炭酸少年_04
梅雨が明ければもう夏だった。春の優しい暖かさとは違い、暴力的ともとれる太陽の日差しがこれでもかと街に降り注ぐ。陽光を受けて葉はみずみずしく輝く。誰かが打ち水をしたのだろう。不自然に色の違うアスファルトに濃い影が、ふたつ。
鉄虎くんは嬉しそうに隣を歩いて、私に今日1日楽しかったことを一つ一つ報告してくれた。「今日の授業で翠くんったら」だとか「昼飯どきなんスけど、ひなたくんが俺の定食のイカリングをとって」だとか、とりとめのない話を身振り手振りを交えて話してくれるので、私の口元は緩みっぱなしだ。
夏らしい濃い青空には入道雲がもくもくと膨らんでいた。期末テストを目前に控えた私たちは『アイドル』や『プロデューサー』から『学生』へと戻る。部活動は原則禁止。ユニット活動はその他ではないが、残念ながら前回の中間考査が芳しくなかった流星隊面々は隊長の指示のもと活動を自粛しているらしい。かく言う私もテスト準備期間中は少しだけプロデューサー活動を自粛している。やはり学生、というのもあるが、日頃授業をないがしろにしている分、このタイミングで勉強しなければ将来が恐ろしいからである。
鉄虎くんの『ひなたくんにイカリングを取られた』事件は次第に熱が増していき、彼の握りこぶしがどんどん強くなる。「大体この前も俺の唐揚げひとつとったんッスよ!ひどくないですか?!」と食い気味に聞いてくるので「鉄虎くんはどうしたの?」と聞き返せば、彼は恥じることがない、とでも言うように胸を張って「トンカツを一切れ取り返したッスよ!」と鼻をひとつ鳴らした。どっちもどっちじゃないか。
「今日もトンカツとったの?」
「ひなたくんは今日オムライスだったんッスよねえ、でも次回はとってやるッスよ!」
「また取り返されちゃうよ?」
「任せてくださいッス!攻略法は考えてるんッスから!」
そう言うと鉄虎くんは足を止めて「まず俺がここに座ってるとするじゃないッスか」と両手で円を描く。それがお皿か、と思い私も足を止めて彼を見る。鉄虎くんが半歩横に寄って「そんでひなたくんがここに座ってるとします」とまた両手でお皿を描く。そして半歩戻るーーもともと鉄虎くんのご飯を食べているであろう立ち位置ーーと縦に直角に曲げて上半身をかがめた。
「こうしてガードしながら食べれば」
「肘をついて食べるのは行儀悪いよ」
「うっ……じゃあそうッスね、お皿を反対にしてメインのおかずをひなたくんから遠ざけて」
くるり、と彼が仮想のお皿を回転させる。が、何かに気がついたようでぶんぶんと首を横に振り始めた。
「ダメっす、これじゃサラダが取られちゃうッス」
「とるのやめてっていえば?」
「何言ってるんッスか!これは俺とひなたくんの戦いッスよ!」
「戦い」
「姉御はそういうのないんですか?」
「そういうって、取り合いみたいな?」
「そうッス」
彼の一言に記憶を辿ってみるけれど、ご飯の取り合いになったことはあまりないように思えた。まず取り合いが行われるくらいの距離感の友達がいるかどうかが怪しい。みんな良くしてくれるけど、やはり明確に『男』と『女』の線引きは存在する。目の前でスバルくんや真くんがそういうことを繰り広げているところはみるけれどーーその間北斗くんは我関せずと黙々とお弁当を食べているーー私のお皿にお箸を伸ばしてくることは一度もなかった。
しかし、逆はある。気が付いたら増えている唐揚げ。机の上に置かれたあんぱん。強面の彼が放つ「たくさん食べて、大きくなれ」
「貰うことは良くある、かな?」
「えーそうなんッスか?なんかずるいッス」
「じゃあ今度私の唐揚げあげるね」
「お!本当ッスか?約束ですからね!」
鉄虎くんは嬉しそうに頷くと軽い足取りで歩き出した。私も彼の隣を歩く。鼻歌が聞こえそうなくらいご機嫌な鉄虎くんは「じゃあ今度迎えに行きますからね!」と嬉しそうに声を躍らせた。私も笑って頷いて「うん、待ってます」と微笑む。
