蹴り飛ばしたガラスの靴_02

 いつもは飄々した先輩の一撃はーーたとえそれが薄い雑誌を丸めたものだとしてもーーかなり重かった。すぱんと小気味のいい音を立てて叩かれた頭が脈を打つように鈍く痛む。しかしその痛み以上に、心に沈殿した薄暗い気持ちが膨張して広がるのを晃牙は感じた。
 いつもなら暴力的な彼の行為に対して威勢の良い文句の一つや二つ吐き出すのだが、晃牙はぐっと言葉をこらえて今しがた叩いた先輩を見上げる。丸めた雑誌を持った羽風薫は、晃牙と同様に苦虫を噛み潰したような表情をしており、大人しく叩かれたままになっている晃牙の様子を見て、さらに眉を寄せた。叩いたくせになんて思わない。彼の痛みがどういうものなのか容易に想像がつくので、晃牙はまた歯を食いしばった。
 薫の隣に立つユニットリーダーである零は、冷徹な顔で晃牙を見下ろしていた。しかし言葉の響きは存外に優しく「わんこや」という言葉に晃牙は素直にそちらに目線を向けた。慣れない正座で足はすでに痛い。痛いが、到底崩せそうもなかった。

「……身に覚えは?」
「……ねえよ」
「ほんと?嘘じゃない?」
「嘘じゃねえよ、確かにこの前、撮影で一緒にはなったが、そんなことはしてねえ」

 晃牙が薫の方に目をやれば、彼の手中の雑誌に描かれた「ホテル」の文字とばっちり目が合ってしまう。いたたまれなくなり晃牙がまた畳へと目線を落とせば、薫は不思議そうに手元の雑誌を見て、ああ、と一言呟いた。手の力を緩めて雑誌を解くが、巻きグセがついてしまったようで元の長方形には戻らなさそうだった。もう叩く事もないだろうと彼はそれを晃牙が見えないであろう後方に投げる。そのまま床に落ちると思ったが、遠巻きに様子を見守っていたアドニスがキャッチしてくれたらしい。落下音は聞こえない。

「(なんというか、嫌な役回りだね、これも)」

 薫はしょげ返る後輩を見下ろしてため息を吐いた。きっと零なら何十回も見てきた景色だろうが、薫にとっては初めて見る光景だ。叱るって案外しんどいものだなと、そう思いながら晃牙のつむじをただただ見つめた。

 『人気アイドルと新人女優がで密会!?』なんて仰々しい見出しで始まった記事は、あくびがでるほどありきたりな事柄で構成されていた。嘘か本当かもわからないような文章。そしてどこから撮ったのだろうか言い逃れができないような写真。ふうん、へえ、とその二言で終わらせるようなそんな記事も、自らのユニットの、可愛い後輩が取りざたされたとなっては話は別だ。

 下唇を噛み俯く晃牙に薫はちらりと零に目配せをする。零は腕組みを解くことはなく、ゆるく首を振ってため息を吐いた。

 彼が嘘は言っていないということは零も薫も分かっていた。大胆で粗暴だが、彼の性根は驚く程に真面目だ。たまたま共演して盛り上がったとしても、ホテルに行くなんて考えにくい。なにせ高校時代、好意を持っていてさんざん近くにいた女子にすら、告白ができなかったような男だ。存外奥手だということは嫌という程知っていた。
 正直な話、彼がその写真の彼女とどうあったかなんて別段問題ではない。考えなければいけないのは写真を撮られたという迂闊さ。自分たちはアイドルだ。恋愛ご法度を掲げていない事務所ではあるが、イメージダウンに繋がりかねない芽は摘んでおくしかない。

「わかった、しかしこうして世に出たのも事実、わんこは暫くの間色々と自粛してもらわねば」
「なっ……!じゃあ次のライブは」
「ああそこは安心せい、ただ宣伝の番組は当分……こら、嬉しそうな顔をするな」

