炭酸少年_05
あれだけ席巻していた入道雲もちいさくなり、道端からはリィンリィンと虫の声が聞こえる。夏の暑さは未だに和らがないが、夕方の訪れは日に日に早くなっていく。ふと通り過ぎる冷たい風に、多くなる落ち葉の数に、ほんの少しだけ、秋を感じる。
その日はあいにくの雨で、朝からしとしとと激しくはないがしつこい雫が降り注いでいた。お弁当の日ではないから昼食を買いに行かなければならない。でも外は雨だから、きっと食堂は混んでいるはずだろうなあ。午前中授業の終了のチャイムを聞きながらぼんやりとそんなことを考える。板書し損ねていた箇所をノートにつらつらと書く。ということは購買かな、人気なものは売れてしまっているけど、パンの一つや二つ残っているはず。かちり、とシャープペン先を机に押し付けて芯をしまって、私は大きく伸びをした。
「ん?」
背中を叩かれて振り返れば、後ろの席のアドニスくんが険しい顔をしてこちらを見ていた。もしかして仰け反り過ぎてしまったのかもしれない。謝罪の言葉とともに慌てて体勢を戻せば彼は「そうじゃない」と首を横に振り入り口を指差した。
「お前に用事じゃないか」
アドニスくんに言われるがままそちらを見れば、ドアの影から顔を覗かせるように鉄虎くんがじいとこちらを見つめていた。鉄虎くんは私と視線がかち合うとぺこりと頭を下げる。私も釣られるように会釈を返す。しかしそれだけ。声をかけてきたりだとか、教室に入ってきたりだとかそういうことは全くせずに、ただただこちらを見つめているだけだ。珍しい。用事があるなら真っ先に声を上げそうなものだけど。アドニスくんを見れば彼は昼食をカバンの中からとりだして「行ってやれ」と一言。丁度いいや、ついでに購買にもいこう。私は素早く先ほどの授業のノートを片付けると財布を片手に入り口へと駆け寄った。
「こんにちは、鉄虎くん」
「……ッス」
「誰か用事?呼ぼうか?」
鉄虎くんは言葉を詰まらせて眉を寄せた。ドアを掴んでいる手に力が入っているのか、つめ先がほんの少しだけ白んでいる。もしかして私が応対しないほうがいい用事なのかな?未だに口を開かず気まずそうにこちらを見ている彼の姿に、そんなことが思い浮かぶ。
教室をぐるりと見渡せば、鉄虎くんと交流のありそうな人の顔もちらほらある。他の人に応対をお願いしようかと1歩後ろへ踏み出せば、慌てたような鉄虎くんの声に次いで、つんのめる感覚。振り返れば、鉄虎くんが私のブレザーの裾をぎゅっと掴んで、じろり、とこちらを睨んでいた。
睨まれるようなこと、したっけ。鋭い眼光に怯みながらも記憶の糸を辿るがどうにも思い当たらない。この前はいつ会ったっけ。裁縫を教わりに鬼龍先輩に会いに行った時か。それとも流星隊のレッスンか。もしかしたら知らない間に良くないことをしてしまったのかもしれない。
これといった思い当たる節はなかったけれど、話は聞いた方がいいのかも。鉄虎くんに向き直れば、彼は一度ぎゅっと目をつぶり、そして、決意したように口を開いた。
「その、一緒に飯、食べませんか!」
***
「転校生殿?!」
「えっ呼んでくるって転校生さんのことだったの?」
予想通り満員御礼な食堂の一角を陣取っていた高峯くんと仙石くんは、私の登場に目を丸くさせ驚きの声をあげていた。鉄虎くんはというと少し照れ恥ずかしそうに目線を外しながら「まあその、前、約束したッスから」とぼそりぼそりと呟く。もしかして夏のあの一緒に帰った日のことを言っているのだろうか。いまいち状況が飲み込めない私は曖昧に笑い持ってるお盆をもちあげて「ご一緒していいかな?」と二人に話しかける。高峯くんは少しだけ戸惑ったように、一方の仙石くんは二つ返事で了承してくれた。なんだか、気を使われている気分。丁度横並びに空いていた席に腰を下せば、鉄虎くんも私の隣の椅子に座る。
「なんだか、邪魔しちゃってごめんね」
「じゃ、邪魔なんかじゃないッスよ!俺が勝手に呼んだわけですし……」
「というか鉄虎くんと仲良かったんですね」
「特別仲がいいってわけでもないけど」
私の何気ない一言に鉄虎くんの動きが止まる。あ、これは言い方が悪かった。慌てて首を振って「でも悪くはないよ!高峯くんとか仙石くんとかと同じくらい、同じくらい!」と言葉を続けると、鉄虎くんは苦笑を浮かべ、そして高峯くんは「ああ」となぜか納得したような声を上げた。
「たまたま一緒に帰った時に、ご飯一緒に食べる約束をしたんッスよ」
