あなたは私の優しいヒーロー_02
その日から彼は私に過度の世話を焼くことはやめた。制服の上着がとれ、服装が夏服に変わった頃になると、当初の彼とは比べ物にならないくらい放任してくれた。ただ、世話を焼くこと自体はやめておらず、私がちょっと困ったときやどうしようかなと迷っているときにそっと手を差し伸べてくれるようになった。私もようやくこの生活に慣れてきて彼の優しさを享受する程度の余裕は出てきており、彼の優しさに、大丈夫です、よりも、ありがとう、を伝えることが多くなった。以前よりも少しだけ丸くなった私たちの関係に神崎くんは、一時期はどうなることかと思ったが安心した、と嬉しそうに笑った。その言葉を聞いた私とアドニスくんは目を合わせて、照れたように笑う。しかし彼に優しくされるたび、助けられるたびに当初の冷たいあしらいを思い出しては罪悪感に苛まれる。そしてふと、二人のあの情けない夕方を思い出しては、痛む胸をそっと押さえた。私が胸を痛める権利なんてないのだけれど。自業自得なのだけれど。誰にも相談できないこの気持ちは、浮かんでくるたび目を閉じて、心の海の底へと追いやる。決して浮上しないように。そのまま、沈んでいきますように。
それは夏のある暑い日で、珍しくUNDEADのメンバーが揃った、との連絡を受けたので、私は軽音部まで走って向かった。他のユニットとは違い、彼らは不定期にしか全員揃わない。故に、プロデュースするタイミングが限られているのだ。丁度スケジュールが空いていたことを覚えていた私は二つ返事でUNDEADのプロデュースを了承した。
軽音部へ駆けつけた私を出迎えてくれたのはアドニスくんだけだった。差し入れとして買ってきたアイスを彼に手渡すと、アドニスくんは嬉しそうに顔を綻ばせて、すまないな、と笑う。全員いると思って買っちゃったけどみんな戻ってくる前に溶けちゃうかな?外ではセミがけたたましく鳴き、入道雲が大きく膨らみ空を彩る。夏らしい1日だ。じんわりと浮かんでくる汗をハンカチで拭っていると、アドニスくんは部室の奥から椅子を持ってきて、座って待っていろ、と勧めてくれた。お客様でもないわけだし、とやんわり断ると彼は、そうか、とだけ呟き椅子を奥へと追いやる。
「他のメンバーは?もしかしてもう解散しちゃった?」
「どうやら先輩たちは先生に呼ばれているらしい」
「そうかあ、じゃあまだちょっと時間あるんだね、晃牙くんは?」
「大神も先輩たちについていった、逃げないための見張りらしい」
晃牙くんらしいなあ、と私がケラケラ笑うと、アドニスくんも柔和な笑顔を浮かべて、そうだな、と一言。そしてふと、彼が私の指先に目を止めて、それ、と言葉を口にする。特に今日は指輪とかつけてなかったはずだけど。それ?と彼の言葉をなぞりながら自分の手元を見つめると、アドニスくんは突然私の指を掴んで、じいと指先を見つめる。そのあまりの躊躇のなさに、私が驚きの声を上げると、彼は一言、傷、と。
「ああ、衣装縫ってた時のやつかな?まだなかなか慣れなくて」
「そうか、お前はユニットの衣装も作っているんだな」
「うん、そこそこに、作れるようになったよ、鬼龍先輩のおかげかな」
私がそう言うとアドニスくんは一度目を伏せた。彼の、紫のまつ毛がゆらゆらと揺れる。私はその波を見ながら、また失言してしまった?と記憶をなぞる。が、多分そういった類の言葉を言っていないはずだ。
「お前はもう、庇護される存在ではないのだな」
彼らしくない、弱々しい小さな声で、アドニスくんは呟いた。もしかしたら聞いてほしくなかった言葉なのかもしれない。それでも、耳に入ってしまったから。拘束を解かれた指先で、離れていく彼の手を追いかけて握りたかったけど、どうしても私の過去の冷たい仕打ちがそれを許してはくれない。私にできるのは精一杯の虚勢をはることくらいだ。
「まあね、私、プロデューサーだからね?いつかUNDEADの衣装も作るから、楽しみにしててよ」
「そうか、お前が俺たちの衣装を」
「あ、でもみんなパフォーマンスが派手だからな、頑丈な衣装の作り方聞いておかないと」
私が一つウィンクしてみせると、彼は苦笑して、そうだな、といつも通りの声色でそう言葉を吐いた。夏の太陽が窓から光を差し込み私たちの影を色濃く落とす。
「楽しみにしている、プロデューサー」
そう、私はそうありたかったはずなのに、嬉しいはずの肩書きは空虚に部室内に響いた。がさり、と彼が持ったアイスの袋が音を鳴らす。多分もう溶けてるんだろうな。次は時間が経っても大丈夫な差し入れにしよう。心に響く小さな痛みは、先輩たちが帰ってきても、溶けたアイスを見て、お前らが遅いから、と噛み付く晃牙くんと挑発を始める羽風先輩のやりとりを見てる間さえ、止むことはなかった。