 叱咤の声に晃牙は「してねえよ」と言葉を吐きつつもあわてて表情を引き締めた。少しだけ緩んだ空気に薫は胸をなで下ろしながら「晃牙くん苦手だもんねえ」と笑った。

 薫の言葉に弱々しくも反論を返す晃牙の声を聞いて、今まで遠巻きに事を傍観していたアドニスはようやく表情を和らげた。文句が出るくらいには元気が出たようだな。元気なのはいいことだ。椅子から立ち上がりアドニスが晃牙の前まで歩く。対峙するような形で立ち止まると彼は手を伸ばした。晃牙はその手を取りゆっくりと立ち上がる。しばらく正座をしていたせいで、びりびりと足の裏が痛い。

「あとはまあ、問題の子ともそうじゃが、あまり異性と連絡をとらんようにな」
「それは俺達もだろうか」
「えっ!それ無理、俺死んじゃう」
「……薫くんは禁止してもこっそりやるじゃろ、まあ控える程度で頼むぞ。流石に連続のスキャンダルは堪えるからのう」
「ちなみにそれは姉達も入るのだろうか」
「親族はかまわんよ」

 強ばっていたアドニスの表情が解ける。その変化をまざまざと見せつけられて晃牙は表情を曇らせた。アイドルに恋愛スキャンダルはご法度なんてわかっているのに。
 先程まで鳴り止まなかったSNSの通知は、軽く見ただけで自分に対するネガティブな言葉が並んでいた。「目に毒だよ」なんて薫がすかさず通知をオフにしてくれたが、一人になり、うっかり見てしまった時、立ち直れる気がしない。
 学生時代はどれだけ横暴に振舞っても、知らぬうちに誰かが守ってくれていた。初めてだった。むき出しの悪意を向けられる事が、こんなに怖い事だなんてしらなかった。

 黙り続ける晃牙の気持ちを割くようにぴりりと着信音がなる。びくりと肩を揺らす晃牙に零はぽんと肩を叩いて「大丈夫じゃよ」と一言。そして着信を続ける携帯を取り上げてボタンを押して音を消す。

「今日はもう解散しよう、アドニスくんや、わんこを家まで連れて帰ってあげておくれ」
「わかった」

 一人で帰れる、なんて到底言えそうもなかった。むしろ泊まってくれ、なんて情けない言葉も飛び出そうだ。項垂れながらアドニスの後ろについて歩く晃牙に薫はばしりと背中を叩く。

「何かあっても俺達が守ってあげるから、早くそのしょぼくれた顔なんとかしてきてね」
「……わかった」

 力ないその言葉に薫と零は顔を見合わせて肩を落とした。初めての挫折がーー少なくとも再結成してからは初めてーーこんな形になるなんて。
 とぼとぼとアドニスの後ろを歩く晃牙を見送った零と薫は再び、やれやれと顔を見合わせた。

「うーん、でも事実ではないんでしょ、向こうも否定してるみたいだし、ここまで怒る必要あった?」
「ちとやりすぎたかのう、しかしわんこが。スキャンダルは薫くんが一番早いとおもったんじゃけども」
「は?どういう意味?俺はもっとうまくやるからね?」
「やるなと言っておるじゃろう……」

 律儀に伸ばされ机の上に置かれた週刊誌を零は一瞥してため息を吐いた。向こうもしっかり否定をするとの話は聞いているし、しばらく世間を賑わせるかもしれないが、鎮静するのも時間の問題だろう。
 問題は予想以上に凹んでいた晃牙の事だ。怒り狂って「出版社に乗り込んでやる!」とでも喚き散らすと思っていたが違った。予想に反した、しかもあまり良くない方向へ向かっている彼の状況に深々とまたため息が出る。

 こういうときのフォローは自分たちがしないほうがいいことはわかっている。できるだけ外部の、でも身内に近い誰か。高校時代ともに苦節を分かち合ったTricksterや……いや他のアイドルを巻き込むのはきっと良くない。しかしこのままふさぎ込まれるのも……。

 なにかいい打開案はないものか。これは沈静化よりももしかしたら難しいかもしれない。今日何度目かわからない思いため息を吐き出して、零はこめかみを押さえた。



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