くうねるところにすむところ_01
不思議な関係だと、数ヶ月経った今でもそう思う。
むくりと起き上がれば、ほど近い距離にすやすやと眠る大きな背中。タンクトップからは褐色の肌がよく見え、そっと手を伸ばせば触れていないのに彼はぴくり、と動いた。しかし、起きる様子はない。こちらに背を向け、壁に相対するように眠っている。
ほんの少しだけはだけた布団を彼に被せてやれば「うん……」と小さな音のような声が漏れて身動ぎをする。
「おはようございます」
か細い声で伝えてみる。返事は無い。できるだけベッドが軋まないように降り立てば、朝の熱された空気と、夜タイマーをかけた冷房の冷やされた空気が奇妙な具合に混ざり合っていた。
窓を開ければ新鮮な空気とともに入り込む熱気。今日も暑くなりそうだと、私は目を細め、外を見つめる。眼下には仕事へ行く人々、走り去る車、正常に世界は回っている。
そう、世界は正常に回っている。奇妙な歪みを綺麗に覆い隠しながら、正常に回り続けている。
壁に掛けられたカレンダーを見れば、上段には『オフ』の文字。休みなんだ、と思いつつもまだ空白の下段に『仕事』と書き込む。平日は仕事だからと言い含めているから、突発なお休みが無い限り、いつも予定を書き込むのは当日の朝だ。
癖になったカレンダーの記載。彼は見ているのだろうか。見ていないのかもしれない。何のためにつけ始めたのか、誰のために書いているのか、分からないけれど惰性で今日も書き込んでしまう。
『冷蔵庫に入ってあるおかずは、食べても大丈夫です』
ボールペンでそう書き込んで私は大きなあくびを浮かべた。お風呂に入って朝ご飯を食べたら仕事へ行こう。振り返ればすやすやと眠るアドニスくんの姿があり、私はふう、と小さく息を吐き出した。
この関係が始まったのは、今から丁度一年前。社会人となり、仕事もそこそこに熟れてきた頃の話だ。
就職を機に越してきたこの部屋の住所は、高校時代の友達には誰一人教えていない。意地悪で教えなかった訳ではなく、単に教える必要が無いと判断したのだ。
あの頃、何よりも大切に思いそばにいた仲間達も、四年も経てば関係は希薄となる。最後に連絡をしたのはいつだろう、と思い返さねばならないほど連絡を取っていない彼らにわざわざ知らせることかな、と考えてしまい、考えているうちに引っ越しをして、仕事が始まり、奔走していたら随分と時間が経ってしまったのだ。
まあ実家は変わらずそこにあるし連絡はとれる。教えなくとも問題はないかと、私は考えていた。
だから彼が突然、この部屋を訪ねてきたときには、心臓が飛び出るかと思うくらい驚いてしまったのだ。
「突然ですまないが」
彼は馬鹿な冗談を言う人でもないし、こうした罰ゲームを甘んじて受け入れるような人でも無い。
「……ここに、住まわせてほしい」
捨て犬のような、寂しげな光を瞳に灯した、思い出よりも随分と大人びた友人は、そう言って深々と頭を下げた。
働きたての、まだ二十代前半の女性が借りる部屋なんて、広さが限られている。利便性をとり借りたワンルームは一人で暮らすのには丁度いい広さで――二人が住むには、幾分狭すぎる。一応オートロックのマンションだし、エントランスには守衛さんがいるのだけれど、彼曰く「住人の後ろについて入ったら、入れた」くらいのセキュリティなので、人気アイドルが暮らすのには随分と不用心な部屋には違いない。
それでも彼は転がり込んできたその日から毎日、この部屋へと帰ってくる。二人分のベッドを置ける余裕なんてこの部屋には無かったので、当初は私が床に寝ていたけれど「家主を床に寝かせるのはいけない」なんて彼の紳士心からいつの間にかベッドで二人肩を並べるようになった。
キスはしていない。それ以上なんて以ての外。寝ているときに体が触れあうことはままあれど、故意に触れたりだとかそういうものは一切無い。
要するに、お互いがお互いの事を『そういう目線』で見ていないから、この生活は成り立っているのだ。……いや、違う。正確には彼が『そういう目線』で私を見ていないから、成り立っているのだ。
なぜなら在学中から私は彼――乙狩アドニスに恋をしていて、かわいそうなことに十年経ったいまでもずっと、その恋心をこじらせているのだから。そして彼がその気持ちに、清々しいほどに鈍感であるが故に、この生活は成り立っているのだ。