気まぐれな騎士は数学がお得意_02

 本鈴とともに教室に入ってきた先生は当たり前のように机を占拠している凛月くんに驚いてはいたものの、別段注意などせずにそのまま授業をおっぱじめてしまった。唖然とする私に凛月くんはくすくす笑いながら、「学生だから授業を受ける権利はあるでしょ」と言いながら腰を浮かせる。そしてどうやら机をひっつけようとしているらしい、ガタガタと音を鳴らしながら近づいてくる彼を自由だなあ、と思いながらただただ眺める。まるで小学校の頃のように机をぴたりと隣に引っ付けると彼は「教科書ないから見せて」と悪びれも無く言い放った。そりゃあないでしょうね。私が黙って教科書を広げて互いの机の間に置くと、「ありがと」と一言呟き、しかし彼は教科書など見向きもせずに、机に上半身を倒して「じゃあおやすみ」と瞳を閉じてしまった。

 まあ真面目に授業に参加するとは思ってはいなかったよ。少し遠くなった教科書に手を伸ばすのも億劫になり私は小さくため息を吐く。ものの数秒で寝入る顔を見つめながら、守るとは一体何だったのだ、とまた私は息を吐いた。
 数学というただでさえ眠気を誘う授業なのに、こうして隣で無防備に寝られたら私まで眠くなってしまう。安眠という単語がしっくりくるほど彼は頬を上下させながらすうすうと寝息を立てる。そのリズムに流されるように思わず私もあくびを一つ漏らしてしまう。二人揃って居眠りなんて笑い話にもならないぞ。なんとか起きようと手の甲をつねるとポケットに入れてある携帯が震えた。先生にばれないようにそれを取り出す。一通の新着メッセージ。衣更くんだ。ナイスタイミング。

『凛月がそっちに行ったって聞いたんだけど、何か知ってるか?』

 いまとなりにいます、と返信を返すと、すぐに、はあ?と一言だけ返事が来た。ことのあらましと、なんとなく気になってしまった凛月くんの昔のクラスを聞いてみると、すぐに既読の印がついて、数秒後衣更くんは呆れたようなスタンプをぺたりと貼った。

『凛月の前のクラスなんて俺が知るわけないだろ……つうかそっちのクラス行ってるんだな、わかった適当にこっちも理由付けとくからそっちはよろしく頼むな』
『それは困る、早く迎えに来て』
『授業中に抜け出せるわけないだろ……』

「いけないんだ、授業中に携帯いじって」

 膝下で操作していた携帯をぱたりと閉じれば、凛月くんはくすくすと笑いながらこちらを眺めていた。どうやら起きてしまったらしい。未だ机に頬を引っ付けたまま、かれは微笑みながら私を見上げている。非難の意味を込めてじろりと彼を睨むと怯むことなく凛月くんは「こわいなあ」と恐怖など一欠片も感じさせない間延びした声を上げた。そして机から顔を上げて目をこする。しょぼしょぼと幾度か瞬きをして浮かべた涙を拭うと「数学?」と彼はつぶやく。私が黙って頷くと凛月くんは黒板を眺めて、そして教科書へと目を落とした。今まさに解説を始めた設問の部分を指でなぞりながら、「俺これ知っててる」とぼそりと呟いた。

「B組ってもうそこまでいってるの?」
「いや?まだだよ」
「予習したとか?」
「違う違う、去年やった」

 そうかこの人は二年生は二周目だったんだよな。どう反応していいかわからずに曖昧に笑みを浮かべる私など見向きもせずに凛月くんはポケットからシャーペンを取り出して私のノートの端に計算式を並べる。

「ここがこうでね、この公式を使って」

 驚くほど滑らかにノートに数式が浮かび上がる。迷いなく連なる計算式に「凛月くん数学得意なの?」と尋ねると「二回目だからね」と彼はあっけらかんに言い放った。ふと黒板を見てみると先生は彼とまったく違う公式を使って問題を解いている。教科書を見ても凛月くんの『公式』はかけらもみられない。ついでにいうと、この途中式では答えにたどり着けないと思う。だって黒板から導き出されている答えは「12」なのに、今凛月くんが走りがいた数字は桁が4つも多い。

「なんか違うみたいだよ」

 私がそういうと凛月くんはペン先を止めて黒板と教科書、そして走り書いた自分のそれをみて「ほんとだね」と呟く。

「まあ一年経つと公式も変わっちゃうよね」

 数学の公式は毎年更新されるものではないんですけど。私が言うより先に凛月くんははにかんで中途半端な数式に矢印を引いて去年の年号を書き入れる。そして数字の代わりに可愛いとも言い難い落書きを楽しそうに描き出した。「去年なら正解してたんだよ」なんてあからさまな嘘でも、彼が嬉しそうにいうものだから否定はできない。

「じゃあ去年教えてほしかったなあ」

 私のつぶやきに彼は紅の瞳を瞬かせて、笑みを零した。

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