鉄虎くんが早足で数歩私より前を歩く。ペンキで塗りたくったような青空に、綿飴みたいな入道雲。逆光で黒く染まった彼の後ろ姿に私は再び足を止めた。『夏の申し子』ふと頭にそんな言葉が浮かぶ。快活で、少しだけ暑苦しくて、でもどこかしら爽やかで。
私が歩みを止めていることも気がつかず、彼はどんどんと歩いて行ってしまう。そして交差点近くで足を止めた。振り返って、随分と遠いところにいる私の元へ、彼はわざわざ走って戻ってきてくれた。
「どうかしました?」
「あ、いやなんでもないの」
「ならいいッスけど……丁度そこの曲がり角のとこに自販機があるんで何か飲まないッスか?」
「いいね、飲もうか。奢るよ?」
えっ、と戸惑いの声を漏らす彼を出し抜くように私は素早く一歩踏み出して曲がり角に向かって走り出した。「炭酸でいいんだよね?」と私が叫べば、未だ張り付いたようにその場に立っている鉄虎くんが慌てて走り出す。
「俺が奢ります!」
「いいって先輩に甘えなー!」
「女性なんですから男に奢らせてください!」
「イカリングひとつでぶうたれる人には奢らされてあげませんー」
「うっ……!」
二人で駆けながら自販機を目指す。夏の熱された空気が、びゅんびゅんと額に当たる。たいした距離を走ってはいないのに、じんわりと汗がにじむ。でも不思議と嫌ではなかった。汗をぬぐいながら、後方で猛然と追いかけてる鉄虎くんを見てくすりと笑う。そしてまた前を向いて、自販機を目指す。
鉄虎くんよりも早く自販機にたどり着いた私はポケットの小銭をありったけ入れて彼待った。ぜえぜえと息を吐く私とは違い、さすが運動部は息ひとつ乱していない。
全てランプの灯った自販機の側面を叩き「選ばせてしんぜよう」と笑えば、鉄虎くんは頬を膨らませて「仕方ないから奢らされてあげるッス」と唇を尖らせながら炭酸飲料のボタンを押した。がこん、と落ちてきた水色の缶を彼は取り出して一歩横にずれる。どうやら投入金額を多めに入れてしまっていたようで、まだ自販機にはまばらにランプが付いている。
私はしばらく悩んだ末、鉄虎くんと同じ炭酸飲料のボタンを押す。お釣りのレバーを引いて、お釣りはポケットに、そして下部から水色の缶を取り出してプルタブを勢い良くひねった。プシュ、と爽やかな音がなる。鉄虎くんがぐい、と缶をつきだすので、軽く缶を合わせて「乾杯」と笑った。鉄虎くんも真似をするように「乾杯」といい、笑ってくれる。
淡い甘さと程よい刺激が口の中で弾ける。ひとつ口に含んでは飲み込み、そしてまた一口分口に入れて、飲み込む。ちびちび飲んでいる私とは正反対に、缶を斜めに持ち勢いよく流し込む鉄虎くんは、缶から口を離すと、ふうと深く息を吐いて「炭酸はいいッスねえ!」と嬉しそうに口にした。
「じゃあこれでイカリングのことは忘れてあげてね」
「わかったッス……でもあれは忘れないッスからね」
「あれって?」
「唐揚げ」
鉄虎くんはそう言うとぷいとゴミ箱の方を向いて、空になった缶を投げ捨てた。そんなに唐揚げが食べたかったのだろうか。そういえば近くにコンビニがあるはず。寄っておごってあげるのも手かもしれない。
「唐揚げ買ってあげよっか?コンビニあるし」
「唐揚げは別にいいんッス」
「そうなの?」
「その、食べる時に唐揚げくれるってことは、その、お昼……」
歯切れの悪くなる言葉に「鉄虎くん?」と顔を覗き込めば、顔を真っ赤にした彼は大声をあげて後ずさってぶんぶんと首を横に振った。
「お、おお俺!こっちッスから!ここでお別れッスね!」
「あ、ああ、うん。そうだね、今日もお疲れ様です」
「そ、その」
数歩離れた場所にいる鉄虎くんの口元が小さく動く。が、距離も相まって何を言っているかわからない。私が首をかしげれば、鉄虎くんは足を肩幅に開き、両手を下ろしぐっと握りしめて、
「ご飯、一緒に食べましょうね!」
そう言って、逃げるように踵を返し走り去ってしまった。
取り残された私と、まだ半分以上残った炭酸飲料。どんどんと小さくなるその背中を見つめながら私は炭酸飲料に口をつける。ぴりり、と舌の先が痛む。夏の味がする。そう思った。