嘘つきは誰だ_01
目が覚めたら、知らない部屋にいた。そんなおとぎ話のようなことがまさか自分の身に起こるなんて思いもよらなかったけれど、ここから見える天井は知らない模様をしていたし、聞こえる声も聞き覚えのない声ばかりだったから、残念ながら現実みたいだ。ピントの合わない意識をどうにかしようとお腹に力を入れて起き上がろうとすれば「まだ起き上がっちゃだめだよ」と優しい声でやんわりと肩を押し戻された。柔らかな枕に沈む頭が、まるで警報を鳴らすかのように鈍く痛み出す。
霞む目をなんとかこらして先ほど押し返してくれた人を見上げれば、その人は私と視線が合うと「よかった、目が覚めて」と泣きそうな顔でそう言った。蛍光灯に照らされた金髪がきらきらと輝く。綺麗な人だと思った。見覚えはないけれど。
親しみを込めた視線とその言葉にどう返答していいかわからず私は閉口する。そしてできるだけ頭を動かさないように周りを見渡してみれば、仰々しい機械とそびえ立つ点滴が見えた。規則正しく落ちるそれを見て、腕を動かしてみれば、ちくりと右腕に痛みが刺さる。
「じっとしとけっつってんだろ」
乱暴な物言いにそちらへ目線を投げれば、私の足元に佇んでいた銀髪の少年が声を荒らげた。咎めるように隣に立つ紫髪の外国人の青年が「大神」と言葉を漏らす。しかし銀髪の少年は意に介さず、こちらを眺め「おとなしく寝とけ」と口を開いた。萎縮しつつも「わかりました」とだけ返事して顔を半分布団に埋めれば、銀髪の少年はひどく嫌そうに眉を寄せた。そして少し狼狽えながら近くにいた人たちに目配せをする。
外国人の青年の隣で腕を組んで立っていた黒髪の青年が、一歩こちらに近付いた。何かを言おうと口を開こうとしたが、金髪の、先ほど押し返してくれた青年がそれを制する。
一体彼らは誰なのだろうか。聞こうともうまく言葉にできなくてーー銀髪の人怖いしーー布団から覗くように彼らをみれば、揃いも揃って顔がいいことに気がつく。余計にわからない。一体なんで私が点滴につながれているかもわからないし、彼らの存在も、なぜここにいるかも、何ひとつわからない。頭を働かせようともそれを拒否するかのように頭がじくりと痛む。
「(おそらく、病院なんだろうけど)」
怪我をしているのだろうか。はたまた病気なのだろうか。腕は先ほど動いたことは確認した。足はちゃんと動くだろうか。そう思い両足を軽く上げてみれば、それらはすんなりと上がってーーすぐに外国人の男の子に押し戻された。
「だからてめえは大人しく出来ねえのか!」
「わんこ、病院内じゃぞ」
わんこと呼ばれた銀髪の少年は言葉を詰まらせてこちらを一度睨んだ。しかし大概正しいことを言っているので布団の中から「ごめんなさい」と謝れば、先ほど『わんこ』を制した青年が「嬢ちゃんは素直じゃのう」とこちらに微笑みかけた。不思議な口調に思わず眉を寄せてしまった私に彼は近寄り、頬に張り付いた髪を優しくはがしてくれる。その行動に金髪の青年が「ちょっと朔間さん」と唸るように声を上げ『朔間さん』は大げさに肩を竦めて一歩下がった。擦られた頬が少しだけ熱くてそっぽを向けば、また大きく頭が揺れる。痛みのまま顔を顰めれば「無理するな」と外国人の青年が声をかけてくれた。先ほどよりも小さい声で「大丈夫です」と告げれば、その場にいた全員が、なぜだろう、とても悲しそうな顔をした。
そんなわからないのオンパレードだった私の耳に、遠くから複数の足音が聞こえてきた。落ち着いた柔らかな足音、駆けるようなような足音。それぞれバラバラな音だったのに、これは私の方へと向かっているんじゃないのか、なんて予感めいた思いが膨らむ。見える範囲でそちらに顔を向けて待っていれば、入り口から駆け込んできた妙齢な女性は私を見るなり『なにかしら名前のようなもの』を口走り荒々しく抱きしめた。持ち上げられるように抱きしめられてまた意識のピントがずれる。ぐらぐらする気持ちの中前をみれば、遠く壁に掛けられた鏡に、頭に包帯を巻いた少女が写っていた。見覚えのないその姿に困惑しながら恐る恐る左腕をあげれば、なんてことだ、顔をしかめた少女も鏡の向こうでも腕を上げているではないか。
もしかして、あれは、私か。
女性は白衣のーーおそらく医者であろう人に制されて私を優しくベッドに下ろした。惜しげも無く涙を流して手のひらを強く握った。どうやら親しい関係のようだけれど、今はそれどころではない。さっきのは私の姿?いや違う私はもっと……もっと?私って、どんな顔をしてた……?
