「キレイだ。」_01
いまだに一枚の写真を大切に持ってるって言ったら、ドン引きされちゃうかな? 卒業式に撮った、奇跡のようなツーショット。背景もブレブレで、彼女も緊張してかっちり目を閉じちゃって。お世辞にもいい写真とは言えないのだけれど、なんとなく愛おしくて数年たった今でも手放せずにいる。
芸能界という大海原に出て、常識とは違う次元にいる相方と、騒がしい後輩たちと一緒に旅をしている中で、彼女よりも綺麗な人や可愛い人には沢山出会ったし、何枚も写真を撮った。でもやはり拙いこの写真に勝るものはないなと、思ってしまうんだ。
女々しいって言ってもいいよ。言ってくれるなら。だって君は、もう俺のそばにはいないのだから。
「会いたい……」
「女々しいのう、薫くんは」
「うるっさいなあ、朔間さんにはこの気持ちわかんないでしょ、どーせ」
ガラスのテーブルにグラスを乱暴に置けば、目の前でソファに埋もれていた朔間さんがけらけらと笑った。からかいたいだけの言葉だとはわかっていたけれど、こうも素直に喜ばれるとやはり腹が立つ。
「人のソファでだらけちゃって」
刺々しい言葉を投げつければ、雫型のソファに埋もれていた彼はゆっくりと身体をこちらへと向けた。無表情なその顔に一瞬身構えてしまったが、体重を包み込むように身をよじらせたソファの感触に、朔間さんは目を落とす。そのままソファに手を付き体重をかければ、素直にソファは朔間さんの手を受け入れる。
吸い付くような感覚が楽しいのか、彼は表情を緩めて、そして俺のことなどそっちのけにソファに転がった。テーブルの向こうの俺でもわかる変形してしまったソファから「ふふっ」とご満悦な声が聞こえた。所謂『人をダメにするソファ』というものは吸血鬼をもダメにするらしい。特に酔っ払いには、効果てきめんのようだ。
高層マンションの一室。一人暮らしには随分と広すぎる部屋に、俺は居を構えていた。別に背伸びをしたわけじゃない。自分の収入と、セキュリティとか、利便だとかを考えると丁度ここが良かっただけだ。
綺麗な家具に、すくすくと育つ観葉植物。海の雰囲気を漂わせる小物やサーフボード。欲しいものは、大抵望めばすぐに手に入った。
駅に大きく飾られたユニットの看板。大きなステージに溢れかえる、眩い程のサイリウムの波。些細な動作でさえ黄色い声を誘うほどの名声も手に入れたというのに、一番素朴で、おそらく身近にあったものが、随分と遠くてか細い。
「薫くんの気持ちはわからんが、ちと飲み過ぎということはわかるぞい」
「うっさい」
「なんじゃ反抗期かえ? 反抗期は晃牙だけで十分と言うのに」
ソファから顔を出した朔間さんは上機嫌に「わんこや」と懐かしい呼び名で晃牙くんを呼ぶ。狼だ! と吠えると思ったのに晃牙くんはずいぶんと頬を赤らめて顔を上げてこちらを見た。いや、呼んだのは朔間さんだし。呆れて彼の手元を見れば、球体の氷が入ったウィスキーグラスをしっかりと掴んでいる。並々と注がれる琥珀色のそれは、彼がいつも飲んでいるお酒の数倍高い度数で――面白いことに晃牙くんはあまりお酒が強くはない――慌てて取り上げようとすれば、彼はまるで大切なものを守るようにしかりとつかんで胸に寄せた。
「なんだよ! 俺様のだぞ!」
「いやそれ我輩のじゃし」
「晃牙くんが飲むにはちょっと早いって。ほら、返しな」
「うっせえ! だいたいてめえは終わったことをぐっだぐだぐだぐだ蒸し返しやがって!」
「終わってないからね?! 再会したらちゃんと告白するから!」
「少女漫画みたいだな」
嫌味のかけらもないその声にアドニスくんを見れば、彼はガラスのテーブルに広げられたナッツをつまみながら、真直にこちらを眺めていた。なんだか恥ずかしくなって視線を逸らせば、晃牙くんはグラスに入ったお酒をあおり――そしてむせて――テーブルにお酒を置く。からん、と氷が音を立てて揺れる。眼が据わった晃牙くんが、こちらを睨みつける。
「つうかよお、今どんな姿になってるかわかんねえのに良くそんな事言えるな」
「綺麗に成長してるかもしれないじゃん」
「例えば?」
アドニスくんの問いかけに、浮かんだ女優の名前を適当に言えば、晃牙くんはげらげらと騒がしい笑い声を上げて「ねえよ」と目尻に浮かんだ涙を拭う。アドニスくんも神妙に「残念だが……」なんて言うものだから、腹の底に燻っていた熱がゆっくりとせり上がり「あるかもしれないでしょ!」とらしくない大声が出てしまう。晃牙くんはその声に更に笑い、そしてソファに沈んでいた朔間さんもケラケラと笑い声を上げた。
「そうじゃな。あるかも、しれんな?」
「笑いながら言うのやめてくれる?!」
「夢を見るのは自由だと思う」
「アドニスくんまで!」
四面楚歌な状況が面白くなくて、携帯のロックを開いてフォルダーの奥の奥に隠したあの大切な一枚を表示させる。確かに口に出したあの子よりは、随分とジャンルがちがうけれど。
空色のブレザーに身を包んで俺に寄り添うその姿に小さくため息を吐く。このまま思い続けていたら彼女に会えるかもしれないじゃんか。もしかしてこの携帯に彼女からの連絡が、なんて、夢のような話。
「あー……会いたい」
グラスを持ち上げて酒を流し込めば、恋慕はそのまま、強烈なアルコールだけが喉を通り過ぎた。