カレーライスをスプーンですくいながら、鉄虎くんはそう言った。やっぱりあの夏の日のことを言っているのか。プレートに乗っかった定食の唐揚げをお箸でつまみ「一つあげる約束だよね」と鉄虎くんのお皿に転がせる。鉄虎くんは驚いたように私を見て「あ、あれは冗談で……!」と狼狽えた声を出した。そもそも私自身約束すら冗談だと思っていたから、せめてもの罪滅ぼしだ。
「あげるあげる」
カレーの海に沈んだ唐揚げを見て、鉄虎くんはスプーンで器用にそれを割る。不揃いに割れた唐揚げの大きいかけらをスプーンですくい上げて「じゃあいただきます」と彼は笑う。
私の前でそばをすすっていた仙石くんがキラキラと目を輝かせながらこちらに目線をなげかける。そちらに目をやれば、仙石くんは嬉しそうに「なんだか仲良しでござるな」とはにかんだ。
「仙石くんもいる?まだあるしあげるよ」
「いいでござるか?」
えっとなぜか鉄虎くんの方から声が上がる。ちらりとそちらを見れば鉄虎くんは慌てて目線をそらしてカレーをすくい頬張り始める。どうやら仙石くんは気がついていないようで「では失礼して」と一番小ぶりな唐揚げをつまみ口の中に放り込んだ。嬉しそうにほころぶ顔に思わず私の頬も緩んでしまう。
となれば、声をかけないわけにはいかないよね。先ほどから黙々と食べている高峯くんにも「高峯くんも唐揚げ食べる?」とプレートを少しだけ斜め前に寄せる。高峯くんは食べてる手を止めて、プレートにのった二つの唐揚げを見る。
「……転校生さんの分、無くなりません?」
「一つあればいいよ」
「じゃあ俺のと交換しましょう」
プレートに一枚大ぶりな豚の生姜焼きが乗る。「いいの?」と目を瞬かせる私に高峯くんは頷いて唐揚げを一つ取り上げて自分のプレートに乗せた。なんだか得した気分だ。香ばしい香りに小さく笑みをこぼすと、仙石くんから「交換ってなんだか友達同士って感じがするでござるよ!」と少しだけ羨ましさを孕んだ、上ずった声がした。
「別に友達同士じゃなくてもするでしょ」
「そうでござるか?」
「そうだよ」
呆れたような高峯くんの言葉に仙石くんはしゅんと肩を落とす。多分友達の線引きの高さが違うんだろうな、と二人の会話の端々で感じる。しょげかえる仙石くんがどうにもいじらしく思えて「でも少なからず好意を持ってないとこういうことできないよ」とフォローの言葉を伝える。「まあそうッスね」と投げやりな高峯くんの声をかき消すように、今まで黙々とカレーを頬張っていた鉄虎くんから「好意?!」と勢いのある大声が飛んできた。
「て、てんこうせ、さん、もしかして、みど、翠くんのこと」
「好意ってそういう意味じゃないと思うけど」
鋭利な言葉が高峯くんから飛んでくる。「違いました?」と高峯くんの言葉に「ううん、違わないよ」とすぐさま肯定を返す。鉄虎くんは心配そうに私と高峯くんの間に視線を彷徨わせてそしてじいとこちらを見た。
確かに快くはないよね。誰かの恋話を聞くのは楽しいけれど、それが身近な二人で形成されていると知ったら、少しだけ心に気まずさが残る。わかる、鉄虎くんの心配はとてもわかる。でも大丈夫、誓って高峯くんとはそういう関係ではないし、少なくとも学内でそういう関係を築こうなんて思ってはいないから。
暫く何かを考えていた鉄虎くんは自分の半分は平らげてしまったカレーライスの皿を見て、そしてこちらを見た。
「俺も転校生さんの唐揚げもらいましたし、俺の、食べます?」
「食べるって鉄虎くんカレーじゃん、なにあげるの?じゃがいも?にんじん?」
「嫌いなものの押し付けはよくないでござるよ」
「そそそういう意味じゃないッス!」
仲間たちの軽口に彼は何度も首を横に振って、そして気まずそうにこちらを見上げた。
「気にしなくていいよ、鉄虎くんは自分のを食べなさいね」
微笑みそう言えば、鉄虎くんはまた眉をきゅっと寄せて「わかりました」と弱々しくつぶやきカレーを頬張る。ようやく私もご飯を食べれる。もう冷えてしまった白米を口に運び噛んでいると、小さな、虫の音のような声が私に届いた。
「次、一緒に食べる時、交換しましょうね」
喧騒に溶けてしまったのだろう。目の前の二人にはその言葉は聞こえていないようだ。しかし隣にいる私には、しかりと聞こえてしまった。挑むような目線に、律儀な子だな、と関心してしまう。たかが唐揚げ一つにそこまで感じなくていいのに。
そう思いつつも、私も高峯くんや仙石くんに聞こえないように小さな、小さな声で鉄虎くんにつぶやいた。
「じゃあ、次、また一緒にご飯を食べようね」