ぽたぽたと手のひらに落ちる雫の感触に遠く飛んでいた意識が戻る。入り口をみれば安心したような看護師さんとお医者さん。そして、その奥にもう一人、先ほどの青年たちよりは少し幼く見える少年がこちらを心配そうに見つめていた。目があうなり彼はおずおず「姉ちゃん、大丈夫か?」と口を開く。姉ちゃんってことは、彼は私の『弟』なのか。返事をする前に畳み掛けるように手を摩っていた女性が「痛いところはない?気分は悪くない?大丈夫?」と繰り返す。彼が『弟』ならきっとこの人は、私の『母親』。ということは最初にいたーー今は病室の端でこちらを見守っているーー四人は、『お兄ちゃん』たち?
「痛くもないですし気分も悪くないです……えっと……おかあ、さん?」
恐る恐る、彼女を傷付けないように言葉を選んで伝えてみれば、彼女は目を大きく見開いてお医者さんを見つめた。お医者さんは動揺することなく私の方へ歩み寄り「ご自分のお名前はわかりますか?」と尋ねてくる。言葉を濁らせればお医者さんは微笑み「大丈夫ですよ」と一度頷いた。
「起きて間もないので記憶が混濁しているだけかもしれません。しばらく様子を見てみましょう」
まるでドラマのようにわっと崩れ落ちるおそらく『母』に駆け寄る『弟』。そして彼も私を見上げて「俺のことも覚えてないの……?」と恐る恐る尋ねてきた。なんだか申し訳ないことをしている気分になってしまい「おそらく思い出すから大丈夫だよ」なんて伝えれば『弟』は「うん」とほんの少しだけ表情を和らげた。そして続く「やっぱり姉ちゃんは姉ちゃんだな」という言葉に顔を歪めれば、涙にまみれた『母』が私を見上げて、ほんの少しだけ、笑った。
ざわりと心が騒ぐ。知らない女性と、知らない少年が親密な視線をこちらへと投げかけてくるのは正直戸惑いしかない。お医者さんが『母』を宥めながら立ち上がらせる。手のひらから離れていく体温に残った雫が妙に生暖かくて、悪いと思いながらも布団の中でこっそりと拭いた。
椅子に座り込んでまつ毛からしとしとと雫を落とす彼女をぼうと私は見つめた。あれは、わたしのせいなのか。何も思い出せないという事実が心を席巻して、風を起こす。暴風となり巻き上がる感情が、何がどうなっているんだ、と叫び出したい衝動を呼び起こす。一つ息を吸えば、それを押さえつけるかのように優しく両肩に手を置かれた。見上げればそこには最初に止めてくれた金髪の青年がいて、彼は穏やかな笑みを浮かべながら「落ち着いて」とそのままベッドに倒してくれた。不安が溶けるようにぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。頭は割れそうに痛い。もう訳がわからなくて青年の手を掴めば、彼は包み込むように手を握ってくれた。
「わ、わたし一体だれ、で?ここは、どこ……?!」
「大丈夫だよ、まずは深呼吸しよっか?ほら吸って、吐いて、吸って……」
彼の言葉通り深呼吸をすれば、尖っていた気持ちが徐々に丸くなっていく。落ち着けば涙は溢れるもので、ボロボロと泣きながら右手で鼻をすすれば、金髪の青年は苦笑を浮かべティッシュを鼻にあててくれた。
「すいませんありがとうございます……えっと、お兄ちゃん?」
「ううん違うよ、俺は羽風薫。お兄ちゃんじゃなくて、君の、恋人」
「「恋人?!」」
思わぬユニゾンに目線を向ければ、弟も信じられないというような顔をして青年ーー羽風さんを眺めていた。『恋人』は正直信じられないけど、この子との血の繋がりは信じていいかも、なんて呑気なことが頭に浮かんだ。