大嘘つきの大行進_09

 たどり着いたのは記憶にも新しい晃牙くんの部屋だった。彼は私を下ろすと、ポケットから鍵を取り出して手慣れた手つきで扉を開く。そしてそのまま私を部屋の中に押し込んだ。状況の飲み込めない私はただ立ち尽くすしか出来なくて、その間にも晃牙くんは施錠をし、靴を脱いで部屋の中へとあがっていく。時計はもう始業時間をさしていた。完全に、遅刻だ。

「あの……」
「いいから上がれ」

 凄みのある声に驚いて、慌てて靴を脱ぎ捨てて部屋へと上がる。晃牙くんはそのまま私の手を引いて廊下を歩き、扉を開けて、彼の自室へと入った。まだ晃牙くんが家から出て間もないからか、部屋の中は幾分暖かい。脱ぎ散らかしたパジャマに気がついて「クソっ」と彼は恥ずかしそうに手早く片付ける。あの日、彼の部屋は随分整頓されていると思ったけれど、今日は様相が違った。いや、この前が綺麗すぎたのかもしれない。相応に散らかった部屋を眺めていたら、晃牙くんがハンガーを投げてよこした。ぼうと眺めていたら彼が一言「掛けろ」と。

「……学校は?」
「休む。……体調悪いのに無理してんじゃねえよ」

 埒があかなさそうだったので、お言葉に甘えコートとマフラーをハンガーに掛けた。ブレザーはどうしようと悩んでいると、晃牙くんは学院の長袖ジャージを上下、私に手渡す。なんとなく意図が伝わり「本気?」と恐る恐る尋ねる。晃牙くんは少しだけ照れたように「スカートが皺になんだろ」と言い、背を向けた。
 これは、どうしよう。要するに着替えろということなのだろう。いや。えっ。晃牙くんのジャージ、だよね。うん。嬉しいけど、嬉しいしこんなチャンス二度とないのだろうけど、この一線は超えちゃいけない気がする。というか皺? 皺になるってなに。

 頭が半分パニックを起こし、背を向けている晃牙くんの肩を掴んで「学校に戻ろう?!」と私は声を荒らげる。晃牙くんは思い切り顔を顰めて「歩くのも辛いやつが何言ってんだ」とまた背を向ける。あ、これ着替え待ってるやつじゃん。先ほどのおんぶ事件の彼の頑なな態度を思い出して、ジャージの長ズボンを掴んだ。
 もうおんぶでも十分恥ずかしかったし、どうにでもなれ!
 そんなやけくそな気分で彼のジャージに身を包んで、スカートを脱いだ。制服をたたみベッドの脇に置くと、晃牙くんの肩を少し強めに叩く。晃牙くんは少し動揺したように私を見下ろして、そしてそのまま腕を掴んでベッドの上に座らせた。

「寝とけ」
「……本気で言ってる?」
「本気もクソもねえだろ。よかったな、テメエが馬鹿みたいに買い込んだ風邪グッズがまだ残ってるんだよ」

 そう言ってベッド下の籠から冷却シートを取り出して彼は私の目の前でそれを揺らす。数週間前の自分の所業に頭を抱えて、震える声で「おうちかえる」と伝えれば「その格好で帰るのかよ」と彼は涼しい顔でそう言い放った。いや、押しつけたの! 晃牙くんだからね?!

「いいから寝てろ……これ以上風邪こじらせんなよ」

 晃牙くんはそう言うと優しく私の身体をベッドに倒して布団を掛けてくれた。彼の左手が私の額に触れる。まるで壊れ物を触るかのように慎重に前髪上げて、そして冷却シートを貼ってくれた。
 あまりの冷たさに声を上げる私に、晃牙くんは茶化すでもなく、なぜか少し恥ずかしそうにじっとこちらを見つめていた。固く閉じられた口から言葉は出ない。妙な沈黙が重くて「前とは逆だね」と言えば、彼は顔を逸らして「そうだな」とベッドにもたれるように座った。

「……ゼリー食うか?」
「いい」

 終わったしまった会話。晃牙くんはスマホをいじるでもなく、なにをするでもなく背を向けてただその場に座り込んでいた。仄かにまだ暖かい布団にくすぐったさを感じつつ、悪戯心で晃牙くんの肩をつつく。彼は不満げに振り返り「なんだよ」とその手を掴んだ。そしてあの日と同じように、彼の指が私に絡まる。

「吸血鬼ヤローが」
「うん」
「テメエを、振ったのかって、聞いてきて」
「……うん?」
「振ってねえからな、あの言葉は、そう言う意味じゃねえ」

 そう言うと彼は強く手を握る。身体をこちらに向けて、膝立ちでベッドの上の私をのぞき込んだ。何が起こっているのだろう。もう分からなくて、ただ目の前の晃牙くんの瞳を見上げる。

「お前がスケコマシ野郎のこと、好きじゃねえってなんとなく分かってた」
「うん」
「違う誰かを……俺たちの誰かを好きだって事も、薄々気付いてた」
「……うん」
「言うなつったろ、あの日」
「言った」
「……聞きたくねえ、は間違いだ。言わせろ」

 晃牙くんはそこで言葉を切ると、無防備な私の頬にひとつ、唇を落とす。そのまま耳に口元を寄せて、一言。

 好きだ、と。

 彼はゆっくりと顔を上げた。驚くほど真っ赤に染まった頬は、あの日の風邪をこじらせた彼よりも随分と熟れて見えた。動揺して、私も身を起こす。そのまま彼の胸に頭を寄せれば、晃牙くんは一度驚いたように身体を震わせ、そして抱きしめて、そのまま二人ベッドの上に沈んだ。
 晃牙くんは布団ごと私のことを抱きしめる。どきどきと心臓の音が聞こえる。何も言わないから、その音だけが私の周りを満たしていく。

「晃牙くん」
「なんだよ」
「ほんとはね、晃牙くんの事が好きだから、ずっと練習に行ってたんだよ」

 声を潜めてそう伝えれば、晃牙くんは「ばか」と一言言葉を落とし頭に顔を寄せる。かかる吐息がくすぐったくて身をよじらせれば「寝てろ」と彼が私の背中をぽんぽんと叩く。
 幼い子供を寝かしつけるようなその速度に、とろりと、とかされるように眠気が私を襲った。あのね、もっと伝えたいことがあったはずなんだけど。とろとろととろけていく思考に抗うように晃牙くんの服をぎゅっと掴んだ。

「すき」

 眠りに落ちる前に、私の口から零れた言葉に、晃牙くんはとても優しく笑った。

「知ってた」

 頬に彼の大きな手が被さる。唇に柔らかい何かが触れる。暖かい、心地よい温度だと思った。

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