それは恋の音に似て_04
客観的に考えれば起こるべくして起きたことだった。あれから私は不自然じゃない程度に――例えばグループワークの時はさりげなく乙狩君の隣にいたり、何か困ったことがあったらできるだけ乙狩君を頼ったり――晃牙くんの言う通りアピールに事欠かさなかった。乙狩君は優しいので私の要望に嫌な顔をせず答えてくれた。当初は顔を見るだけでも緊張したのだが、一緒にいる時間が長くなるにつれて、緊張は次第にほどけていった。相変わらず心臓はけたたましくなるけれども、いまではそれが心地いい。クラスメイトから友達へとランクアップした矢先の、出来事だった。晃牙くんとのお昼休みの恋愛進捗報告会は、お互いの予定が合わないとき以外はほぼ毎日行われた。日当りのいいテラス席で彼は定食を、私はお弁当をつまみながら、穏やかな午後を過ごす。その日は曇天で、太陽の光は届かないものの、外の方が比較的暖かかったため私と晃牙くんはもはや特等席となった席に腰を下ろしてお昼を食べ始めた。遠くの方で気の早い蝉が声を震わせている。もうすぐ夏が来るんだねえ。ぼんやりとそんなことをつぶやくと、晃牙くんは野菜炒めを口へと運びながら一度大きく頷いた。そして私の方を――正確には私の背後の誰か――を見つけて大きく手を振った。近付く足音が聞こえたので私も振り返ると、そこには両手いっぱいにパンを抱えた乙狩君が駆けてきていた。突然の来訪に私は噛みかけのウィンナーをそのまま喉へと流し込んでしまう。ああもったいない!そう思いながらお茶でそれを流し込むと、涙目になりながらこちらへとやってきた乙狩君を見上げた。
「座れよ」
晃牙くんは私の隣の空席を顎でしゃくる。乙狩君は持っていたパンを机の上にばらまいて
「すまない助かった、今日は人が多いんだな」
と言い椅子に腰を下ろした。確かに今日は食堂は満員御礼。座るスペースはほとんどない。その上いつ雨が降ってきてもおかしくない天気だから、外で食べるのは得策ではない。乙狩君は晃牙くんから私に目線をなげて、お邪魔する、と笑顔を零した。なんと返答すればいいかわからずただただ首を縦に振るう私に乙狩君は優しく笑みを浮かべて、机の上にあるパンを一つつかんだ。包装袋のビニールが彼の指先に合わせてぱりぱりと音を立てる。豪快に袋を破く乙狩君は袋から半分パンを出しながら大きな口でがぶり、とあんパンにかみついた。いつもパンなんだね、と私が言うと、乙狩君は口をもごもごと動かしながら頷いた。
こうして三人で食事をすることはままある事ではある。わざわざ連絡して呼び出しはしないものの、晃牙くんの姿を見たら乙狩君は嬉しそうにやってくるし、乙狩君の姿を見かけると晃牙君も必ず呼び止めはする。晃牙君に関しては、もしかしたら気を使っている面も多いかもしれないが、単純に二人の仲がいいことに相違はないだろう。いやでもしかし、今日はいい日なのかもしれない、と早々にあんパンを平らげ二つ目の総菜パンへと手を伸ばす乙狩君を見て心を躍らせていた。
その時だった。
「あの二人って付き合ってるらしいぜ、ほら、大神と、隣の」
ぴたり、とハンバーグに伸びていた手が止まる。晃牙くんも聞こえたのだろう、サラダをつまんでいたお箸からひとつまみ、キャベツが零れ落ちた。誰がそんな話をしていたかはわからない。振り返って確認する勇気もなかった。ただ喧騒の中で聞こえたその言葉は、きっと。
恐る恐る乙狩君を見つめると、彼も困惑した表情でパンを握りしめていた。ああ、やっぱり聞こえていたのか。私は目を伏せて言い訳の言葉を探す。そんなことないっていう?それとも聞こえないふりをする?適当に話題を振ってごまかす?どうすればいいの?
「もしかして、邪魔、だろうか」
控えめに、でも確かに彼はそう口にした。私はあわてて首を横に振るい、そんなことないよ、と声をあげる。
「ついでに晃牙くんとなんて付き合ってないし!」
「なんてってなんだよ、俺だってテメエなんざ願い下げだぜ」
「そうなのか?俺はお似合いだと思うが」
気を使っての言葉だろうか、それとも本心なのだろうか。乙狩君が苦笑交じりにつぶやいたその一言を聞いた瞬間、後頭部を鈍器で殴られるような感覚に陥った。ぶるぶると震える指先に気付かれないようにお箸をお弁当箱の上にのせて、両手でお茶のコップを握る。きっと悪気はない。見たままの感想なのかもしれない。どちらにしても。胸の中に黒の靄が疼く。震える声で絞り出した、そんなことないよ、という言葉は、ちゃんと平然とした響きを奏でられただろうか。
そこから先はよく覚えていない。やけに味気なかったお弁当のおかずと、こちらを心配そうに見つめる晃牙くんの視線がやけに気になったのだけは覚えている。曇天の空は今にも泣きだしそうで必死に耐えていた。私のようだと、ぼんやりと思った。