恋を塗りつぶせ!!_04

 冬の日とは思えないほど、暖かい日だった。彼女のメモを見て、そしてそのまま二度寝に転じて、目が覚めたらもう十二時近く。空腹を訴える腹を抱えて起き上がれば、日光を遮断するために厚く引かれたカーテンの隙間から、ちらちら、ちらちらと光の欠片が零れていた。レオンは先に起きていたらしく、いつもの寝床から光がこぼれる床の上へと移動してのんびりと二度寝に勤しんでいた。大股でそちらへ歩いて勢いよくカーテンを引けば、寝起きには強烈な日光がこれでもか、と部屋に溢れる。

 そういえばあいつは今頃仕事中か。確かアドニスと一緒だったんだよな。深く青い空を眺めながら、晃牙は光の溜まりにどっかりと腰を下ろす。太陽の光で温もった床は、レオンが転がる気持ちがわかるほど暖かかった。

 カーテンの音に反応したのか、それとも日光に晒されて目が覚めたのか、レオンは大きなあくびを一つこぼしてのそのそと歩き出す。寝床へ戻るのかと思いきやとすとすと部屋の真ん中まで歩いて、大きな欠伸を一つ。腑抜けてんな、と思いつつも晃牙も欠伸をもらい、ひとつ、漏らす。

 することがない、といえば嘘になる。新譜を読んだり、次の仕事の台本を覚えたり、楽器の練習や筋トレだって怠ることはできない。しかし起き抜けだからか久しぶりの休日だからか、どうにもそんな気分にはなれない。もう一度盛大な欠伸を浮かべて、空腹で呻く胃をさすりながら、何を食うかな、とまだ霞みがかった頭で考える。米は炊いてあったか。いや、冷蔵庫に冷凍の麺があった。この前現場でもらってきたパンもまだ余っているはず。だとしたら食べるべきはパンだ。ついでに卵でも焼いてのせれば空腹も治るだろう。確か野菜も冷蔵庫にしまってあったから、適当に挟んで簡易的なサンドイッチでも作ってしまおう。

 そう思い立ち晃牙は重い腰をあげた。窓から見える街並みと、青空。そしてうっすらとガラスに映る自分の姿。とてもアイドルとは思えない風貌に苦笑を漏らしながらも跳ね上がった髪を撫で付ける。シャワー浴びたらレオンと散歩にでも行くか。せっかく天気もいいんだ。外に出ないともったいない気がする。

 晃牙が窓から視線を離して部屋に目をやれば、なにやらレオンがベッドの足の近くに座り込んでいる。ここからはよく見えないが、後頭部が小刻みに動いている。何か食べているのだろうか。でも彼に朝飯は出していないはずだし、床に食べ物も落としていないはずだ。

「何してんだよ」

 晃牙の声にレオンは素直に振り返る。彼の口元には見慣れない赤紫の光沢のある棒。彼の口元に手をやれば、レオンは口を開いてそれを晃牙の手のひらの上に落とした。

「んだこれ……?」

 よだれまみれのそれをまじまじと見つめる。少なくとも自分のものではない。だとしたら誰かの忘れ物か?訝し気にそれを眺めながら最近きた客人の顔を思い浮かべる。アドニスか?朔間さんか?羽風さんか?はたまたトリスタの奴らか。先週の鍋パーティーのときの忘れ物だろうか。

 いや、違う。

 晃牙は両手でそれを掴んで捻り回す。きゅぽん、と小さな音を立てて中から現れたのはブラシと、黒の液体。まん丸な瞳を輝かせているレオン越しに、見慣れないそれを眺める。実際に触ったのは初めてだ。だが知識としてこれは何かを晃牙は知っていた。これは、彼女のマスカラだ。

「あいつこんなもんつけてんのかよ」

 くうん、と擦り寄るような声と足の甲に鈍い重み。レオンは返して欲しそうに晃牙の足の甲を何度も踏みながら声をあげた。「テメェのじゃねえだろ」そう晃牙がいいながら蓋を閉めマスカラを高々とあげれば、抗議のような鋭い声が足元から轟いた。まあ俺のでもねえけど。レオンの声を無視しながらマスカラをかざしてみれば、細長く伸びた自分の姿がそれに映る。
 忘れていったのだろうか、それともこぼれ落ちたのだろうか。置いていったってことはないだろうけど。部屋の空気に浸かって冷やされたそれを眺めながら、化粧をする彼女を想像して、ふ、と笑みを零した。

 なくて困るものでもないだろうが、一応教えてやろう。晃牙はマスカラを掲げていた腕を下げ枕元に置いてあった携帯を取り上げて、写真を撮る。なぜか高速でやってきたレオンがフレームに収まり、ばっちりと、むしろマスカラよりも主張している写真が撮れてしまって晃牙はまた笑いを零した。


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