いつか夜が明けたら迎えに来て_06

 大階段前。狛犬のように向き合ったキメラの像が睨み合うホールで、私は『私』が死んでいた場所を眺める。灰色の絨毯には染み一つなく『私』がいた痕跡など欠片も残っていなかった。
 でも、『私』は確かにここで死んだのだ。
 見上げれば、あのとき私が立っていた場所がよく見える。息絶え絶えの身体で、私は『私』になにを思っていたのだろう。羨望? 憎しみ? 喜び? 感情が何一つわからなくて、私は階段の上を見上げる。藍色の壁。上質な材木で施された手すりには汚れ一つもない。

「なーに突っ立ってんだ、おまえ」
「うわ!」

 まだ授業中のはずだ。声を上げれば、ここにいるべきではない制服姿のマモンがじとりとこちらを見下ろしている。こうして顔を見るのは一日ぶりだ。へらりと笑って「おはよう」と言えば「おはよう、じゃねえよ」と吐き捨てられてしまった。

「体調は大丈夫なのか?」
「うーん、あんまりよくないから帰って来ちゃった。マモン、授業は?」
「んな毎日真面目に受けるかよ。今から仕事」

 なるほど。そういえばモデルの仕事をしていた、なんて聞いたことがある。学業よりも仕事が優先なのかあ、なんて思いながらも「そっか」と笑えば、マモンは怪訝そうに眉を寄せた。そうして突然両口角に親指を当てられ、無理矢理押し上げられてしまう。
 しばらくそうしたあとで、一言「下手くそ」と吐き捨ててマモンは指を離す。暴かれた愛想笑いに私はばつが悪くなって「えっと……」と視線を下へと向ける。

「体調悪いなら部屋帰って寝てろよ」
「うん、そうしようかな」
「……風邪か?」
「なのかなあ。雨だから、ちょっと参ってるのかもしれない」
「は? 雨? 人間は繊細すぎだろ」

 小馬鹿にする笑いも、今はうまく返せない。下を向きながら「うん」とだけ返せば、垂れ下がった腕に、褐色の指が絡まる。引っ張られるまま見上げれば、やはり険しい顔のマモンがそこにはいた。

「いいから、突っ立ってたら冷えるぞ。部屋に戻ろうぜ」

 向けられた優しいその感情に、涙腺が緩みそうになった。それでも頭の片隅には、その優しさは誰に向けられたものだろう、と冷めた目を向ける私がいる。このマモンは一体、誰に優しくしているのだろう。そして私はそれを暴いて、どうしたいのだろう。
 立ち止まって、腕を振りほどいて大声で泣き叫ぶくらいの度胸があればよかった。他人のためにそういうことができたとしても、自分のためにそんなパワーを使えるほど度胸はない。

「ありがとう」

 大きな背中にそう呟けば「ん」とだけぶっきらぼうな言葉が返ってきた。腕を捕まれてるから近いはずなのに、なぜだか彼が、随分と遠く感じた。

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