愛の鉄槌を食らえ_05

 去年のショコラフェスは、誰かを思って作ったわけではなかった。今はそう、胸を張って言える。皆平等に大好きだったあの頃。誰かが特別ではない。好きも嫌いもない、全て一律に愛すべき、守るべき存在だと思っていた、あの日の私。
 大量生産されたマフィンに一つずつ青いリボンを巻いていく。これはいつもお世話になっているアイドル達へのささやかな差し入れ。ところかしこに蔓延る甘い香りの一因を口に頬張れば、チョコレートがとろりと溶け出した。うん、成功。おいしいおいしい。

 用意していたかごにお菓子を詰めて厨房から飛び出せば、赤と茶色に彩られた風船が至るところで浮かんでいた。一年前にトリップしてしまったのか錯覚してしまうその光景に圧倒されていたら、頭を無遠慮に小突かれる。見上げれば緑色のネクタイを首からさげた晃牙くんが「鼻がひん曲がりそう」と言葉を吐いた。

「おっ丁度いいところに。晃牙くん、これあげるよ」
「いらねえ……」
「そう言わずに」
「匂いだけで十分だっつうの」

 追い払うように手を振られたので制服のポケットにねじ込めば「テメエ」と苛立った彼の声がする。しかしその声はすぐにぴたりとやみ、彼の視線は私のブレザーに注がれる。追えば、彼はじっと、ブレザーの第一ボタンを見つめている。糸がもう飛び出したそれは、少し引っ張ればとれてしまいそうだ。

「ボタン、とれかけじゃねえか」
「うん」
「もうすぐ卒業なのに、ドジだな」
「ほしい?」
「なんでだよ」
「所謂第二ボタン的な?」

 こころから一番近いボタン。ブレザーの第一ボタンは学ランの第二ボタンに相当するらしい。指先でそれをいじりながら笑えば「菓子よりいらねえ」と晃牙くんが思いきり顔を顰めた。

「なーにいちゃついてるんですか」
「先輩方、トリックオアトリート!」

 晃牙くんと暫く雑談をしていたら、突然背中に柔い衝撃が走った。振り返れば、オレンジ頭と緑色の瞳、同じ顔が同じ表情をしてこちらを見上げている。ジャージ姿なのは練習中だからだろうか。トレードマークのヘッドフォンもない。色分けされたピン止めもない。差異のない二人を見つめて「ひなたくん、勢いよくぶつかりすぎ」と言えば、晃牙くんの背中からひょっこり顔を出したゆうたくんが嬉しそうに顔を綻ばせて「流石、もう目印がなくても俺たちがわかるんだ?」と茶化すように声をあげる。
 ひなたくんはその理由をまだ知らない。「なにそれなにそれ」と嬉しそうにゆうたくんと私を見ているし、晃牙くんも当然「よくわかったな」と感心したように声を出す。

「そりゃあだって」
「ゆうたくん?」
「おっとおっと」

 大げさに口を押さえて彼は笑い、その行動にひなたくんが「ええ、やらしいなあ」と頬を膨らませた。その様子が可愛くて思わず顔を綻ばせると、ゆうたくんが声を出さずに「か、お」と忠告してくれる。慌てて引き締めて「大体ハロウィンじゃないし」と誤魔化すように首を横に振れば、ひなたくんが大きな目を瞬かせて、そして籠の中にあるお菓子を見て「でもくれるんでしょう?」と笑った。

「プロデューサーさん! 頑張ってるアイドルに慈悲を!」
「俺たちもうお腹ぺっこぺこなんだよね、ずっと練習してたし」
「はいはい、じゃあ頑張っている2winkの二人にお菓子をあげようね」

 お菓子の中から無作為に二つ選んでそれを手渡す。彼らはそれが目的だったらしく、受け取ったらお礼を言って、そのまま「大切に食べますね!」「お腹減ったらまた来るね!」と口々に言い踵を返し去って行く。

「なにしにきたんだ、あいつら」

 晃牙くんの呆れた物言いを聞きながら、私は去年のことを思い出す。一律にアイドルを愛さなければならなかったプロデューサー。誰かへの特別な思いなどない、量産されたショコラフェスのお菓子。大事だから遠ざけるのは、優しさなんかじゃない。
 この一年、ずっとひなたくんを見ていた。もしかしたら最初はゆうたくんの日もあったかもしれない。それでも少しずつ彼らの違いがより明確にわかるようになってきた。いや、ちがう。『ひなたくん』のことが、よくわかってきたのだ。
 人一倍に頑張り屋さん。ゆうたくんがとても大切で、守るためなら自分が傷つくのも厭わない人。言葉は辛辣だけど真意はついていて、それでいて、誰かに気持ちを真直に伝える力を持っている。

 私は取れかけのブレザーの第一ボタンに指をかけて力を入れた。ぷちりと小さな音がして、簡単にボタンは手のひらに転がる。籠の一番奥。ピンク色のリボンを巻いたそれにボタンを通して、とれないように素早くちょうちょ結びをした。

 これが、答え。

「葵ひなた!」

 彼の名前を呼び、お菓子を力一杯投げる。綺麗な放物線を描いたそれは彼の後頭部に当たり、小さく跳ね上がり、振り返った彼の手の中へ。「あいた!」と遠く声が聞こえる。「お前……」と最大級に呆れた晃牙くんの声も、聞こえる。わたしは聞こえないふりをして「それも、あげる!」と声を張り上げた。

「あのさあ! 顔に当たったらどうするの!」
「ごめんねー!」
「ごめんじゃ済まないでしょ!」

 ぷりぷり怒りながら、ひなたくんは包みを掲げて「しょうがないから貰ってあげる」と大声を上げた。陽光に反射して、ボタンがきらりと光る。去って行く二人の後ろ姿を見ながら、私は長く、深い息を吐き出した。
 ようやく、杭がとれた気がする。ちゃんと伝えられなかったけど、おそらくこれが私の精一杯の、答えだ。

「……ひなた、あいつ、わざとぶつかったな」
「え?」
「いや、なんでもねえよ」

 晃牙くんも「アドニスんとこ行くぞ」と歩き出す。アドニスくんにもお菓子渡したいし、と私も彼の後ろをついてあるく。甘い匂いが校内に広がる。楽しそうな生徒の声が、赤と茶色の風船を塗って学院に満ちる。

『誰がいちばん好きなの~、こっそり教えてっ♪』

 去年の彼の声が聞こえた気がした。振り返っても、誰も居ない。

「(……ひなたくんのことが、すきになったよ)」

 射抜かれて、惹かれて、好きになって。誰も居ない廊下に小さく「いままで、ありがとう」と小さく呟いて、容赦なく歩く晃牙くんの背中を追った。

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