君がいない朝を紡ぐ_02

「絶対に来て、なんて珍しく連絡くるから来たのに。普通の練習日じゃん」
「普通の練習日は普通参加するものじゃよ」
「そうだけどさあ。重要な発表があると思うじゃん」

 練習開始時刻を大幅に過ぎた頃合でようやく軽音楽部へとやってきた羽風先輩は、悪びれることなく部室の隅に荷物を置くと、手頃な椅子をひっつかんで腰を下ろした。その横柄な態度に晃牙くんあたりが噛み付くんじゃないかと肝を冷やしたが、どうやら晃牙くんは練習に集中していて気がついていないし、朔間先輩は慣れているのかただただ呆れるばかり。まずは嵐が巻き起こらなかったことに胸をなでおろすと、朔間先輩は私のその態度を見ていたらしく、くすりと笑った。

「残念ながら普通の練習日じゃ、ふっつうの」

 残念じゃったな、と笑う朔間先輩に対して羽風先輩は唇を尖らせながら「そうですかあ」と間延びした言葉を吐いた。途切れ途切れのギターの旋律に羽風先輩は晃牙くんと、隣で一緒に楽譜を読み込んでいるアドニスくんに目を向けた。そのまま朔間先輩に目を向ければ、先輩は黙って机を指差す。クリップで止められた楽譜の束を見て「この前言ってたやつだ」と羽風先輩がつぶやけば朔間先輩が首を縦にふる。学院から用意された課題曲らしく、ざっと目を通した先輩は幾度か目を瞬かせて、ふうん、と息を吐いた。噂によれば羽風先輩や朔間先輩は演奏したことがある楽曲らしい。「懐かしいなあ」という小さな呟きとともに、彼の足がリズムを刻む。とんとんとん、と三拍子のリズムは控えめに小さく、しかし確かに音を立てて拍子を刻む。空気に溶け込むほどかすかな音量で羽風先輩の鼻歌が聞こえる。楽譜を見る彼の横顔は、どこか優しく和らいでいた。

 練習モードに入ったそんな彼を見ながら、私は人知れずため息を吐いた。今朝のメールはさすがに強引過ぎたよな、だとか、私情挟み込み過ぎ、だとか、そんな言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。練習の呼び出し自体は珍しいことではないしーーUNDEADなら殊更にーー悪い事ではないのだけれど、やはり呼び出した理由が私情を挟みすぎて心に靄がかかる。

 人知れずため息を吐くと、ぴたりと羽風先輩が鳴らしていた音がやんだ。もしかして聞こえていたのか、と咄嗟に持っていたバインダーで口元を隠すと、丁度楽譜から顔を上げた彼は私の顔を見るなりにこりと微笑んだ。どうやら聞こえてはいなかったらしい。羽風先輩は目があうなりさらに嬉しそうに顔を綻ばせながら「でもまあ、男臭い練習よりはいいよね」なんて軽薄な言葉を投げかけてきたので、私も曖昧に笑顔を作って彼に応答する。やっぱり少しだけ、後ろめたい。そんな下手くそな笑顔を作っても彼は特に言及せずに、私に軽く手を振るとそのまま楽譜に目を戻した。再びつま先がリズムを刻むようにとんとんと床を鳴らす。ささやかな鼻歌が響きだす。

 晃牙くんの隣でメロディを追っていたアドニスくんがどうやら羽風先輩に気がついたらしい、楽譜から顔を上げて先輩を見て、そして嬉しそうに私へと笑顔を向けた。晃牙くんもアドニスくんの目線を追うように顔を上げて羽風先輩を見て、露骨に顔を歪める。おせえよ。声には出さないが彼の唇がそう動いている。

「よかったな」
「何が?」
「羽風先輩が来てくれて、朝からずっと気にしていたからな」

 アドニスくんの言葉に羽風先輩は楽譜から顔を上げて、えっ、と声を上げた。つま先も止まる。メロディーも止む。訪れた沈黙の痛さに、私は「そうだったけ?」なんてわざとらしくしらを切った。アドニスくんは大真面目に頷いて「朝からずっと気にしていただろう」と更に追い討ちをかけてきた。そんなに気にしていただろうか。確かに今朝方談笑ついでに、羽風先輩ちゃんと来てくれるかなあ、なんて言った気がする。一回。いや、二回。いや……三回?

 露骨に目を泳がせる私に、朔間先輩も嬉しそうに「そういえば嬢ちゃんさっきも、羽風先輩来てますか?なんて言っておったのう」と笑う。晃牙くんも朔間先輩に同意するように何度も頷いて「言っていたな」と口にした。怪訝そうに眉を寄せた羽風先輩はまっすぐにこちらを見つめて「どういうこと?」と首をかしげた。夢を引きずったことなど到底口に出せるはずもなく「気のせいじゃないですかね」としれっとそう伝えると羽風先輩は、ふうん、と一言呟いて膝の上に楽譜を置いてしまった。

「きになるなあ、本当は何かあるんじゃないの?」
「参加率が悪いからちゃんと来るのか不安になっただけです」
「本当にそれだけ?」
「それだけです」
「ふーん」

 口を割らない私に折れたのか、はたまたさほど興味がなかったのか。羽風先輩はそれだけいうと楽譜に目を戻してまたとんとんとリズムを刻み出す。アドニスくんと晃牙くんは目を合わせて不思議そうに首をかしげ「まあ練習に来るのは当たり前だけどな」「そうだな」と余計な言葉を吐いてギターを鳴らし始める。朔間先輩はそんな後輩コンビを見てくつくつと笑みを浮かべると、彼もまた練習に戻った。

 羽風先輩の足が奏でるリズムが、晃牙くんのギターが一本の旋律になる。アドニスくんの、朔間先輩の鼻歌がそれらを彩る。ささやかな音の流れに飲まれながら、私は目を閉じた。夢の中の映像はもう朧げで輪郭すら思い出せない。でもあの煌びやかなステージよりも、だれも観客のいないささやかな練習室のほうがずっとずっと、愛しく感じた。

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