけてーー打ち明けられた。

 晃牙はもう一度携帯をつけた。お偉いさんたちからの返事はない。見たことある名前、もう忘れかけた名前を流しながら一つの名前を探す。しかしいくら指を滑らせても更新しても、その名前が浮かび上がることはなかった。

「……アドニス」
「どうした」
「……いや、なんでもねえ」

 聞くのは少し恥ずかしい気がしたし、大体異性関係でこじらせているというのに彼女を思い出すなんて、なんとなく、いけない気がした。

 晃牙はメッセージ欄の底の方に沈殿していた、数年前くだらないやりとりをしたっきり連絡をしていない懐かしい彼女の名前を指でそっとなぞった。こんなことで思い出すなんて皮肉なものだなと、自分自身を嘲笑いながら。



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