いつか夜が明けたら迎えに来て_05
「ひどい顔だぞ」
「ものには言い方があるよ、ルーク。でも確かに、あまり顔色はよくないね」
「そうかな」
遅れて登校した私は、館のみんなとは会わないようにこそこそと授業を受けていた。悪魔と留学生のカリキュラムは若干違っていて、他の留学生とは顔を合わせども、館の皆から逃げることは案外容易かった。
いや、容易くしてくれたのかもしれない。
今ここには、シメオンとルークしかいない。大抵この二人がいればソロモンも一緒にいるはずなのに、彼がここにいないのは「一肌脱いでこよう」なんて率先して離席してくれたからだ。おそらく彼は今、館の皆を私から遠ざけてくれているのだろう。誤解を生むかもしれないが、正直ありがたい。私は今彼らの前で、ちゃんと笑えるかの自信は無かった。
登校途中、ずっと考えていたことがある。皆と喋って感じた、違和感の数々だ。思い違いかも、で全てを片付けていたのだけれど、おそらくそれはきっと違う。彼らの記憶も、私の記憶もどれも正しい。ただ過ごしてきた世界が、ほんの少しずれていたのだ。
彼らと顔を合わしたくないのは喧嘩じゃなくて体調不良で心配させるからだと伝えたけれど、シメオンとルークはその言葉に疑いを持っているようだった。「なんだったらメゾン煉獄へ来ていいんだぞ」と胸を張るルークに苦笑しつつも「息抜きに遊びに来てもいいんだよ」とほぼほぼルークと同じ言葉を告げ、シメオンは笑う。
「本当に大丈夫だよ。食欲がないだけだから」
「食欲がないの? もしかして風邪かな。少しでも入るならなにか食べた方がいいけれど」
シメオンがルークに目配せをし、彼は制服を叩きながら何か入っていないか探り出した。まるでベールに食べ物を強請られた私みたいだ。小さく笑えば、シメオンの顔がふっと緩む。そうして「ようやく笑った」といい「今日ずっと険しい顔してたんだよ」と苦笑を浮かべる。
「本当? ……ごめんね」
「気にしてないよ。でも本当に喧嘩じゃない?」
「うん。体調が悪いだけだから」
忙しなくポケットをまさぐっていたルークが、とうとうなにも見つからなかったようで、項垂れた顔をしてこちらを見上げた。まるで垂れ耳が似合うような、その小動物感が随分と愛らしくて、懐かしい。以前にも同じような光景を見たことがあるなと私は、彼を見下ろしながら記憶の糸を辿っていく。そうだ。ちょっと前に家出をしてきたルークに同じような感情を抱いて――伏せと言ってしまい、怒られたんだっけ。
小さく笑めば、ルークが「なんだよ」と声を尖らせる。「いやかわいいな、と思って」と言い「あとルークがベールの部屋にお泊まりしたときに、伏せって言って怒られたことを思い出した」と継げば、ルークの表情は途端に曇り、彼は素直に首を傾げた。
「……そんなこと、あったか?」
あったよ、と喉元まで言葉が競り上がったが寸のところでそれを飲み込んだ。ちゃんとあった。私の記憶にはちゃんと可愛らしかったルークの姿も、その後に憤慨する彼の言動もしっかり刻まれている。だけどそれはここでの正史ではない。昨日のバルバトスの言葉が、呪詛のように頭を巡る。
――ここが『唯一の現実』です。
「どうしたんだ?」
「いや、なんでもない。寝ぼけてるのかも」
誤魔化すように笑えば、シメオンとルークは顔を見合わせて、困ったように眉を寄せた。『私』の影を見ないように逃げてきたのに、この世界には『私』が色濃く残りすぎている。
曖昧に笑うしかない私を、二人は心配そうに見つめている。でもどうすることもできなくて、悟られないよう笑いながら「ほら次の授業へ行こう」と私は強引に会話を切り上げた。